魂のダンス

書く無用人

「ビヨンド・ザ・ファイヤ」

 商店街を自転車で駆け抜けていく。ボコボコのかごに入れた買い物袋には、スーパーの惣菜コーナーで買ったあんかけ焼きそば、オクラのネバネバサラダ、ビールが三缶入っている。凹凸の道を走ると、袋の中のビールがガタガタと揺れる。開けたとき溢れないようにするためにも、そろりそろりと運ばなければならない。駆け抜けるのを止して、いつもの0.6倍程度のスピードで自転車をこいでいると、後ろに子を乗せた女性やキャップを被ったおじいさんに次々と抜かれていく。けれども、そんなことは全く気にしていない都々逸であった。彼にとって、ビールを机にこぼして余計な掃除を増やさないことが重要だった。シャンプーの容器の水垢を許さないほど、潔癖症だったのだ。

 商店街の出口付近までたどり着くと、炭火で肉を焼く匂いがただよっている。一旦自転車を停めて周囲を観察すると、出口から数えて手前四軒目にあるお店からのようだ。蔓延している感染症のためか、焼き鳥屋さんが店頭でお持ち帰り用の炭火焼き鳥を調理している。

「焼き鳥いかがですか」

 店頭に設置されたバーベキューコンロで肉を焼く店主と女将さんが、行き交う人々へ呼びかけている。都々逸は焼き鳥を久しく食べていなかった。居酒屋に行く機会も減り、就職活動が続いていたこともあって、普段の食事のほとんどはコンビニ弁当で適当にすませていた。そもそも潔癖症なので、居酒屋では、人の箸がついた料理を食べられない。友人に連れられて店に入るときにはいつも、食事ではなく瓶ビールで腹を満たしていた。

「うまそう」

 ついつい口に出てしまった。路肩に自転車を停め、店頭の様子をうかがう。さきほど自転車で抜かされたお爺さんが、店頭で焼きたての焼き鳥を受け取っていた。おじいさんの自転車のかごには、ワンカップ大関が入っている。やる気まんまんだ。近くだと若干煙たいが、ますます食欲が湧く匂いがたまらない。もしものときの雑談のネタになるし、これを買っていくのはいいアイデアかもしれない。都々逸が買い出しをしているのには理由があった。内定先で開かれるオンライン懇親会に参加するためだった。

 

星風大学

都々逸薫様

 

株式会社ウェル・スマート 採用担当の宝稔です。

(中略) 

内定者の皆様に弊社のことをさらに知っていただきたいと思い、

先輩社員からの業務説明会と、懇親会を行おうと考えております。

このご時世ですので、どちらもオンラインで開催を予定しております。

以下、概要を記載いたしますので、参加いただける場合は、ご連絡いただきますと幸いです。(後略)

 

 就職活動などやる気はなかったし、そもそも真面目に働かないで生活できないかと考えていた都々逸だったが、内定先を見つけないとこれまでの仕送りをすべて返済させるという父親からの圧により、嫌々ながらも就職活動に取り組んだ。やる気がないのを見透かされていたのだろうか、ほとんどの会社からお祈りされたものの、理由もわからないままスムーズに選考の進む会社があり、そこから内定を得た。

 公式ホームページのトップには「次世代の健康に向けて」という企業理念がデカデカと表示されているが、要するに今後進んでいく少子高齢社会において、年長者の健康を支援する事業にこそ資本的価値があり、機器メーカーなどと連携を組んで商品を開発し、ユーザーに提供することでガッツリ儲けようじゃないかということだと、都々逸は曲解していた。その会社というのが、内定者向けのオンラインイベントを企画している。

 午後一時からはじまった業務説明会では、やったらめったら先輩社員が登場して、自らが行っている業務とはなにか、それがいかにやりがいがあるかを力説していた。就職活動時に簡単に調べた事業内容や事前に予想していた話とたいして変わらず、都々逸にとっては退屈だった。はじまる前から退屈だったのだが。

 説明会のさなか、都々逸は、今日は何を食べようか、ということばかり考えていた。午後三時に説明会が終わる予定で、七時からはじまる懇親会までに、買い出しへ行く余裕がある。五千円以内で飲食物を購入し、そのレシートを郵送、もしくはPDF化して会社に送れば、後日指定口座に代金が支払われるとのことだったので、どれだけ豪勢な食事をしてやろうかと、都々逸はずうっと考えていた。しかし、結局購入したのは、あんかけ焼きそば、オクラのネバネバサラダにビール(三五〇ml)三缶のみだ。しかも、オクラのネバネバサラダは三割引のものだ。都々逸は潔癖症なだけでなく、吝嗇だった。

 

 せっかくなので久しぶりに焼き鳥を食べよう。意外と値が張る焼き鳥だから、会社の金で飯が食える機会にたくさん買ってやろう。まずは王道のもも、皮、ねぎま。普段食べないやつも食べよう。豚レバ、ししとう、ハツなんかも頼みたい。あわわわわ、これはもう焼き鳥だけでお腹がいっぱいになりそうだ。あんかけ焼きそばとオクラのネバネバサラダは明日の夕食にしよう。

 都々逸は、店頭で鳥を焼く店主と女将さんに、自分が食べたい焼き鳥の名前をたくさん伝えた。はいよ、といって店主と女将さんが力を合わせて鳥を焼きはじめる。目の前で焼かれると、食欲がますます湧いてくる。出来上がった焼き鳥を受け取った際に、レシートも忘れず要求した。女将さんは

「若いのにレシート集めるなんて偉いね!」

と言った。日頃からレシートは欠かさずもらい、家計簿アプリに記入する都々逸ではあったが、今回は御社に送るためだった。しかし、いちいち説明するのも面倒だったので、

「うっす」

とだけ返事をした。女将さんには、若い学生が恥ずかしがっているようにしか見えなかった。

 レシートを見ると、


 健康のため焼鳥の

   食べ忘れに注意しましょう

 

と書いてある。店頭で買った焼き鳥を食べ忘れるやつなんているのだろうか。賞味期限を厳格に死守する都々逸には、にわかに信じられない注意書きであった。

 

 オンラインでの懇親会は案の定だった。簡単な自己紹介、買い出しの時間に何を買ってきたのか、大学では何を専攻しているのか、出身はどこか、就職活動が終わってどんな生活をしているのか。先輩社員らの質問に適当に答えて、適当に頷いておけばいい。普段なら退屈でしかたない都々逸であったが、今日は焼き鳥を買ってきたので気分がよい。なんせ焼き鳥がうまい。個人で営んでいるお店だからか、肉も大ぶりで食べごたえがある。特製のたれもコクがあってずば抜けておいしい。しょっぱいながらも、後味はあっさりとしている塩味もたまらない。Bluetoothのイヤホンから聞こえてくる会話をろくに聞かず、都々逸は焼き鳥を食べることに集中していた。そんなとき、第二営業部(どうやら企業向けの営業をする部署らしい)所属の先輩社員・T藤が

「都々逸くん、大学では何のサークルに入ってるの?」

と聞いてきた。先輩社員はそれぞれが自宅から参加している。T藤はお酒にあまり強くないのか、画面越しでもすでに顔が赤い。懇親会用に分けられたグループでは、先輩社員三名、都々逸を含めた内定者三名がいて、そのなかでも最も酔いが回っている様子だ。どうりでさきほどから、よく彼の話し声が聞こえる。

「お笑いサークルに入ってました」

「ええ、すごいじゃん。何かできるの」

「いえ、自分は演者ではなく、企画とか照明とかの裏方だったので」

「そんなこと言ってー。お笑いサークルに入ってたんだから、お笑い好きなんでしょ。何かあるでしょ」

 都々逸は、これだから懇親会などというものはめんどうくさいのだ、と思った。履歴書にはサークルでの活動を書いていたし、面接のときには裏方仕事の内容、そこで得た経験、醍醐味、それらで学んだことを御社の仕事でいかに活かせるか、を強めに脚色して喋っていたのもあって、ここで突然「いや、実はサークルなんて入っていないんです」などと嘘をつくことなどできない。だいたい、オンライン上で素人が芸などをやったところで、滑り倒すに決まっているじゃないか。そんなことも理解できないのか、このT藤というやつは。都々逸は、第二営業部には絶対に行きたくないと思った。でも、T藤のような人物だからこそ、うまく社会人としてやれているのかもしれないとも感じた。

「いやいや、面白いことはできないです」

「謙遜なんかしなくていいよ。ラフな場なんだしさ。面白くなくてもやってみてよ。自己紹介みたいなやつでも」

 都々逸は、しまったと思った。できないならできない、やりたくないならやりたくない、と強く言うべきだった。「面白いことはできない」などと、変に言質を取られるような発言をするべきではなかった。そもそもなぜ「面白いことはできない」などと婉曲なことを言ってしまったのだろう。もしかしたら、おれは内心ではここで一発ウケをとっておもしろいやつだと思われたいのだろうか。確かにサークルに入ってから一年間は演者志望だった。何人かとコンビも組んでみた。自分でもおもしろいと思っていたし、サークル内での評価もわりかし高かった。けれども、二年生になって演者から裏方に転身した。というのも、当時新入生として入ってきた「加藤シャーベット」の圧倒的なおもしろさの前に、都々逸は演者としての自信を失った。誰ともコンビを組まない孤高のスタイル、時事的な内容を軸に荒唐無稽、逸脱に次ぐ逸脱で危うさを演出しながらも、最後はギリギリのバランスで古典落語的オチに持っていくフリップ芸で、入学序盤から圧倒的だった。「加藤シャーベット」の才能を前にして、都々逸を含めた三名が自身のおもんなさに絶望して裏方へ転身した。「加藤シャーベット」にかなわなくて辞めたなどと思われたくないのもあり、都々逸は裏方仕事に徹したが、「加藤シャーベット」を軸にしたネタライブの企画は大学内外で評判となり、企画者の都々逸はそのことに少なからずよろこびを感じていた。

 うじうじ困っていると、T藤の発言にやや間をおいて、同じ内定者のW田が、

「都々逸さんの大学のお笑いサークルは有名ですよね、友人が見に行ったらしいです」

と余計なことを言った。すると他の参加者四名も

「すごーい」

「せっかくだから何か見たーい」

などと期待したかのように発言する。

 都々逸は恐怖した。しかし、都々逸は考えた。もしかすると。おれは自分がおもんなかったのではなく、「加藤シャーベット」があまりにも圧倒的なだけだったのではないだろうか。おれは一年生のときにそこそこ評価を得ていたコンビ「ビールと酢」のボケ担当だったのだ。そして裏方に徹したあとも、「加藤シャーベット」を支える形で、多くの新鋭たちの、珠玉のネタを間近で見てきた。二年時の冬に企画したライブにブッキングした六組のうちの先輩コンビの二組が、大学卒業後にプロになった。この二組はまだまだ日の目を見ないが、お笑いマニアの間では勢いのある若手として知名度が上がってきており、じきにかれらが活躍する可能性は高いだろう。「加藤シャーベット」もきっとプロになるにちがいない。そんな恵まれた環境のなかで、鍛えられたお笑いの力。潔癖症のためほとんど飯を食べれなかった居酒屋での打ち上げのとき、酔いにまかせて披露し、同期に褒められたアレならいけるかもしれない。普段の都々逸とのギャップがいい。コンビでボケをやってたころを思い出す。そう同期は言ってくれた。

 

「では」

「映画『アウトレイジ』での小日向文世のモノマネを」

 

何で頭を殴ったんだ? 何で頭を殴ったのか聞いてんだよ!

 

 画面上に一瞬ぽかんとした顔が五つ並んだ。そしてT藤が「ははは」と笑う声に続いて、ほかの四名も笑っているように見えた。都々逸には、イヤホンから聞こえる笑い声が、ビニール袋がガサゴソ鳴っている音にしか聞こえなかった。

「やっぱりあるじゃん、さすがだねー」

とT藤は褒めてくれた。

「いえいえ、そんなでもないですよ」

 うれしいのかはずかしいのか、自分でもわからなかった。その後、どういうわけか、話題は「感染症が落ち着いたら行ってみたい海外の国」へと切り替わった。都々逸は特に行きたい国などなかったため、話を聞くふりをしながら、再び焼き鳥を食べることに集中した。会話が二転三転するうちに、いつの間にか懇親会は終わりの時間となった。T藤は、直接会えたときは新ネタを見せてほしい、と都々逸に伝えた。都々逸は、うっす、とだけ応えた。

 

 Bluetoothのイヤホンを外すと、ユニットバスの換気扇が回る音だけが部屋に響いている。机には少しだけ残った焼き鳥とビールがある。ビールをちびちび口に含み、都々逸は、やっぱ働きたくないな、と誰も聞いていないのにつぶやいた。

 しかし、働かないと金銭に苦労することは間違いない。都々逸は今後について考えながら、ひとまず今は残った焼き鳥を食べてしまおうと思った。冷めたままでも、もも(たれ)はうまい。ハツはやや固くなっていたが、レンジで温め直すと再び美味しくなった。残りの焼き鳥も瞬く間に平らげてしまった。机の下に皮(塩)がひとつ落ちていたが、このときばかりは潔癖症の都々逸も床に落ちていることを気にせずに平らげた。なんだか疲れたので、都々逸はさっとシャワーを浴び、歯を磨いて寝た。次の日は昼過ぎに起きた。まだ疲れている気がする。ぼんやりとしているうちにやや肌寒い夕方になり、都々逸は散歩にでかけた。商店街へ向かって歩いていると、今日も肉の焼ける匂いがする。バーベキューコンロの前で、焼き鳥屋の店主が汗をかきながら肉を焼いている。

「いらっしゃい、焼き鳥いかがですか」

 店主は肉を焼きながら、こちらを見ずに言った。都々逸は何も考えずに、店主に声をかけた。

「弟子ってとってますか」

 

(了)

 

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