魂のダンス

書く無用人

Mirrorballs(21/2/15(月)〜21/4/2(金)までの雑記)

 

 

Mirrorballs(今月の雑記)

 自分にとって音楽を聞く行為は、日常生活における衣食住と同じくらい高い水準に位置づけられている。以前は毎週のようにリリースされる新作を聞くことに必死だったが、毎週毎週必死になると疲れてしまうし、繰り返し聞くことによる身体化をあまり実感できていないように思い、最近はその時々の直感にしたがって聞いている。

 そのため、しぜんと過去の音楽を聞く機会が増えてくるのだが、もうひとつの遠因は、門間雄介『細野晴臣と彼らの時代』を読んだからにちがいない。

 細野氏の生い立ちから現在の音楽活動までを辿る本書は、細野氏の著書や発言だけでなく、関係人物の著書や発言も参照することにより、氏の音楽活動の歴史に奥行きが生まれており、それらを濃密に追体感することのできる一冊である。

 細かなエピソードに関して、それぞれの記憶が相違していることをおもしろく感じた。細野氏の2枚目のソロアルバム『トロピカル・ダンディー』は、松任谷正隆氏が参加していることがクレジットされているが、当の松任谷氏は「やった記憶がない」と述べる。このエピソードから「ティン・パン・アレーの連帯感」の「希薄」さを門間氏は見出す。いわゆる裏歴史のような事柄まで含まれており、興味深い。

 そしてなんといっても、近年細野氏が音楽活動において意識しているという、「継承」に関する発言が興味深い。高田漣氏、伊賀航氏、伊藤大地氏とのライブセッションを通して、細野氏は以下のように考える。

 

  あるときから細野は、彼ら若いミュージシャンたちに自分が過去から受け継いできたものを伝えることが大事だと思うようになった。先人から受け継いだものに、少し手を加え、それらを彼らに手渡すことが。その思いはかれこれ三十年前に意識しだした、自分はミディアムに過ぎないという感覚とつながっていた。細野は説明する。

「スタイルがあって、伝統があって、ある枠の中で切磋琢磨していく。特に音楽なんかはそうですね。基本は伝統を受け継いでいくことが大事です。でもそれだけではなんの意味もない。そこに自分の筆跡を少し残す。まあ、サインをするみたいなね、自分の。それが大事だとだんだんわかってきたんです。自分なりに昔の音楽を消化して、変えていって、残していく。そうやって残していくことが大事なんだと。」*1

 

 こうした温故知新と昇華のスタンスは、細野氏の近作でカバーされるブギウギなどを聞くと、十二分に伝わってくる。細野氏の音楽を聞く自分は、自然と過去の優れた音楽とつながることになるのだ。

 本書を読み思い出したのが、磯崎憲一郎氏の発言だ。朝日新聞に掲載された文芸時評のなかで、プルースト失われた時を求めて』に触れながら、以下のように述べる。

 

 しかし、現代文学の先駆となったこの作品の刊行のほぼ百年後の読者である私たちがここから読み取るべきは、名高い「無意志的記憶」をめぐる考察以上にやはり、言説の同質化を強いる戦争の時代やドレフュス事件の渦中にあっても、自らに与えられた芸術家としての使命を全うしようとする、一人の人間の発する夥しい熱量なのだろう。その意味では、本作の翻訳に十年の時間を費やして取り組んでいる吉川一義氏の熱意にも敬意を表したい、そうした人々が繫ぐ流れとして以外には、文学は存在し得ない。*2

 

 残された作品の熱量を感じ取り、後世につないでいく。そうした営みを行う一員となれるように、少しずつではあるが歩みを止めずにいきたいと思う。

 そんなわけで、自分のなかで空前の井伏鱒二ブームが到来してしまった。いくつかの作品をつらつらと読んだことはあるが、久方ぶりに本棚にあった『厄除け詩集』を手にとったことにより、その豊穣な言葉のつらなりに改めて感銘を受けたのだ。

 

つくだ煮の小魚

ある日 雨の晴れまに

竹の皮に包んだつくだ煮が

水たまりにこぼれ落ちた

つくだ煮の小魚達は

その一ぴき一ぴきを見てみれば

目を大きく見開いて

環になつて互にからみあつてゐる

鰭も尻尾も折れていない

顎の呼吸するところには 色つやさへある

そして 水たまりの底に放たれたが

あめ色の小魚達は

互に生きて返らなんだ*3

 

 詩歌主体の視線とそこに生じる感慨が見事である。雨上がりの水たまりに落っこちた「つくだ煮の小魚達」にもかつて生命があったこと、そしてその生命は二度と戻らないこと。このように記述すると重苦しいイメージが湧いて出るのだが、仔細な観察と「返らなんだ」といったどこかとぼけたような言葉の運用によって、おおらかな風味が生じる。

 改めて読み返すことによって、井伏氏を読み返したいというきもちが日に日に増していき、近隣の図書館で全集を一から借りつつ、古本屋で井伏氏の作品を見つけては購入している。

 なかでも、センター試験の過去問を解いた以来に「たま虫を見る」を再読したところ、これが抜群におもしろかった。

 語り手の「私」は、「美しい昆虫」であるはずの「たま虫」を「幾度も悲しいときにだけ」見る。個人的には、恋人と並んで歩いているとき、「私」のレインコートにとまった「たま虫」を恋人が叩いてしまう場面は、何度読み返してもほほ笑んでしまう。

 

「たま虫ですよ!」

 しかし最早たま虫はその羽根を打ちくだかれて、腹を見せながら死んでいた。私はそれを拾いとろうとしたが、彼女はそれよりも早く草履で踏みにじった。

「このレインコートの色ね。」

 そして彼女は私の胸に視線をうつしたのであるが、私は彼女の肩に再び手を置く機会を失ってしまった。私たちはお互に暫く黙っていた後で、私は言った。

「あなたは、このレインコートの色は嫌いだったのですね!」

「あら、ちっともそんなことはありませんわ。たま虫って美しい虫ですもの。」

「でも、あなたはそれをふみつぶしちゃいました。」

「だってあなたの胸のところに虫がついていたんですもの。」

 私達はお互に深い吐息をついたり、相手をとがめるような瞳をむけあったりしたのである。*4

 

 彼女の行動だけでなく、両者の会話がどことなく「変」だ。「たま虫」を叩いたことを指摘したのに、レインコートの色が嫌いではないかと疑う「私」や、「たま虫」は「美しい虫」と述べながらも、「胸についた虫」だからとふみつぶす行為を正当化する彼女。ふたりの思考は論理的でなく、つねに流動的な形態である会話のエッセンスが凝縮されているようだ。

 『井伏鱒二全集』を夜眠る前に読みすすめるものの、如何せん図書館の返却期限がすぐに迫ってしまうことだけがネックだ。いつか全巻を大人買いしたいと思っているうちに、眠りについてしまう。

 過去の作品つながりで、小噺をもうひとつ。4月に入り、ジミ・ヘンドリックスの「Hey Joe」を聞いていたのは、DC/PRGの解散ライブに赴くことが決まっていたからだった。

 友人の誘いを受け参加が決まったものの、代表的な曲しか存じ上げない自分が行ってよいんものだろうかと思ったのは、まったくの杞憂に終わった。運良く(?)聞いたことのある曲ばかりだったのだが、ライブでは細かなアレンジやソロパートが肉厚となっており、おれはいまとんでもないものを目の当たりにしているのだ、という純な感動が持続した2時間だった。ハイライトとなったのは、「CIRCLE/LINE〜HARD CORE PEACE」のボルテージが上がりに上がった演奏で、メンバーもさることながら、うねるようなグルーブを生み出すオーディエンスの熱量もまたとてつもなかった。そしてアンコールで演奏された「Mirrorballs」では、現状の閉塞感を吹き飛ばすかのような多幸感に満ちた演奏が披露された。文章で目にしたりラジオで聞いたりする菊地成孔氏の言葉にイマイチはまりきれていない自分であったが、ライブという熱をもった場における彼の発話は、ドライブがかっており、コロナ禍における国の方針を皮肉ったMCは諧謔的でとてもよかった。

 終演後は久しぶりに再会した方にご挨拶をしたり、友人とその知人と一緒に最寄り駅まで歩いて、その日のライブから過去の遍歴、最近のハロプロについてまで、あれこれ話しながら帰ったりした(もちろんソーシャルディスタンスを守り、感染症対策もしっかりしました)。

 ライブに行くという行為は、ひとりで赴き、その公演を反芻しながら帰路につくのももちろん楽しいが、その場で誰かと会ったり、開演前や開演後に喋ったりするのもまた楽しい。そういった時間も含めて、ライブに行くという行為だったなそういえば、というようなことを思い出した。

 駅につくまでの道はいかにも工業地帯の道路といった様相で、トラックの通過音と近くの川や海の流れる音が聞こえてきた。それらの音と一緒に聞こえてくる友人たちの声に、先ほどまでの演奏の反芻と少しのアルコールが溶け合って生まれるグルーヴを、ずうっと感じ取りたい。

 

細野晴臣と彼らの時代

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終の住処(新潮文庫)

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厄除け詩集 (講談社文芸文庫)

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  • 作者:井伏 鱒二
  • 発売日: 1994/04/05
  • メディア: 文庫
 

 

井伏鱒二全集〈第1巻〉

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音楽

 菊地成孔つながりではあるが、Ahh! Folly Jet『Abandoned Songs From The Limbo』と『Duck Float/HEF』を購入した。LPに感謝。

 

 細野氏つながりで、金延幸子『み空』のLPを購入。繊細でいて、どことなく恐ろしさを感じる傑作。「時にまかせて」の演奏がすばらしい。

 

 細野氏関連だと、95年にリリースされたアンビエントユニット・LOVE,PEACE & TRANCEのアルバムがお気に入り。

 

相変わらず家で過ごす時間が多いので、他にもたくさん買いました。

 

 これまで以上に空気公団の作品に魅了されている。LPもあるものはネットで探して入手している。なかでも『夜はそのまなざしの先に流れる』というアルバムが好きだ。日本橋公会堂でのライブを基に編集された本作は、全曲演奏がすばらしいが、「夜と明日のレコード」という曲を聞くと、落涙する。

 

 最近のリリースされたものだと、SHABASON, KRGOVICH & HARRISやミツメ、折坂悠太の新作を聞いている。

 

ダムヤーク

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  • 作者:佐川恭一
  • 発売日: 2021/02/10
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

 

 

ぼくらのまちにおいでよ

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アメリカン・スクール(新潮文庫)

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よつばと!(15) (電撃コミックス)

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映画

『あの子は貴族』と『シン・エヴァンゲリオン劇場版』がおもしろかった。


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テレビなど

 R-1ぐらんぷりは番組構成に難ありだったが、高田ぽる子さんのネタがお笑い版「たま」のようで最高だった。金スマのハライチスペシャルやデザインあコーネリアスライブ回もおもしろかった。

 『ここは今から倫理です。』というドラマがとてもよかった。

 

 

 

*1:門間雄介『細野晴臣と彼らの時代』文藝春秋、2020年、P.478

*2:磯崎憲一郎「熱量こそ礎」https://book.asahi.com/article/12250190 いいかげん積ん読になっている『失われた時を求めて』を読まなければならん。

*3:井伏鱒二『厄除け詩集』講談社、1994年、P.14,15

*4:井伏鱒二井伏鱒二全集 第一巻』筑摩書房、1996年