魂のダンス

書く無用人

タフネス(2021年8月の雑記)

 今年もフジロックに行けなかった。というか、行かなかった。おれは一体いつになったらフジロックに行けるのだろうか。

 高校生になったとき、ようやく音楽の話をあれこれできる友人と出会った。友人はギターが上手かった。友人の兄はベースがものすごく上手だった。そんな友人の家で、弾けもしないギターを借りてシャカシャカ鳴らしたり、興味のあったベースをベンベケと叩いていた。その後、おれは両親に内緒でこっそりエレキベースを購入するのだが、あんなに大きいものが隠し通せるわけもなく、激怒した父親と相当な口論になって大変だった。

 友人の家で、Atoms For PeaceMuseのライブ映像を観ながら、いつかフジロックに行きてぇな、などと話していた。たしか高校3年生になった年のヘッドライナーがRadioheadで、それはもう何としてでも行きたい、と互いに口を揃えて盛り上がっていた。しかし、ショッピングモールに併設されたフードコートで、天かすと葱を大量に入れた「はなまるうどん」のかけ(小)で腹を満たし、うまくもなければまずくもなく、ただ冷たいだけのウォーターサーバーの水を何度もおかわりしながら、だらだらと数時間滞在するような貧乏学生たちに、そんな金銭的余裕はなかった。

 大学生になったので、ようやくアルバイトもできるし、ある程度の時間や金銭の余裕もできるだろう。今年こそはようやくフジロックに行けるようになる。そう思って、大学1年生の春に、ビームスで販売していたフジロックのコラボタオルを購入した。しかし、どうしたことやら、毎日バスケットボールをすることとなってしまった。毎日していたから、お金が貯まる気配はない。それに加えて、おれはフジロックのチケット代が高いことや、交通費・宿泊費を含めると膨大な出費になることを、大学生になるまで知らなかった。バスケの隙間にやっていたコンビニのアルバイト代では、とうてい追いつかなかない。結局フジロックのコラボタオルはバスケットボールで汗を拭くのに重宝され、バスケットボールを辞めた今では、風呂上がりに身体を拭くのに用いられている。

 風呂上がりにフジロックのタオルで身体を拭きながら、パンツ一丁でNumber Girlのライブを観た。

 今年のフジロックは、正直複雑な思いで見ていた。音楽にまつわる事象が好きで、それらを楽しむことを糧にして日々労働に耐えているといっても過言ではない。しかし、医療が逼迫している状況のなかでいくら感染対策が徹底されているといえども、多くの観客が集まることへ不安を感じた。とはいえ、このままでは関係者の皆さんの生活が苦しくなるのは当然だろうし、それは何としてでも解決したい。とはいえ、もし万が一のことがあると思うと、云々。考えているとますますわからなくなって、気持ちがグレーに、複雑になっていく。だから、すべて熱心に見るというよりは、気が向いた時にライブ配信を見ることにした。 

 複雑な思いは、複雑なまま持ち続けよう。それを自分の言葉にしていこう。そう思えたのは、THA BLUE HARBのライブを見たからだった。BOSSの発するひとつひとつの言葉が、身体の奥にずんずんと響いていく。ライブを観終わったあとに、THA  BLUE HARBの作品を聞き返していた。1998年に発表されたデビューアルバム『STILLING,STILL DREAMING』に収録されている「孤憤」のなかにこんな一節がある。

 

今、今、スピーカーの前にあるお前の2枚が、今、西暦何年なのか

どこの国か街かは想像もつかねぇ

皿は旅をする、時を軽く越える

最後に一本の針を隔てた公平な平等な尊敬に値するタフな魂を持つお前に

特別に全く新しい勝ち方を教えてやる

俺たちは平岸、札幌、北海道から来たんだ。

 

 今ここではないずっと先に、これを聞いて何かを感じとるであろう「まだ見ぬ誰か」へ向けられた宣言。自らの言葉とビートに対する絶対的な信念と熱意が込められたフレーズだ。現に、北海道ではない土地で、この音声が録音された23年後に生きるおれは、「この言葉とビートは自分に向かって届けられている。そして問われている。」と感じている。そんな言葉に応えるだけの思考ができているのだろうか?

 

 思えば、昨年リリースされたGEZAN『狂–KLUE』の冒頭「狂」で発せられるメッセージも、THA  BLUE  HARBと共振するものがあるだろう。新たに加入したベースのヤクモアさんだけでなく、GEZANの意思に共鳴した人々によるコーラス隊・Million Wish Collecitiveとともに表現される光、熱、戸惑い。その全てが目に残さなくてはならない瞬間だった。

 

 フジロックで演奏されたGEZANの「BODY ODD」という曲では、その日のライブごとにさまざまなアーティストが共に歌う(叫ぶ)のだが、今回はGOFISHのテライショウタさんも参加していた。偶然は重なるもので、この8月はGOFISHの新作『光の速さで佇んで』を聞いていた。静謐で穏やかなバンドサウンドももちろんだが、テライさんのソングライティングが光り輝いている。

 それまではバンドキャンプのストリーミングで聞いていたのだが、行く予定のあった雑貨屋さんでSweet Dream Pressのフェアが開催されており、 CDを購入した。購入特典として、「港まちのうた」というCD-Rをいただいたのだが、これもまた素晴らしい。生活のなかで生まれた音楽とはまさにこのことで、そこに暮らす人々との共作曲や中華料理屋、喫茶店のテーマソングも収録されている。音楽は生活に根付き、生活は音楽とともにある。そんなことを感じさせてくれる素晴らしい作品だ。

 

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 以下備忘録。