魂のダンス

書く無用人

おはよう!(5/21(木)〜6/26(金)の雑記)

 さっきまで5月だった気がする。

 仕事がいきなりエンジンフル稼働になったものだから、疲弊がそれなりにある。ポンコツ人間なので、ちょこちょこ凡ミスもしてしまう。これが気にしいの自分からするとかなりのストレスを喰らう。気遣いの心労ほど蓄積するのもはない。そんなこんなで肉体的にも精神的にも奔走していたら、さっきまで5月だったのに、いつの間にか6月も終わり、7月になろうとしている。夏だ。

 今年の夏は中学生のころから夢みていたフジロックに行くというビッグイベントがあったのだが、これもコロナウィルスの影響で延期になってしまった。おれは何を糧に生きていけばいいのか。フジロックだけではなく、行けなかったたくさんのライブチケットは、コンビニのレジにふたたび通され、お金に変わる。くやしくて悲しくてたまらないので、そのお金でレコードやCD、本を買っている。しかし、ゆっくり堪能する時間は減っている。さて、どうしたものか。

 そのあたりの時間の使い方はこれから考えていくとして、最近は入念な対策をとった上で、やっと外に出て買い物をできるようになった。すなおにうれしい。時折は久々に友人と会い、飲んだりもできるようになった。直接会って話すことがいかに大切な時間だったのかを身に染みて感じている。

 久しぶりに近所の銭湯にも行けた。ここはサウナも併設しているので、転居してからはや1年、すっかりヘビーユーザーとなっている。3ヶ月ぶりのサウナは「整う」という次元を超えた心身の心地よさを与えてくれた。

 映画館も再開。久しぶりにTOHOシネマズ新宿を訪れたら、入り口に体温測定器が置いてあった。全身が映し出されるディスプレイの前に立つと、おでこのあたりに「36.3」と表示された。

 ここで何を観たのかというと、『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語だ。『若草物語』がグレタ・カーウィグの手によってふたたび映画化されるというしらせを聞いてから、ずっと楽しみにしていた。

 ボストンで暮らす4姉妹の人生が、物語内現在と物語過去を交錯させていくかたちで描かれる。わたしはどのように生きていくのかという問いが、4姉妹の、特に作家を目指す次女・ジョーの視点からもたらされる。熱情と葛藤に揺れながらもまっすぐ生きていく登場人物のすがたがとても良かった。

 近所の映画館も再開されたので、ロングラン上映されていて気になっていた『羅小黒戦記』を観た。妖精と人間が共生する世界におけるつながりがテーマの作品のように感じた。人間によって住む場所を奪われた猫の妖精・シャオヘイと妖精との共生を目指すフーシー。ひょんなことからふたりきりで行動するようになった彼らの間にじょじょに師弟関係のようなものが芽生え、その過程がなんとも微笑ましい。ことなる存在同士がいかにしてともに生きていくかというテーマが、ジブリ×CGのような迫力あるアニメーションによって表現されており、こちらも良かった。

 しかし残念なのは、これを上映していた映画館が8月いっぱいで休館になってしまうことだ。上京してから1年。ふらっと映画を観に行こうとした時によく訪れた。上映される作品も観てみたいと思うものばかりで、映画館のない土地で生まれ育った自分としては、新たな楽しみがまた増えたように感じ、このまちに住んでいることがより好きになることができた場所だ。今回会員登録も更新したのに、無念極まりない。

 以前よりはペースが落ちているものの、本はちょこちょこ読んでいる。楽しみにしていた多和田葉子『星に仄めかされて』を夢中になって読んだ。日本をモデルとした国が何らかの理由で消失した世界。失われた国出身で、スカンジナビア人ならある程度相互理解が可能な言語・パンスカを操るHirukoと、言語学者の卵であるデンマーク人のクヌート。彼らを中心に、消失した国の話者を探す旅は前作『地球に散りばめられて』から、さらに前進する。

 各章で異なる登場人物が語り手となることで、重層な作品世界が生み出されていくだけでなく、言葉そのもののおもしろみを体感できる語りが素晴らしい。特にHirukoの語りは全文引用したくなるようなかがやきにあふれている。

 

「わたしは誰だったっけ? 朝、目が醒めて最初にそんなことを思うことがある。わたしは何語が話せるんだっけ? 別に記憶が消えたわけじゃないけれど、でも睡眠によって一度意識が途切れたせいで、なんだか遠ざかってしまった自分にあらためて出遭うのが不思議。朝って、まだ自分が誰なのか思い出せてない時間でしょう? わたしは今日、誰と話すつもりだったんだっけ? いろいろ疑問が湧いてくる。でもね、おはよう! と声に出して言うと、なんだかほっとする。おはよう! 子供の頃は一つの言い方しか知らなかった。おはよう! 朝起きて最初に声に出す言葉は、おはよう。じゃぶじゃぶっと顔を洗って、ミントの味のする歯磨き粉をつけて歯を磨いてから、お父さんとお母さんにおはよう、と言っていたでしょう。それとも照れて、やあ、なんて言ってごまかしていたの? 教室に入って授業の始まる前、クラス全員で声を揃えて先生に、おはようございますって言ったでしょう。一日の初めにまわりの人たちと同じ時間を生きていることを確認し合う言葉。おはよう。」

多和田葉子『星に仄めかされて』講談社、2020)

 

 多和田葉子さんの作品を読んでいると、ふだん使っている自分の言葉が、ふわっとどこかへ飛び立ってしまったと思うと、急に戻ってきたとたん色彩が変化したような感覚になる。そうした読む行為の快楽をもたらす稀有な作家だ。

 本作は言葉と言葉の境界を往復し問いを生み出しながら、人格の境界を融和するような場面も存在する。あらゆる境界をふわりと飛び交う登場人物たちの、旅のつづきがさらに楽しみになる、そんな作品だった。

 話は変わって、最近はUKジャズをよく聴いている。Ezra CollectiveShabaka and the Ancestorsとかを通勤の時に聞くことが多い。家に帰ったら相変わらずレコードに針を落とすか、ハロプロの動画を見ている。

 ライブ配信だと柴田聡子さんのインターネットひとりぼっちがとても良かった。グリーンバッグに映し出される各地の会場や名産とともに、弾き語る柴田さんの歌がとても良い。昔の曲もたくさん演奏してくれたのも嬉しかった。

 GEZANのドラマー・ロスカルさんによる30時間耐久ドラムも度々観ていた。そろそろクライマックスかなと思い、ユーチューブを起動すると、メンバー全員が揃い、海辺での演奏で幕を閉じた。夕方から夜に切り替わるなかで鳴らされるGEZANの演奏は、これ以上にないほど美しかった。