魂のダンス

書く無用人

コーンのマーさん

 はじめまして。このたび、丸太賀フーズに入社することになりました、大津行彦と申します。えーっ、とても緊張しております。大勢の人の前で話す経験というのがほとんどございませんでして。しどろもどろになってしまうかと思いますが、ご容赦ください。

 さて、わたくしが丸太賀フーズに入社するきっかけとなったのは、社の看板商品「コロコロキャラメルコーン」を食べたからです。正確には、「コロコロキャラメルコーン」が常に家にあったからです。

 幼いころ、実家には自分の友達だけでなく、両親の知り合い、祖父母の知り合いが頻繁に我が家を出入りしていました。みんな何をするでもなく、ただ居間に座ってテレビを見ながらだらだらと喋って、ある程度満足したら好きなタイミングで帰っていきました。両親も祖父母も、誰かが家に来るからといって特段な準備をすることなく、「おう、来たか」といって地域猫を家に招き入れるようなテンションで、茶やコーヒーや菓子を振る舞い、来客と雑談していました。両親も祖父母も明るかった、というわけではなく、むしろ物静かなタイプで、家族が揃う朝食や夕食のときなどは黙々とごはんを食べ、食べ終わったあとはたいてい祖母がその日に誰と会ったかですとか、ニュースでこんなことを言っていたですとか(だいたいは景気が悪いことにぶつくさ文句を言っていました)、明日はこんな予定だなどと話し、それに応じる形で他の家族が会話に参加するのがお決まりの流れでした。とはいえ、たいして盛り上がりもせず、わたくしなんかは風呂から出るとすぐに早く寝ろと言われて寝室に連れていかれていましたし、自分の部屋を用意されてからはだいたいすぐに部屋に閉じこもってマンガを読んだりゲームをしたりしていました。このときに『鋼の錬金術師』のアニメが放映されていてハマりにハマり、もちろんマンガも既刊はすべて揃え、その後も新刊が出るたびに欠かさず買って、何度も読み返していました。実はここでハガレンにハマったことが、中学校で唯一理科の授業だけを好きになったきっかけであり、大学で生物学を専攻することになったきっかけでもあります。そして大学での専攻を活かせる職業はないかと考え、こうして丸太賀フーズの開発部門に就職することができた、というわけでございます。荒川弘先生さまさまです。

 来客の多かった我が家のなかでも、特に頻繁に来ていたのが、近所にすむマーさんというおじいさんでした。本名はわかりません。みんなマーさん、マーさんと呼んでいたので、わたくしもマーさんとしか呼んでいませんでした。マーさんはだいたい夕方ころにわたくしの家にやってきました。マーさんがうちに来て祖父母としゃべっていた内容はまったく思い出せませんし、しゃべる以外に何をしていたかも記憶にないのですが、マーさんはうちに来るたびに、丸太賀フーズの「コロコロキャラメルコーン」を持って来てくれたのでした。ただ、当時のわたくしは子供にしては珍しくお菓子にまったく興味をもてず、何よりも白米と唐揚げが一番の好物でした。いまでこそ標準体型ですが、小さいころはそれは体格がよくて、ちびっこ相撲で優勝したこともあります。マーさんからもらった「コロコロキャラメルコーン」を開けて、いくつか食べてはいたのですが、やっぱり白米と唐揚げが食べたい、と思ってしまい、すぐに棚にしまってしまうのでした。マーさんはそんなわたくしの様子にまったく気づかず、毎回毎回「コロコロキャラメルコーン」を持ってきてくれました。ですので、我が家のお菓子棚には常に「コロコロキャラメルコーン」がパンッパンに入っており、当時のわたくしは白米と唐揚げにしか食の興味がないものですからあまり食べず、他の来客者のお茶菓子に使われていたか、他の家族が食べていたのだろうと思います。わたくしもマーさんに毎回持ってこなくていいと伝えればよかったのですが、マーさんもマーさんでがっしりとした体格でしかも声が低く、あまり表情を変えないものですから、怖気づいて言い出せなかったのだろうと思います。

 マーさんはいつごろからかさっぱりうちに現れなくなり、その後病気をしたかなにかで入院し、そのままお亡くなりになったと聞きました。肉親ではございませんでしたし、なにぶん幼かったものですから、葬儀には出席しなかったと思います。それからは我が家のお菓子棚に「コロコロキャラメルコーン」が補充されることはなく、すかすかの状態が続くことになったと記憶しています。

 わたくしが「コロコロキャラメルコーン」に再び出合うことになったのは、大学の研究室で徹夜で次の日のゼミの発表資料を作成しているときでした。徹夜で資料を作っているといっても、その日はまったく集中できておらず、深夜1時くらいに何を思ったのか、インターネットで「探偵ナイトスクープ」の傑作選を見始めてしまいました。ちょっと昔の放送内容だったので、局長は西田敏行でした。VTR前後にしゃべる西田敏行を見ていると、ふと、マーさんによく似ていることに気づきました。マーさんのことは普段の生活でまったく思い出すことはなかったのですが(マーさんごめんなさい)、なぜかこのとき急に思い出した。そして記憶の中のマーさんとつよく結びついていたのが、「コロコロキャラメルコーン」だったのでした。ちょうど小腹も空いていたので、大学近くのコンビニに向かい、「コロコロキャラメルコーン」を買いました。研究室に戻る道で封を開け、人がいなくて暗いキャンパスを歩きながら食べる「コロコロキャラメルコーン」は、どういうわけかとても美味しかったのです。このとき食べた「コロコロキャラメルコーン」の美味しさが忘れられず、就職活動の時期に丸太賀フーズを志望することになり、本日幸いなことに入社することができた、という次第でございます。

 実はこのことを喜んでくれたのは、両親ではなく祖母でした。祖母は最近スマホを手に入れて、慣れないながらもたまにメッセージを送ってきてくれます。たいした祖母です。わたくしも丸太賀フーズの内定が決まった際、祖母にも連絡いたしました。すると、こんな返事が返ってきたのです。そのまま読みます。

 

 行彦就職できてよかったね。行彦の好物でよく買っていたキャラメルのお菓子の会社だね。残りの学生生活体に気をつけてがんばて。

 

 フリック入力に不慣れながらも、メッセージを返してくれる祖母をすごいと思いつつ、すこし気になることがありました。「コロコロキャラメルコーン」を買っていたのは、マーさんではなく、祖母だったのか。正直わたくしの記憶ではマーさんが毎回持って来てくれたものでしたし、そもそも好物ではなかった。メッセージのやりとりだと祖母が大変だと思い、正月に実家に帰ったときに家族に直接聞いてみました。「マーさん……ああ、いたいた。高倉健に似たハンサムなじいさんだった」「うち来るとき、『コロコロキャラメルコーン』を持って来てはいたけど、毎回ではなかったよ」「わりとおばあちゃんのほうが買ってたよ、あんたも好きだったし」「キャラメルコーンをつぶして薄い板状にして食べようとしていたから、ばっちくてよくあんたを怒ったよ」

 わたくしは採用面接のとき、マーさんとのエピソードを話の枕で喋っていましたが、何もかもが間違っていたのか、それともわたくしだけが覚えている事実なのか、家族の記憶ちがいなのか、真相はさっぱりわかりません。とにかく、事実かどうかわからないことをぺらぺらと喋ってしまったこと、特にこの話に深く頷きながら聞いてくださった松本常務には、深くお詫び申し上げます。

 未熟者ではございますが、今後の業務の際には、記憶違いが起こらないよう、しっかりと報連相をする、を目標に、地道に頑張っていきたい所存です。どうぞよろしくお願いいたします。(了)

 

※「古賀コン」(https://note.com/koga_hiroto_13/n/n30ec13f45712?sub_rt=share_pb)参加作品。参加条件:1時間で書き上げた文章。制作期間:2024年3月3日(日)10:31〜11:29。