魂のダンス

音楽、本、映画などを絡めた雑記

春を生む(2/26〜3/31までの雑記)

 新型コロナウィルスの影響で、行く予定だったライブが軒並み中止か延期になってしまいやるせなくてしようがない。The National、KIRINJI、折坂悠太、GEZAN、運良くリセールで良席を手に入れることができた空気階段の単独ライブ、コンプソンズの新作公演、テアトロコント「ミズタニーのベストセレクション」、ナカゴー、ほりぶん……挙げるときりがない。今月はずいぶんと前から楽しみにしていたことが一気に消滅、ぽっかりと胸に穴が開いた気分でまいにちを過ごしている。

 状況は混沌としていて、近所のスーパーからトイレットペーパーやハンドソープが無くなるなど、全く理解できない現象も起きている。職場の近くのドラッグストアでは、開店前にいつも同じおばあちゃんふたりが、「トイレットペーパーは品切れです」の張り紙に動じることなく、律儀に並んでいる。入荷するかもわからないものに並ばなくてもだいじょうぶだから、だいじょうぶだから、いまは手洗いうがいをしっかりしておうちにいてと声をかけてあげたい。

    とにもかくにも自分にできることは手洗いうがい、花粉症の鼻詰まりを勘違いされないためのマスク着用を、これまで生きてきたなかで一番に徹底して行ってはいるものの、連日の中止、延期のしらせと、増えていく感染のニュース、またなかなか落ち着かない仕事にうんざりしているのか、脳はずうっと低空飛行だ。

 

    そんななか寺尾紗穂さんの新作には、心を救われている。詳細な感想は以下のリンクからどうぞ。

 

tacchi0727.hatenablog.com

 

寺尾さん本人にリツイートしていただいたため、多くの方々に閲覧していただき、恥ずかしさ半分うれしさ半分だ。

 

    この状況下でもおおくのアーティストが配信中継を行ってくれたおかげで、何とか心のバランスが取れている。Number Girlaiko、中村佳穂、カネコアヤノ、折坂悠太、いずれも非常に素晴らしかった。

 

    毎週欠かさず聴いている山下達郎のサンデーソングブックも支えになっている。なかでも「明るい山下達郎」というテーマのもと、過去のライブ音源をたくさん聞かせてくれたことは、本当にうれしかった。こんなときに聴く「いつか someday」ほど、胸に訴えるものはない。

 

    ほかの音楽事情だと、U.S. Girls、Kevin Krauter、Sorry、Waxahatcheなどをよく聴いている。RYUTiSTの新曲「ナイスポーズ」もいい。何といっても柴田聡子さんが作曲しているのだ。

 

    最近は演劇熱が高かっただけに、たくさんの公演が中止になりやるせないのだが、この期間に観た演劇はどれもすばらしかった。

 

    まず、ゆうめい「弟兄」。演出家である池田亮さんが自身のいじめられた体験をもとにした作品だ。2017年初演で、今回が再再演となる。

    特筆すべきは演劇ならではの役のスイッチングだ。前半部分では、語り手となる池田亮さん役を中村亮太さんが演じ、中学生時代の池田さんを古賀友樹さんが演じる。そして後半部分となる高校生以降では、中村さんは池田さん自身を演じ、古賀さんは高校時代に出会った同じいじめられてきた体験を持つ「弟」(ふたりは兄弟みたいだと周囲から評されたことが理由となっているネーミング)になる。役が切り替わることによって、観ているこちらは兄弟のようだと評された二人の人物像が密に結び付けられていたことを、見て取ることができる。

    しかし高校卒業後、「弟」は自殺してしまう。かれの葬儀の帰り道、かつてのいじめっ子と再会する。いじめっ子がモラルに欠けた発言を繰り返すことに語り手は激昂、その後取っ組み合いになるのだが、ここで死んだはずの「弟」が現れる。BGMは「弟」が学園祭でほんとうは踊りたかった東京事変「女の子は誰でも」。舞台内現実と舞台内想像が融和し、死んだはずの「弟」がいじめっ子に制裁を加え、ジャイロボードに乗って踊り続ける。その光景をみた瞬間、涙ぐんでいた。「弟」は亡くなってしまっても、この作品のなかで生き続けている。そのはかなさとうつくしさにおおきく心を打たれた。

   そして自分は中盤に「兄弟」と呼ばれたふたりがコンビニで買い食いをするなんてことのない日常の場面を思い出す。あの光景もとてもよかった。本当に見れてよかった演劇だった。

    という観劇体験があり、演劇への熱は上がりっぱなしだ。

 

    小田尚稔「是でいいのだ」も観た。震災が起きた日に、それぞれが大なり小なり問題を抱える5人のモノローグ。あのときあの場所で、人間の心にどのようなうごきがあったのかを、考えさせる重要な作品だと感じた。体験と記憶が入り混じり、舞台上の時間軸は歪だが、過去といまここを結びつけることで人間の普遍の生活が丁寧に描かれており、とてもよかった。

 

   玉田企画「いまが、オールタイムベスト」も観た。結婚式前夜、避暑地でのドタバタ人間模様。本音と建前を行き来するコミュニケーションのおかしみと、それをバチっと演じる演者さん全員の演技がとてもよかった。

    なかでも、自身の父親が再婚することに複雑な思いを抱える中学生役を演じていた玉田真也さんがすごかった。どもり気味に父親へ感情を吐露する演技には感嘆。笑いあり、思考ありの作品で、再演してくれたことに感謝である。

    どれも過去の作品の再演だったのだが、絶対に新作公演も追い続けようと思った。

 

    そして家にいることが多いことから、ラジオ熱も高い。なかでも空気階段の踊り場は、最近抜群に面白い。かが屋の加賀さん宅にもぐらさんが泊まりに行く回は、加賀さんがもぐらさんの足を嗚咽しながら洗い、(そしてそれがマイクの故障により録音されていなかった!)その後ふたりで一緒にお風呂に入る場面は、聞くだけでも面白いが、画を想像するとさらに面白い。その後のプロポーズが失敗した加賀さんのいまのすなおな思いを聞き泣いてしまうかたまりさんや、寝る前にくさい決意を加賀さんに語るもぐらさんなど、何だかこちらもウルっときてしまう展開もあり、最高だった。

    この回のあとも、北野映画っぽい話のコーナーでリスナー同士の神がかった投稿が続くことも最高だ。こちらはネタバレしたくないので、ぜひラジオクラウドで聞いてもらいたい。

 

    ふりかえると上京1年目、社会人1年目も終わろうとしている。正直な話をすると、社会人はこんなにしんどいものなのかとつねに思う日々だった。つねに人から評価されている雰囲気に苦しくなったり、本音と建前の使い分けがうますぎる社内の方々をみて恐ろしくなったり、変に気を遣う場面が多くて心も体も疲れてしまったり。だけど、何とかやってこれたのは、自分のだいすきなものごとや周囲のひとたちとのかかわりであったなとつよく思う。また、こうして書いていると、書く行為そのものが自分にとってたいせつなことなのだともつよく感じる。散々言ってきたかもしれないが、もうすこし定期的にインターネットの海に文章を放り投げる必要がある。

 

    最近はまいにちすこしづつ樋口由紀子編著の『金曜日の川柳』を読み進めている。帯文にあるような「どうして、こんなことをわざわざ書くんだろう。」は抜群のキャッチコピー。おかしさのなかにも、心を踊らされる句がたくさんつまっていて、日々の楽しみになっている。そんななかでも自分の好きな一句を紹介したい。

 

楽しいにきまっているさ曲がり角

(高瀬霜石)

 

なんだかいまの自分や周囲の状況にややシンクロしている気がするかもしれないが、いま目の前にある曲がり角の先が楽しくなるように信じて、日々行動していきたい。

 

寺尾紗穂『北へ向かう』

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寺尾紗穂 - 北へ向かう

 

 ひとりでありながら、ひとりではない。生きとし生けるものがゆるやかに繋がり、向き合い、日々を暮らしていくこと。わたしたちがいまを生きるうえで必要なことが、11曲のなかに含まれている、そんなことを思わせてくれる。

 

 3年ぶりとなる寺尾紗穂の9枚目のアルバム『北へ向かう』は、寺尾紗穂の伸びやかな歌声とピアノの響きにおおくのミュージシャンが参加することで、本作でしかなし得ないゆたかさ、ポリフォニーを獲得した作品だ。精選されたサウンドを聴くと、フォーク、民謡、童歌などの音楽ジャンルがあたまを過るが、これらの言葉だけでは形容しがたい奥行きと深さを、聴けば聴くほど身に染みて感じるようになる。

 

 作品のはじまりとおわりで歌われる「夕刻」と「夕まぐれ エレクトリックギターバージョン」では、GEZANのマヒトゥ・ザ・ピーポーが、歌とピアノに寄り添いながらエレキギターを鳴らす。この構成と同じように「一羽が二羽に」では、寺尾の歌とピアノに池田若菜のフルートが、「記憶」ではU−zhaanのタブラが、一対一のコミュニケーションをとるように演奏に参加する。

 ひとりとひとりが向き合って音を鳴らす。そこから生まれる音像は言葉にすれば失われてしまいそうなほど広く広くひろがっていくことに、すなおな感動をおぼえる。

 

 もちろん他の楽曲で奏でられるバンドサウンドも素晴らしい。

 2018年にリリースされた『冬にわかれて』でおなじみの伊賀航(Ba)とあだち麗三郎(Dr)が参加した「君はわたしの友達」、「選択」、「心のままに」では、ずっと聴いていたいと思わせてくれるバンドアンサンブルに満ち満ちている。 

 蓮沼執太が編曲に参加した「やくらい行き」では、蓮沼の土笛、ゴンドウトモヒコのユーフォニアムとフリューゲンホルン、千葉広樹のバイオリンが楽曲世界へと引き込んでいく。

 キセルが編曲と演奏に参加した表題曲「北へ向かう」では、父である寺尾次郎との別れが歌われる。ひとりで歌うと「感情でいっぱい」になるというこの楽曲を、「淡々と開けた場所に持って行ってくれる」気がしてキセルのふたりに楽曲への参加を依頼したという。*1その思いが如実にあらわれているように、個人の切実な体験に他者の音が調和することで、独特の軽やかさと情感が想起される。

 

僕らは出会いそしてまた別れる

叶わぬことに立ち止まり祈る

日々生まれゆく

新しい愛の歌が

あなたにも聞こえますように

 

「北へ向かう」

 

 無常観の先にある、もういなくなってしまったものに思いが届いてほしいという切なる祈り。寺尾のいのちへのまなざしが凝縮されたような、そんな詞だ。父の死が題材の楽曲ではあるが、このフレーズには作品全体を通底する生命への愛情のような何かが感じられる。

 

 詞に関しては本人も述べるように「いのち」を歌ったものが多い。*2特筆すべきは、一曲目「夕刻」に石牟礼道子の詞が用いられていることだ。

 本作を聴いておもいだしたのは、石牟礼道子のエッセイ「花の文をーー寄る辺なき魂の祈り」だ。列車事故で亡くなった弟、水俣病と向き合った人々、そして母。かれらの語りや所作を石牟礼道子は自らの言葉でつないでいく。かれらの生命を思いかえし、語りながら、本エッセイはこのように締め括られる。

 

 忘れられない死者たちのことを書き綴ってみたが、人間というものは、限りなく美しい世界を求めて真摯に生きているのだと、あらためて想う。わたしはずうっとそういう死者たちとともに生きて来た気がする。*3

 

 微かな声や小さな動きに宿る美しさ。石牟礼道子が語った言葉と交信するような詞世界が、『北へ向かう』にもあらわれていると感じる。「やくらい行き」で歌われる山と里に別れてしまったふたりの物語。この楽曲では、その後薬師如来となったひとりと神になったひとりが歌われ、伝承の世界へと結びつく。続く楽曲では、「安里屋ユンタ」という竹富島の古謡がカバーされることも納得できる。こうしたモチーフは石牟礼作品とも通じる点がある。

 加えて、いまここにいないものたちのことを歌うだけでなく、空を舞う鳥(「一羽が二羽に」)、まだ出会っていないもの(「君は私の友達」)まで包み込み歌うことにも結びつけられるだろう。

 

一羽が二羽に

寄りそうだけで

ただそれだけで

 

うらやましくて

美しくて

涙が出そう

「一羽が二羽に」

 

 こうした寺尾のまなざしは、いまを生きる多様なゲストミュージシャンの音と共鳴し、聴き手にそっと寄り添い、視座を与える。それは冒頭にも述べたように、生きとし生けるものすべてを愛でるまなざしなのではないだろうか。混沌とした空気が周囲を包む2020年に、前方をそっと照らしてくれる、そんな大切な作品だとつよくつよく思う。

 

*1:店舗購入特典のエッセイより

*2:店舗購入特典のエッセイより

*3:石牟礼道子「花の文をーー寄る辺なき魂の祈り」『花びら供養』p.16、平凡社、2017

半分(1/23〜2/25の雑記)

 飲み会帰りに最寄り駅、もしくは最寄り駅の前後の駅に降り立ったとき、ひとりでもう少し飲みたい気分にふとなる。家でひとり飲み直すのもいいけれど、ちょっぴりさみしくもなるので、ここは思い切ってひとりでどこかのお店に入ろうかしらんと商店街を右往左往。

 赤い提灯が店前を照らす焼き鳥屋、橙色のライトがほんのりと灯るバー、外見だけではどんなお店なのかさっぱり検討がつかないお店など、居住区付近は案外こうしたスポットにあふれていると、歩きながら実感する。しかし、なかなかひとりで入る勇気が出ない。店員さんが忙しなく動いていたりすでにいる客とお喋りをしていたりすると、そこにふらっと自分が混じることで場の空気がやや変わってしまうことが恐ろしく、なかに入れない。結局どこにも入ることができないまま、帰り道のコンビニでお酒と適当なスナック菓子を買って家に帰り、だらだらNetflixかプライムビデオかTVerを観ながら飲酒、そのまま寝落ちしてしまう。そんな時に限って翌日にかなりお酒が残っているので、どうしたものかしら。

 そのような行動を3回ほど繰り返したあと、ついに自分のなかの決心がついたのか、家でひとり飲むことのさみしさに耐えきれなくなったのかは定かではないが、ようやくひとりでお店に入ることができるようになりました。成長をひしひし感じている。

 3回ほどひとり飲みに挑戦しているのだが、どこもいいお店ばかりで一安心している。うち一軒はすでに何回かリピートしている。店員さんを起点にその場にいるお客さん同士でおしゃべりをする機会に恵まれているのだが、そこで知らない人と話すと心のどこかがさっぱりとする。普段は下っ端会社員としてそれなりに気を遣っているからなのか、純粋に人との会話を楽しめているような気がする。これはお酒の力とはまた違う作用で、場の雰囲気だとか適度にリラックスした状態だとか色々なことが要因だと思う。そんなこんなで終日勤務のち飲酒を行っていたところ、ほとんど雑記を書けない状況に陥ってしまった。

 

 思い返せばこの期間はたまに行う飲み歩きだけではなくて、友人たちとの再会などもありかれらとの時間が非常に充実していた。

 大学の後輩が東京に遊びに来て、ラジオイベント三昧の日々を過ごしたことも記憶に新しい。「Creepy Nutsオールナイトニッポン0」のイベントをライブビューイングで楽しんだり、オールナイトニッポンの脱出ゲームに挑戦したり、空気階段が出るヨシモト∞ホールのお笑いライブを観たり、ラジオエキスポに行ったりした。

 どれも非常に楽しかった。Creepy NutsのANN0は最近聴けてなくて存分に楽しめるのか正直不安だったのだが、自分が大好きな大エドシーランのコーナーがあり、劇場で大爆笑した。後輩曰く最近はあまりやってなかったとのことで、久々披露の場に立ち会えてうれしかった。それとZeebraさんがサプライズ登場して会場は沸きに沸いたのだが、盛り上がるR-指定とオーディエンスの姿とは異なり神妙な面持ちで佇むDJ松永の姿が最高にキュートだった。

 ラジオエキスポは予想を超える人の多さでそれだけでやや疲れてしまったのだけれども、「ハライチのターン」、「たまむすび」、「爆笑問題のカウボーイ」観たものすべて楽しむことができた。

 「ハライチのターン」イベントでは、最近ラジオで話題になっているマックのダブルチーズバーガーが好きという澤部さんを岩井さんがコスパ等の問題で冷笑するくだりや、「ノリノリのターン」で披露されている「のりーっす!」という掛け声を岩井さんが何度も続ける流れが面白かった。坂下千里子をゲストに迎えたトークもなぜか坂下さんのファーストシングルが随所に流れるなどして良かった。

 「たまむすび」は独特の緩さがあってお昼にぴったりだった。なかなかリアルタイムでは聞くことができないけれど、興味を抱いた内容だった。「たまむすびクイズ」のコーナーでは、博多大吉先生が番組内容とは全く関係のない、どちらの手に飴が入っているかというクイズを出題してして、この人流石だ……!と仰天した。

 「爆笑問題のカウボーイ」では太田さんのテンションの高さと田中さんの対応のうまさを生で見ることができた。特に楽しかったのは、アルコ&ピース、うしろシティ空気階段が登場した本イベントならではのコーナーだった。三組の秘蔵ネタも披露された。空気階段はかたまりさんの彼女とその家族がネタライブに来たとき披露されあまりのド下ネタっぷりに気まずくなったというトイ・ストーリーパロディ(大人のおもちゃ版)をやってくれて、「踊り場」リスナーの自分は歓喜。アルコ&ピースはTHE MANZAIで披露された伝説のネタ「忍者」を応援上映のようなスタイルで行うという流石のキレキレ度合い。あっ、うしろシティのコント「アイドルオタク」も面白かったですよ。そのあとの即興ラジオのコーナーでは、爆笑問題・田中さん(ウーチャカ)とアルピー・酒井さん(チャンサカ)コンビの駄弁りにほっかりしました。

 

 非常に充実した連休を過ごすことができ、エネルギー満タンの状態で仕事に向かう。連休明けはじめの業務の日、派遣さんとふたりで作業する時間があった。休日は何をしていたのかという当たり障りのない話題を話しており、自分は正直に「イベントに行きました……ラジオの……」と伝えたところ、何とその方が熱心な「たまむすび」リスナーだったことが判明した。ラジオ話で大いに盛り上がり、それまで特に話していなかったその方との距離がグッと縮まった気がしてうれしかった。

 やはり好きなものは好きと声に出したほうが良いのだ。押しつけは良くないけれども、自分の好きなものを誰かが同じように好きでいてそれをきっかけに色々な交流が生まれたり、また自分のしらない他人の好きを体感してみるとものすごく自分の感覚にぴったりだったり(まれにそうじゃないときもあるがそれもそれで良い)、そうすることで自己の領域、もしくは可動範囲がぐわっと広がっていくようでたのしい。

 

 その流れで好きなものについて、さらにつらつらと述べていく。今月はあまりライブには行けなくて、唯一訪れたのは平賀さち枝さんとHome comings・畳野さんのインストアライブだ。

 ふらっと開始時間少し前にココナッツディスク吉祥寺店を訪れたのだが、すでにたくさんの人の数。全く中に入れる気がしない。ただこのまま帰るのも何だか悔しいなと思い、平賀さち枝さんが歌う姿を外から眺めながら、ホムカミ・福富さんのインスタライブで音声を聴くというちぐはぐなライブ体験をした。それでも「江の島」はとってもいい曲だった。

 畳野さんの番になったところで会場スペースが拡張され運良く中に入ることができた。ホムカミの曲はもちろんのこと、この日はHi,How Are You?「NIGHT ON THE PLANET」やサニーデイサービス「江ノ島」のカバーも披露されて、本当に来て良かったと実感する。

 そしてお二人揃って平賀さち枝とホームカミングスの楽曲を披露。新しいシングルはどちらの曲も好きだけれど、そのなかでも平賀さんが作曲した「New Song」が特に気に入っている。アコースティックで聴いても良いだろうなと感じていたが、この日にそれを聴く願いが実現して嬉しい。大名曲「白い光の朝に」や「カントリーロード」もようやく生で聴くことができ、大きな活力をもらった水曜日の夜だった。

 

 この期間によく聴いていた新作の音楽は、pinegrove『marigold』、Andy Shauf『The Neon Skyline』、GEZAN『狂(KLUE)』、Tame Impala『The Slow Rush』、King Krule『Man Alive!』、Puur『Like New』、Tennis『Swimmer』、NardeydeyのEP、cero松木美定、リーガルリリー『bedtime story』、The Homesick、Shelter boy……こうして書くとキリがなくなってくるが、要するに2020年も良い音楽がたくさんだ。

 特にGEZAN、Andy Shauf、King Krule、Purr、Shelter boyが気に入っている。

 

 映画もたくさん観た。今年公開の映画だと、『ジョジョ・ラビット』、『ロング・ショット』、『ラスト・レター』、『1917』。特に『ジョジョ・ラビット』の登場人物すべてが大好きだ。Netflixでは『セックス・エデュケーション』を観る。シーズン2もますます面白さが加速する。

 

 こうなってくると本当に心に刺さったものは個別で何かまとまった感想を丁寧に書いておきたい気持ちになる。そう思って、ブログの下書きには書きたいものの名前を題名にした下書きがいくつか作成されているが、いまだに言葉の断片が散らばっているだけなので早いうちにまとめることができたらよいと考えている。

 

 ちなみにだが、漫画だとオジロマコト『君は放課後インソムニア』や平庫ワカ『マイ・ブロークン・マリコ』、本全般だと梯久美子原民喜』、シーグリッド・ヌーネス『友だち』、町屋良平『坂下あたると、しじょうの宇宙』などが良かった。

 

 そして今年初の観劇は、ロロ『四角い2つのさみしい窓』だった。最終公演を間近に控えた劇団の物語と旅行中のカップルの物語が交錯していく本作は、人間、というよりももっと概念の大きい世界の境界をぐらつかせるものだった。衣装を変えることで役はスイッチングされ、演者は舞台演出を柔軟に可変させ作品世界を操る。作中の二つの物語だけでなく、人と人、この世とあの世の境界を情緒で軽々駆け巡るような、そんな素敵なお芝居だった。また、Enjoy Music Clubの江本祐介さんによって作曲された劇中歌のフレーズがなんとも印象的だ。

 

向こう側でも こっち側でも 等しくパーティは鳴っている

バラバラのステップ から生まれた 様々なフレーズ

にせもののステージ にせもののシューズ にせもののラブリー

これがあたしの宝物

 

そして作中では川本真琴「1/2」が大きな役割を担っていた。帰り道、彼らの物語、動き、声を脳内で反芻しながら京王井の頭線の車内でさまざまに思いを巡らした。

 

 世間では感染症の広がりの影響で、どんよりとした空気が広がっているように思う。ロロの演劇を観た後、普段使う電車、これが滅多に座ることができない激混み路線なのだが、たまたまお休みだった平日のお昼に座ることができ、窓の外から景色を眺める。都心に向かうまでの景色を改めて眺めると、住宅街が地平に広がり、その上をだだっ広い空が突き抜けていた。街の広さ、そしてそこに生きる人々の数が多いことを改めて思い、はやく各々が重い気持ちを振り払い、皆でお花見でもできればいいのにと考えたりした。

「消光」

 一歩踏み出したとたん、次に身体のどこをうごかせばいいのかわからなくって途方に暮れる。足元に障害物はなにもないはずなのに、身体は動かない。視界の左側からは、月の光と歩道を照らす街灯のあかりが混じり合って、こちらにのびてくる。傍に生えている雑草は、そのあかりをもってしても、なんの植物かはさっぱりわからなかった。

 ものごとをつねに疑う姿勢を大切にしろと言ったのかは誰だったのだろうか。それすらもわからなくなって、わからないことだらけで動けなくなったまま、秋が終わって冬が過ぎ春がきた。

 花が芽吹いている臭いと気温の上昇で、春を実感した。それでもここから動くことはできなかった。

 右側から細身で長髪、白いTシャツの上にグレーのカーディガン、緑のカーゴパンツにボロボロのコンバースオールスターを履いた男が近づいてくる。なにしてんだよ。一言述べた男は右手で路傍の花をちぎり、こちらに渡してくる。

 またしてもわからない。かれが何者なのかを思い出すには時間が経ちすぎてしまったし、かれにどんな一言をかければいいのか、というよりもどうすれば声を出すことができるのか、それすらもわからない。

 周囲の花の香りは勢い増して、すぐに衰え、雨が続く日々がおとずれた。今年の河川はいつにも増して増水している。すこし立つ波は茶色く濁って、そのまますべてを流してしまうようで、恐ろしかった。

 

散歩(1/16〜1/22の雑記)

 いまさらになって、小袋成彬が昨年リリースしたアルバム『Piercing』をよく聴いている。当人が発言しているように、ピアスを空けるようなノリで製作されたという本作は、すこしの背伸びとそれに伴う肉体的な痛みが共存しているような作品だ。聴きつづけているのは、曲間のシームレス構成や12曲32分という長さなどに代表されるように、全体としての風通しが心地よいから。また多くの客演アーティストがいることもひとつの理由になるだろう。加えてほどよくあたたかい今年の冬という気候的要因も影響し、会社に行く道中で流している。

 特に「New Kids」という曲がお気に入りだ。叙情的なピアノの音色からはじまり、Kenn Igbiのラップとビートが絡み合っていく。そして「待って なんか今日が空が青くね?」と歌いはじめる小袋の歌詞は、周囲の人々から自然の描写へ、さらに「今もどこかで生まれてる」誰かへと広がっていく。その後、曲間に挿入される「たまたま入ったカレー屋がめちゃめちゃ美味しかった」という些細な会話が、日々見過ごしてしまいがちな日常のかけがえのない情感をひきたたせる。

 遠い英国の地で製作された作品で歌われていることが、現在自分が暮らしている街においても尊重すべきことにつながった、それにたいして素直な感動が生まれる。

 

 GEZANのニューアルバムから先行公開された「東京」という曲も、自分に思考と問いかけを与えてくれた。昨年観たライブでも幾度か演奏されたこの楽曲は、ひりひりとしたサウンドに日常を生きることへの切なる想いが同居していて、聴くたびに身体の内部から突き上がってくる何かがもたらされる。悲痛な現実を描く詞に呼応するように鳴る歪みと、「花を見て笑う 好きな人の顔」「君と歩く いつもの帰り道」を求める歌詞からもわかるように、すなおな心象が表現されている。この楽曲のパワーが、もっと広く広く届いていけばいいと感じている。

 

 MOMENT JOON「TENO HIRA」のミュージックビデオも公開された。抑圧されて声をあげることのできないものすべてに力を与える楽曲だ。昨年観たライブでは、この曲を聴いている皆がMOMENTに向けて、それぞれのてのひらを見せていた。その光景が今でも忘れられない。あのときその場にいたひとたちは、いまごろどこで何をしているのだろう。

 

 毎朝毎晩、行き帰りの途中や電車のなかでさまざまな人とすれ違う。自分は比較的空いている車両が何号車か察しがついているので、いつもほぼ決まった時刻の決まった電車に乗る。それでも毎日見る顔はてんでばらばらだ。その顔それぞれに固有の時間がながれている。たまたま同じ電車に乗ったというだけで、各々の時間が交錯することが不思議でしようがない。

 そんなことを考えるきっかけとなったのは、シャーウッド・アンダソンの『ワインズバーグ・オハイオ』とスチュアート・ダイベックの『シカゴ育ち』を読んでいたかもしれない。前者が1919年に出版されたオハイオ州の架空の街を舞台にした作品、後者が1990年に発表されたシカゴを舞台とした作品だ。年月は違えど、どちらの作品も街を生きる人々の生や内面をじっくりと掘り下げていく。言葉を追いながら、街とともに生きた人々の精神に触れ、彼らに愛着を抱くことができたのは何よりもうれしい。まさにクラシックといえる作品で、今後何度も読むことになりそうだ。

 

 この期間の週末は、ミツメ主宰のイベント「WWMM」(わくわくミツメまつり)に赴いた。ラインナップだけで期待の高まりはおさえきれない。

 恵比寿リキッドルームに到着して、友人とビールで乾杯。Homecomingsを観る。去年のライブ納めはHomecomingsで、今年のライブはじまりもHomecomings。なんて幸せなんだろう。地方にいたころ、あんなにもライブが観たいと切望していたのになかなかチャンスに恵まれなかった数年前の自分に「もう少し辛抱すれば、たくさん観れるよ」と伝えたい。かれらのバンドアンサンブルはライブで聴くとその力強さを実直に感じることができる。個人的にかれらの醍醐味だと感じているコーラスワークとリズム隊の安定感は、ライブだからこそより伝わるのだと思う(もちろん畳野さんのギターボーカルと福富くんのギターも最高)。

 いいっすねのきもちで、ビールをもう一杯。KATAは入れそうにないので、しばらくリキッドにいることにする。

 そして、んoonのライブを観る。これがもうとんでもないライブだった。ボーカル・Jesseさんのグルーヴィな歌声、タイトな演奏、彩りを与えるハープの音色。かれらの演奏が続けば続くほど、己の身体が熱を帯び、また周囲にも静かな熱狂が生まれているのを強く感じた。近くに居たミツメのnakayaanさんがノリにノっていたのもまた良かった。

 あまりにもんoonのライブが素晴らしかったので、次はジーマに手を出す。3種類あるなかで一番アルコールが高いもの。今日は少しだけお酒が入ったほうがいい。相変わらずKATAには入れない。

 続いてはtofubeats。実はライブを観るのははじめて。改めてtofubeatsが作る楽曲はいいものばかりだなと、横に揺れながら強く思う。ミツメ「エスパー」の8bitバージョンからの「水星」には、嬉しくて声が出る。

 SaToAも気になるところだが、もはやKATAには入れそうにないので、バーカウンターでジーマのお代わりをする。出店されていたLUKE'S LOBSTERのサンドを食す。美味かった。

 続いてはトリプルファイヤー。こちらもライブを観るのははじめてだったのだが、ボーカル吉田さんのぼやき(?)のような歌と、それを支えるムキムキの演奏が印象的で、気分は跳ねに跳ねた。新曲が多かったような気がする。もし合っていたとしたら、新作への期待が高まるライブだった。

 ダメ元でKATAに向かうと、なんと入場することができた。in the blue shirtのライブを観る。年末に作った曲を披露しますという一声からはじまったのは、ミツメ・川辺さんがゲストボーカルを務める新曲。これがin the blue shirtのエレクトロサウンドに、川辺さんの歌声が絶妙にマッチしていて、はやく正式音源を聴きたいきもちでいっぱいになる楽曲だった。余談ではあるが、このステージを見ているとき、近くにtofubeatsさんとimaiさんがいた。自分も平均よりは身長が高いため、KATAの入り口付近でデカい3人組が自然と揺れ動く壁を作っていることに気づいた。

 友人が諸用で抜ける。自分はもうお酒はいらない。

 そして主宰のミツメ。音源の洗練さを微熱で保ちつつ、ライブならでは肉体的な演奏(特にリズム隊のふたり)で素晴らしかった。「エスパー」は本当に名曲だと改めて感じる。アンコールで披露された「煙突」で、ほろ酔いの自分は白煙をあげる煙突になった。

 リキッドルームを出ると、すっかり暗くなった景色に、喫煙所から香るたばこの匂いと、ビル街に漂う肌寒い外気が入り混じっている。狭い空間から外に出るとき、都会の建物の高さを実感するのは、とりわけこの会場でライブが行われたときだ。ほくほくしたきもちで別の友人と合流し、改めて飲みに出かける。道中のサンマルクカフェのディスプレイが故障してて、チカチカ光っていた。映画とかでよくある嫌な予感の前ぶれかと思ったが、そんな因果は存在せず、その後も楽しく朝まで飲み歩いた。

 

 あとはというと、会社の先輩に「taichiくんは絶対に『男はつらいよ』シリーズが好きだから観たほうがいい」と言われたのをきっかけに、Netflixで寅さんを見ることに夢中になっている。そして最近友人の間でハマっている率が高いハロプロにも、ようやく理解が追いついたかもしれない。特にJuice=JuiceとアンジュルムをよくYoutubeの公式チャンネルを通じて鑑賞している。アンジュルム佐々木莉佳子さんと上國料萌衣さんに目をひかれる。ハロコンというものにも一度足を運んでみたいものだ。