魂のダンス

音楽、本、映画などを絡めた雑記

「ビヨンド・ザ・ファイヤ」

 商店街を自転車で駆け抜けていく。ボコボコのかごに入れた買い物袋には、スーパーの惣菜コーナーで買ったあんかけ焼きそば、オクラのネバネバサラダ、ビールが三缶入っている。凹凸の道を走ると、袋の中のビールがガタガタと揺れる。開けたとき溢れないようにするためにも、そろりそろりと運ばなければならない。駆け抜けるのを止して、いつもの0.6倍程度のスピードで自転車をこいでいると、後ろに子を乗せた女性やキャップを被ったおじいさんに次々と抜かれていく。けれども、そんなことは全く気にしていない都々逸であった。彼にとって、ビールを机にこぼして余計な掃除を増やさないことが重要だった。シャンプーの容器の水垢を許さないほど、潔癖症だったのだ。

 商店街の出口付近までたどり着くと、炭火で肉を焼く匂いがただよっている。一旦自転車を停めて周囲を観察すると、出口から数えて手前四軒目にあるお店からのようだ。蔓延している感染症のためか、焼き鳥屋さんが店頭でお持ち帰り用の炭火焼き鳥を調理している。

「焼き鳥いかがですか」

 店頭に設置されたバーベキューコンロで肉を焼く店主と女将さんが、行き交う人々へ呼びかけている。都々逸は焼き鳥を久しく食べていなかった。居酒屋に行く機会も減り、就職活動が続いていたこともあって、普段の食事のほとんどはコンビニ弁当で適当にすませていた。そもそも潔癖症なので、居酒屋では、人の箸がついた料理を食べられない。友人に連れられて店に入るときにはいつも、食事ではなく瓶ビールで腹を満たしていた。

「うまそう」

 ついつい口に出てしまった。路肩に自転車を停め、店頭の様子をうかがう。さきほど自転車で抜かされたお爺さんが、店頭で焼きたての焼き鳥を受け取っていた。おじいさんの自転車のかごには、ワンカップ大関が入っている。やる気まんまんだ。近くだと若干煙たいが、ますます食欲が湧く匂いがたまらない。もしものときの雑談のネタになるし、これを買っていくのはいいアイデアかもしれない。都々逸が買い出しをしているのには理由があった。内定先で開かれるオンライン懇親会に参加するためだった。

 

星風大学

都々逸薫様

 

株式会社ウェル・スマート 採用担当の宝稔です。

(中略) 

内定者の皆様に弊社のことをさらに知っていただきたいと思い、

先輩社員からの業務説明会と、懇親会を行おうと考えております。

このご時世ですので、どちらもオンラインで開催を予定しております。

以下、概要を記載いたしますので、参加いただける場合は、ご連絡いただきますと幸いです。(後略)

 

 就職活動などやる気はなかったし、そもそも真面目に働かないで生活できないかと考えていた都々逸だったが、内定先を見つけないとこれまでの仕送りをすべて返済させるという父親からの圧により、嫌々ながらも就職活動に取り組んだ。やる気がないのを見透かされていたのだろうか、ほとんどの会社からお祈りされたものの、理由もわからないままスムーズに選考の進む会社があり、そこから内定を得た。

 公式ホームページのトップには「次世代の健康に向けて」という企業理念がデカデカと表示されているが、要するに今後進んでいく少子高齢社会において、年長者の健康を支援する事業にこそ資本的価値があり、機器メーカーなどと連携を組んで商品を開発し、ユーザーに提供することでガッツリ儲けようじゃないかということだと、都々逸は曲解していた。その会社というのが、内定者向けのオンラインイベントを企画している。

 午後一時からはじまった業務説明会では、やったらめったら先輩社員が登場して、自らが行っている業務とはなにか、それがいかにやりがいがあるかを力説していた。就職活動時に簡単に調べた事業内容や事前に予想していた話とたいして変わらず、都々逸にとっては退屈だった。はじまる前から退屈だったのだが。

 説明会のさなか、都々逸は、今日は何を食べようか、ということばかり考えていた。午後三時に説明会が終わる予定で、七時からはじまる懇親会までに、買い出しへ行く余裕がある。五千円以内で飲食物を購入し、そのレシートを郵送、もしくはPDF化して会社に送れば、後日指定口座に代金が支払われるとのことだったので、どれだけ豪勢な食事をしてやろうかと、都々逸はずうっと考えていた。しかし、結局購入したのは、あんかけ焼きそば、オクラのネバネバサラダにビール(三五〇ml)三缶のみだ。しかも、オクラのネバネバサラダは三割引のものだ。都々逸は潔癖症なだけでなく、吝嗇だった。

 

 せっかくなので久しぶりに焼き鳥を食べよう。意外と値が張る焼き鳥だから、会社の金で飯が食える機会にたくさん買ってやろう。まずは王道のもも、皮、ねぎま。普段食べないやつも食べよう。豚レバ、ししとう、ハツなんかも頼みたい。あわわわわ、これはもう焼き鳥だけでお腹がいっぱいになりそうだ。あんかけ焼きそばとオクラのネバネバサラダは明日の夕食にしよう。

 都々逸は、店頭で鳥を焼く店主と女将さんに、自分が食べたい焼き鳥の名前をたくさん伝えた。はいよ、といって店主と女将さんが力を合わせて鳥を焼きはじめる。目の前で焼かれると、食欲がますます湧いてくる。出来上がった焼き鳥を受け取った際に、レシートも忘れず要求した。女将さんは

「若いのにレシート集めるなんて偉いね!」

と言った。日頃からレシートは欠かさずもらい、家計簿アプリに記入する都々逸ではあったが、今回は御社に送るためだった。しかし、いちいち説明するのも面倒だったので、

「うっす」

とだけ返事をした。女将さんには、若い学生が恥ずかしがっているようにしか見えなかった。

 レシートを見ると、


 健康のため焼鳥の

   食べ忘れに注意しましょう

 

と書いてある。店頭で買った焼き鳥を食べ忘れるやつなんているのだろうか。賞味期限を厳格に死守する都々逸には、にわかに信じられない注意書きであった。

 

 オンラインでの懇親会は案の定だった。簡単な自己紹介、買い出しの時間に何を買ってきたのか、大学では何を専攻しているのか、出身はどこか、就職活動が終わってどんな生活をしているのか。先輩社員らの質問に適当に答えて、適当に頷いておけばいい。普段なら退屈でしかたない都々逸であったが、今日は焼き鳥を買ってきたので気分がよい。なんせ焼き鳥がうまい。個人で営んでいるお店だからか、肉も大ぶりで食べごたえがある。特製のたれもコクがあってずば抜けておいしい。しょっぱいながらも、後味はあっさりとしている塩味もたまらない。Bluetoothのイヤホンから聞こえてくる会話をろくに聞かず、都々逸は焼き鳥を食べることに集中していた。そんなとき、第二営業部(どうやら企業向けの営業をする部署らしい)所属の先輩社員・T藤が

「都々逸くん、大学では何のサークルに入ってるの?」

と聞いてきた。先輩社員はそれぞれが自宅から参加している。T藤はお酒にあまり強くないのか、画面越しでもすでに顔が赤い。懇親会用に分けられたグループでは、先輩社員三名、都々逸を含めた内定者三名がいて、そのなかでも最も酔いが回っている様子だ。どうりでさきほどから、よく彼の話し声が聞こえる。

「お笑いサークルに入ってました」

「ええ、すごいじゃん。何かできるの」

「いえ、自分は演者ではなく、企画とか照明とかの裏方だったので」

「そんなこと言ってー。お笑いサークルに入ってたんだから、お笑い好きなんでしょ。何かあるでしょ」

 都々逸は、これだから懇親会などというものはめんどうくさいのだ、と思った。履歴書にはサークルでの活動を書いていたし、面接のときには裏方仕事の内容、そこで得た経験、醍醐味、それらで学んだことを御社の仕事でいかに活かせるか、を強めに脚色して喋っていたのもあって、ここで突然「いや、実はサークルなんて入っていないんです」などと嘘をつくことなどできない。だいたい、オンライン上で素人が芸などをやったところで、滑り倒すに決まっているじゃないか。そんなことも理解できないのか、このT藤というやつは。都々逸は、第二営業部には絶対に行きたくないと思った。でも、T藤のような人物だからこそ、うまく社会人としてやれているのかもしれないとも感じた。

「いやいや、面白いことはできないです」

「謙遜なんかしなくていいよ。ラフな場なんだしさ。面白くなくてもやってみてよ。自己紹介みたいなやつでも」

 都々逸は、しまったと思った。できないならできない、やりたくないならやりたくない、と強く言うべきだった。「面白いことはできない」などと、変に言質を取られるような発言をするべきではなかった。そもそもなぜ「面白いことはできない」などと婉曲なことを言ってしまったのだろう。もしかしたら、おれは内心ではここで一発ウケをとっておもしろいやつだと思われたいのだろうか。確かにサークルに入ってから一年間は演者志望だった。何人かとコンビも組んでみた。自分でもおもしろいと思っていたし、サークル内での評価もわりかし高かった。けれども、二年生になって演者から裏方に転身した。というのも、当時新入生として入ってきた「加藤シャーベット」の圧倒的なおもしろさの前に、都々逸は演者としての自信を失った。誰ともコンビを組まない孤高のスタイル、時事的な内容を軸に荒唐無稽、逸脱に次ぐ逸脱で危うさを演出しながらも、最後はギリギリのバランスで古典落語的オチに持っていくフリップ芸で、入学序盤から圧倒的だった。「加藤シャーベット」の才能を前にして、都々逸を含めた三名が自身のおもんなさに絶望して裏方へ転身した。「加藤シャーベット」にかなわなくて辞めたなどと思われたくないのもあり、都々逸は裏方仕事に徹したが、「加藤シャーベット」を軸にしたネタライブの企画は大学内外で評判となり、企画者の都々逸はそのことに少なからずよろこびを感じていた。

 うじうじ困っていると、T藤の発言にやや間をおいて、同じ内定者のW田が、

「都々逸さんの大学のお笑いサークルは有名ですよね、友人が見に行ったらしいです」

と余計なことを言った。すると他の参加者四名も

「すごーい」

「せっかくだから何か見たーい」

などと期待したかのように発言する。

 都々逸は恐怖した。しかし、都々逸は考えた。もしかすると。おれは自分がおもんなかったのではなく、「加藤シャーベット」があまりにも圧倒的なだけだったのではないだろうか。おれは一年生のときにそこそこ評価を得ていたコンビ「ビールと酢」のボケ担当だったのだ。そして裏方に徹したあとも、「加藤シャーベット」を支える形で、多くの新鋭たちの、珠玉のネタを間近で見てきた。二年時の冬に企画したライブにブッキングした六組のうちの先輩コンビの二組が、大学卒業後にプロになった。この二組はまだまだ日の目を見ないが、お笑いマニアの間では勢いのある若手として知名度が上がってきており、じきにかれらが活躍する可能性は高いだろう。「加藤シャーベット」もきっとプロになるにちがいない。そんな恵まれた環境のなかで、鍛えられたお笑いの力。潔癖症のためほとんど飯を食べれなかった居酒屋での打ち上げのとき、酔いにまかせて披露し、同期に褒められたアレならいけるかもしれない。普段の都々逸とのギャップがいい。コンビでボケをやってたころを思い出す。そう同期は言ってくれた。

 

「では」

「映画『アウトレイジ』での小日向文世のモノマネを」

 

何で頭を殴ったんだ? 何で頭を殴ったのか聞いてんだよ!

 

 画面上に一瞬ぽかんとした顔が五つ並んだ。そしてT藤が「ははは」と笑う声に続いて、ほかの四名も笑っているように見えた。都々逸には、イヤホンから聞こえる笑い声が、ビニール袋がガサゴソ鳴っている音にしか聞こえなかった。

「やっぱりあるじゃん、さすがだねー」

とT藤は褒めてくれた。

「いえいえ、そんなでもないですよ」

 うれしいのかはずかしいのか、自分でもわからなかった。その後、どういうわけか、話題は「感染症が落ち着いたら行ってみたい海外の国」へと切り替わった。都々逸は特に行きたい国などなかったため、話を聞くふりをしながら、再び焼き鳥を食べることに集中した。会話が二転三転するうちに、いつの間にか懇親会は終わりの時間となった。T藤は、直接会えたときは新ネタを見せてほしい、と都々逸に伝えた。都々逸は、うっす、とだけ応えた。

 

 Bluetoothのイヤホンを外すと、ユニットバスの換気扇が回る音だけが部屋に響いている。机には少しだけ残った焼き鳥とビールがある。ビールをちびちび口に含み、都々逸は、やっぱ働きたくないな、と誰も聞いていないのにつぶやいた。

 しかし、働かないと金銭に苦労することは間違いない。都々逸は今後について考えながら、ひとまず今は残った焼き鳥を食べてしまおうと思った。冷めたままでも、もも(たれ)はうまい。ハツはやや固くなっていたが、レンジで温め直すと再び美味しくなった。残りの焼き鳥も瞬く間に平らげてしまった。机の下に皮(塩)がひとつ落ちていたが、このときばかりは潔癖症の都々逸も床に落ちていることを気にせずに平らげた。なんだか疲れたので、都々逸はさっとシャワーを浴び、歯を磨いて寝た。次の日は昼過ぎに起きた。まだ疲れている気がする。ぼんやりとしているうちにやや肌寒い夕方になり、都々逸は散歩にでかけた。商店街へ向かって歩いていると、今日も肉の焼ける匂いがする。バーベキューコンロの前で、焼き鳥屋の店主が汗をかきながら肉を焼いている。

「いらっしゃい、焼き鳥いかがですか」

 店主は肉を焼きながら、こちらを見ずに言った。都々逸は何も考えずに、店主に声をかけた。

「弟子ってとってますか」

 

(了)

 

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SLOW FAST(2021年7月の雑記)

 12年間バスケットボールを続けた。そのため、スポーツを行うことも見ることも好きだ。とはいえ、好きとはいいつつも、現役生活も後半になると周囲には毎日「はやく辞めたい、はやく辞めたい」と愚痴っていたのだが、それでも途中で辞めることなく行い続けたのは根底に好きっていう気持ちがあったからにちがいない。辞めたいと思っていた理由としては、ほぼ毎日あった練習の拘束時間の長さ(散漫な性格なので色々なことを気分に応じてやるほうが性に合っている)はもちろんのこと、ガリガリなのでいくら筋トレをしても筋肉がひとっつもつかないことが挙げられる。また、チームスポーツならではの意思疎通も簡単にいくわけではなく、練習ひとつでも膨大なエネルギーを消費してしまう。

 しかし、自分の意図から遠くはなれた身体の動きができたときには驚く。そして、うれしい。ここだと思ったときにパスを出すと、ちょうどいいタイミングでチームメイトが飛び込んできてシュートを決めた瞬間は、何も言葉を発していないからこその高揚感がある。その瞬間を味わうためだけに苦行のような練習を行っていたのだろうし、それを行ってきたからこそ、この瞬間は訪れたのだろう。

 とはいえ、常にスポーツのことを考えていると気が狂いそうになるので、自分が競技者だったころはオフの時間にスポーツのことを考えたくなかった。現役を離れてしばらく経った今は、距離が離れたからか、ひとりの観客としてスポーツ観戦を楽しめるようになった。バスケットボール、特にNBA観戦を再開している。そこで自分の想像を超えるプレーを見ると熱くなる。最近だと、NBAファイナルにおいて、試合終了間近1点リードの局面、ミルウォーキー・バックスのヤニス・アデトクンボが見せたアリウープ・ダンクは凄すぎて頭を抱えてしまった。どちらのチームを応援するかだとか、どの選手を応援するとかではなく、個々人の身体の動きが予想を超える瞬間を逃さないために、自分はスポーツを見続けている。

 


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 しかし、オリンピックにかかわるニュースを見ていると、純粋にスポーツを楽しむ気分には到底なれず、鬱屈とした気分になる。特に人々の生活や人命をないがしろにしているようにしか思えないお上の発言や行動が腹立たしくてしようがない。ニュースを見るたびに、「馬鹿馬鹿馬鹿!阿呆阿呆阿呆!この唐変木!」と心のなかで絶叫している。いい年齢なのでさすがに声に出しては言わない。昔、大会を見に来たチームメイトの親族が、自チームの悪口を大声で言い続けるだけでなく、自分がたまたま話していた他チームの選手のことまでけなしていたのにとても腹が立って、「このクソジジイ!」と叫んだところ、周囲からたいへんな注意を受けた苦い経験があるため、罵詈雑言を口に出して言わないのだ。口に出せない怒りは体内に溜まって、重くなっていく。くるしい。スポーツを好き好んで行ってきたからこそ、もう純な気持ちで楽しむことができないように感じられ、ますますつらくなる。

 

アーこの国の気分は

変わりすぎて疲れるぜ

2人のメロディー隠したまま

胸の奥で鳴っている

 

さんざん無理して手に入れたこの歌は

世界の果てが見えても

止まりはしないさ*1

 

 そんな気分だからか、最近はフィッシュマンズをずうっと聞いている。ネットの有志が選ぶ名盤、とか何かの企画でフィッシュマンズを知った。聞きはじめたときには、佐藤伸治はもうこの世にいなかった。はじめて『空中キャンプ』を聞いたときは、「何だか暗い音楽だな」としか思えず、あまり理解できなかったのだが、繰り返し聞いていると、地と天を行き交い、宙に浮いてしまうような心地の良い音像と演奏のグルーヴ、そして佐藤伸治の言葉が、年を重ねるごとに良いと思えるようになった。とはいえ、初期作や『男達の別れ』以外のライブ盤などは熱心に聞いておらず、遅咲きのファンと豪語できるほどでもない。そんな自分ではあったが、最近はフィッシュマンズの作品ばかり再生している。身体と気分に最もフィットする瞬間が続いていのだ。

 手嶋悠貴『映画:フィッシュマンズ』を観に行った。メンバーや関係者などによって、フィッシュマンズ結成から現在に至るまでの歴史が、レコーディング映像やライブ映像を交えながら語られる。バンドの細かな歴史に疎い自分にとって、節目節目のエピソードを知れただけでも満足なのだが、特筆すべきはそれぞれの語りと映像から、今はもうここにはいない佐藤伸治の姿が浮かび上がってくる構成だ。

 フィッシュマンズの中心人物である佐藤伸治の不在を、メンバーや関係者は今も消えない複雑な心情を吐露するように語る。あのとき佐藤伸治は何を考えていたのか、何を感じていたのか、何を表現しようとしていたのか。彼らの語りの余白から、佐藤伸治の志向する世界が立ち上がっていく。極私的な詞と、気を抜いていると虚空へと飛んでいってしまいそうなメロディー。

 そして、映画を観てさらに実感したのは、佐藤伸治の描いた世界に対して、バンドメンバーを始めとした関係者が、音のテクスチャーを徹底して構築していったことだ(後期になるとそうした余裕すら生まれないほど、切迫した雰囲気だったことも語られる)。バンドとしての営みがあったからこそ、フィッシュマンズの音楽は今も新たなリスナーを生み出しているのだろう。この映画を観たあとは、バンド・フィッシュマンズサウンドひとつひとつにより耳を澄ませるようになった。彼らの音楽は自分の心からますます離れなくなっていった。

「音楽はマジックを呼ぶ*2」ということばの通り、かがやきを消さないよう、いまも多くの人々がフィッシュマンズの音楽を鳴らし続けている。映画の終盤で流れた「闘魂2019」バージョンの「ゆらめきIN THE AIR」が頭から離れない。いまはこの世にいない佐藤伸治の声とHONZIの演奏が同期され、ZAKの手によってミックスされた音源は、いつまでも消えない感触を残している。

 

君が今日も消えてなけりゃいいな

また今日も消えてなけりゃいいな

君が今日も消えてなけりゃいいな

また今日も消えてなけりゃいいな

IN THE AIR IN THE AIR*3

 


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カネコアヤノのライブを観に行った。カネコアヤノの壮大で繊細な声と、バンドの演奏に胸がいっぱいになった2時間となった。毎回思うことだが、カネコアヤノの曲はライブになると筋力が倍になった印象を受ける。新しいアルバムの曲もパワフルで身体に響いた。特に気に入ってる「腕の中でしか眠れない猫のように」の演奏は、もちろん素晴らしかった。LINE CUBE SHIBUYAの天井を突き抜けていくようだった。

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最近ではIsayahh Wuddhaもよく聞いている。インナーポップとR&Bの融和具合がたまらなく良い。気怠さを寄り添ってくれるようなグッド・ミュージック。

 

 

佐藤究『テスカトリポカ』アステカ神話と現代の麻薬ビジネスが絡み合う極上のクライムノベル。壮大なストーリーテリングと緻密な考証によって、一文一文貪るように読み進めた。

 

 

大山海『奈良へ』あまり評価されない漫画家の主人公が実家のある奈良に帰省する話……かと思いきや、奈良に暮らす人々のエピソードだけでなく、主人公が作中で創作したであろうファンタジー漫画が奇妙に絡み合っていく。藤枝静男などの私小説からの影響を感じられる構造によって、不気味さと珍妙さが倍々となって生み出すボルテージは、まさに会心の一撃

 

 

 

今季唯一観ているドラマは『お耳に合いましたら。』「好き」の感情が消えることを恐れた主人公が、愛してやまないチェーン店のごはん、通称「チェンメシ」への愛を語るポッドキャストを始める。作り手のコメディ、ごはん、カルチャーに対する偏愛がこれでもかと発揮されているので、見てて気持ちがいい。個人的には追加キャストの藤井青銅さんの登場が楽しみです。


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『オッドタクシー』現代の風刺劇かな、と思いながら見ていると、後半にかけて怒涛の展開となっていくさまに興奮した!登場人物誰一人として蔑ろにしていなかったことが特に好きでした。白川さんみたく、おれもカポエラを習おうかしら。


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(了)

 

 

 

*1:フィッシュマンズ「気分」作詞:佐藤伸治、1994年

*2:フィッシュマンズ「MELODY」作詞:佐藤伸治、1994年

*3:フィッシュマンズ「ゆらめきIN THE AIR」作詞:佐藤伸治、1998年

自転車バイク(2021年4月〜6月の雑記)

 

 どうも家にいる時間が長くなると余計なことまで考えてしまい、気持ちがくさってしまうので、思い切って自転車を購入することにしよう。せっかくなのでママチャリではなく、いわゆるロードバイクといわれる形のものがいい。
 というのも、高校時代は深緑色のママチャリを愛用していたのだが、一般的に販売されているママチャリに乗ると自分の身体のサイズに合っておらず、友人からはサイズ感がおかしいだの、公園の遊具に乗っているだのと言われる始末だった。これに関しては自覚があり、窓ガラスが大きいお店の前を横切ると、ママチャリがやけに小さく見える。本来はママチャリのほうが大きく、その上に人間が乗っているように見えるはずが、自分がママチャリを押し倒しているように見える。これはよくない。

 というわけで、自分の身体にぴったりなロードバイクを購入しよう。意気込んで近隣の自転車ショップを見て回るものの、悲しい哉、どれもこれも相応に値が張る。自分としてはおやすみの日の気分転換にちょうどよいものを探しているのに、店頭に並んでいるものは、ガチガチの競技用のものか、やや予算オーバーで自分のお財布を絶妙に圧迫するものばかりだ。

 しょうがないのでネットで買おうかとも思ったが、いざ購入して組み立ててみると、自分の巨体にそぐわない、ちんちくりんな風体のものだったらどうしよう、と不安になる。そんなことで余計なストレスを感じないためにも、12年間続けたバスケットボールで鍛え上げた不屈の精神を奮い立たせ、諦めることなく近隣の自転車ショップを巡回するうちに約1ヶ月が経った。

 もう理想のロードバイクなど見つからないのかもしれない。ちょっと値が張るものを買い、しばらくは本やレコードを買うことを我慢しよう。半ば諦めていたところ、幸いなことに家計を圧迫しない程度のお値段で、近隣を走るくらいなら十分ですよ、と店員さんが説明するロードバイクがあらわれた。これはもう買うしかないと思い、即購入。以来、晴れた休日は新しいチャリンコを乗り回している。

 歩くこととは違って、自転車を走らせると、風がぐんぐんと毛穴に入ってくる気がする。日光を吸収していくうちになんだか気持ちがよくなって、口から歌がこぼれる。自転車バイク、自転車バイク。今年に入って改めて夢中になっている空気公団の初期の名曲「自転車バイク」だ。

 

他人の言葉を改めて伝えることがお仕事

時には入れ間違いもするらしい

それでも今かと心待ちにしている

 

昨日の手紙に恥ずかしい言葉を

見えない場所から君の住む場所へ

 

自転車バイク 自転車バイク

今日も走ってくれ

 

空気公団「自転車バイク」2000年 

 

 自分は郵便屋さんでも何でもないのだが、どこかに何かを運んでいるような気分になってくる。鞄には財布、本、綾鷹(600ml)しか入っていないので、何も運ぶものはないし運べない。

 行動範囲が広がったことで、自転車30分圏内にたくさんの大きな公園があることに気がついた。大きな公園はくつろぐスペースが用意されているので、ボーッとするのに適している。公園内を徐行で走行しながら、どこに腰掛けようかとぷらぷらしている時間がわりと楽しい。

 空いているベンチを発見して、その横に新しい自転車を停める。子らが遊具ではしゃぎまわるのを親たちが見守っている、時々一緒に遊んで、気をつけなさいと注意をしている。キャンプ用の椅子に座った男性がアコースティック・ギターをぽろぽろ爪弾いている。横にいる妻らしき女性は、夫のアコースティック・ギターの演奏には興味がないらしく、目の前を見つめながらじゃがりこをポリポリ食べている。その近くでは若い男女がシートの上で寝そべっている。散歩中の犬がたくさん通る。この公園は周囲に迷惑をかけない程度であれば、何もしても自由な雰囲気だ。

 ベンチに座って持ってきた本を読み始める。今日は、小山清の随筆集『風の便り』を持ってきた。よく行く古本屋さんに入荷していたものを見つけ、冒頭の「夕張の友に」を読んで、これは買うしかないと思った書籍だ。

 

 君が所帯を持ったことも、子供が生まれたことも、風の便りに聞きました。この世の中には、風の便りというものがあって、こちらがべつに求めることをしないでも、消息を聞かせてくれるものですね。なにげなく齎されたものがいちばんいい。どこかの古い諺に、こんなのがなかったかしら。日頃会い過ぎるほど人に会い、席の暖まらぬ思いばかりしていると、そんなたまの便りが懐かしくて。

 

小山清「夕張の友に」『風の便り』夏葉社、2021年(初出は1952年)。

 

 実際文字には体温などないが、小山清の言葉を追うと、そこにはそばにあると心地がよい温度が広がっているように感じる。

 小山清は、太宰治に師事した経験のある作家である。先日来、読み続けていた井伏鱒二の孫弟子とも言えるのかもしれない。肉体労働を行いながら、創作に励んでいたようで、「夕張の友に」は題名の通り、炭鉱作業員として働いていたころに出会った友人へ宛てた私信のような作品である。

「ただ君にあてて書くということで、自問自答しているだけなのです。そして、それが僕にはなによりの心遣りになるのです。」とは述べているものの、「平凡」な「君」のことを思う気持ちが、素直に、伸びやかな筆致で綴られている。読み手の自分に宛てられたものではないが、友人に対する等身大の言葉は普遍性を帯び、こちらまで温かな気持ちになる。

 本随筆集では、日常の感慨や娘へよせた作品が収録されており、どれも優しさにあふれた視線が印象的だ。中でも好んでいるのは、詩と呼んでも差し支えない「風の便り」という作品である。

 

 僕が生きているきょう、君も生きている。生きているということは、たったそれだけの思いだけのものかも知れない。

 

小山清「風の便り」『風の便り』夏葉社、2021年(初出不明)。

 

 物を運ぶことはできないけれど、言葉で何かを運ぶことはできないだろうか。いや、できる。そんな当たり前だけれども、ないがしろにしてしまいがちな言葉の切実さを、本随筆集を読みながら考えたのだ。

 そして、自分にもできないだろうか。できるようになりたい。幸いなことに仕事もやや落ち着いているので、創作を行ってみようと思った。「希望を見失わずにやって行」けるような作品を書ければ、どんなに幸せなことだろう。前々から創作を行いたいと思っていたものの、ぐずぐず自分のなかで理由をつけて先延ばしにしていたが、本腰を入れて行いたいと思えるようになった。そういう理由で雑記の更新が滞っていたのでした。

 とある文芸誌が短い枚数で作品を募っていたので、まずはそれに挑戦してみようと書き始めたものの、50枚くらいを過ぎたあたりから、〆切ぎりぎりにも関わらず収拾がつかなくなってしまったので、別の文芸誌へ応募することにした。またしても先延ばしである。先延ばしを決めた6月末からは気力を失ってしまい、しばらく書けないでいた。というわけで、私事を綴ってリハビリすることに決め、こうして書いている。こうして書いたからには、創作を再開しよう。毎日書こう。書いて書いて悩んで書こう。

 

 

風の便り

風の便り

Amazon

 

 

 

 以下、備忘録。Twitterでちまちま感想を書くくらいの体力しか残っていない。

 池間由布子のLPを繰り返し聞いている。

 

 

 カネコアヤノの新作と小山清が個人の内部で共振している。

 

 

 冬にわかれての新作ははやくでかい音で聞きたい。

 

 

 先程も言及した空気公団の新作もよく聞いた。

 

 

 HomecomingsとGRAPEVINEの新作、どちらも最高傑作ではないでしょうか。

 

 

 宗藤竜太は、最近見つけた素晴らしいシンガーソングライター。

 

 

 ニューエイジミュージックを探求中。

 

 

 ブラジル音楽も探求中。

 

 

 CANのリマスター化を機に、どっぷりハマっている。

 

 

 そして最近はFaye Websterばかり聞いている。

 

 

 本や漫画は以下の通り。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ようやく演劇を観に行くことができて、うれしい。

 

 

 

 ドラマや映画は以下の通り。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 折坂悠太と青葉市子のライブを見た。青葉市子のライブで人生初の1階1列目でした。

 

 

 

「好きな人のことを褒めることで生涯を送りたい」のだが、Twitterを振り返ると、褒める語彙が貧弱すぎる。

 

 

 

Mirrorballs(21/2/15(月)〜21/4/2(金)までの雑記)

 

 

Mirrorballs(今月の雑記)

 自分にとって音楽を聞く行為は、日常生活における衣食住と同じくらい高い水準に位置づけられている。以前は毎週のようにリリースされる新作を聞くことに必死だったが、毎週毎週必死になると疲れてしまうし、繰り返し聞くことによる身体化をあまり実感できていないように思い、最近はその時々の直感にしたがって聞いている。

 そのため、しぜんと過去の音楽を聞く機会が増えてくるのだが、もうひとつの遠因は、門間雄介『細野晴臣と彼らの時代』を読んだからにちがいない。

 細野氏の生い立ちから現在の音楽活動までを辿る本書は、細野氏の著書や発言だけでなく、関係人物の著書や発言も参照することにより、氏の音楽活動の歴史に奥行きが生まれており、それらを濃密に追体感することのできる一冊である。

 細かなエピソードに関して、それぞれの記憶が相違していることをおもしろく感じた。細野氏の2枚目のソロアルバム『トロピカル・ダンディー』は、松任谷正隆氏が参加していることがクレジットされているが、当の松任谷氏は「やった記憶がない」と述べる。このエピソードから「ティン・パン・アレーの連帯感」の「希薄」さを門間氏は見出す。いわゆる裏歴史のような事柄まで含まれており、興味深い。

 そしてなんといっても、近年細野氏が音楽活動において意識しているという、「継承」に関する発言が興味深い。高田漣氏、伊賀航氏、伊藤大地氏とのライブセッションを通して、細野氏は以下のように考える。

 

  あるときから細野は、彼ら若いミュージシャンたちに自分が過去から受け継いできたものを伝えることが大事だと思うようになった。先人から受け継いだものに、少し手を加え、それらを彼らに手渡すことが。その思いはかれこれ三十年前に意識しだした、自分はミディアムに過ぎないという感覚とつながっていた。細野は説明する。

「スタイルがあって、伝統があって、ある枠の中で切磋琢磨していく。特に音楽なんかはそうですね。基本は伝統を受け継いでいくことが大事です。でもそれだけではなんの意味もない。そこに自分の筆跡を少し残す。まあ、サインをするみたいなね、自分の。それが大事だとだんだんわかってきたんです。自分なりに昔の音楽を消化して、変えていって、残していく。そうやって残していくことが大事なんだと。」*1

 

 こうした温故知新と昇華のスタンスは、細野氏の近作でカバーされるブギウギなどを聞くと、十二分に伝わってくる。細野氏の音楽を聞く自分は、自然と過去の優れた音楽とつながることになるのだ。

 本書を読み思い出したのが、磯崎憲一郎氏の発言だ。朝日新聞に掲載された文芸時評のなかで、プルースト失われた時を求めて』に触れながら、以下のように述べる。

 

 しかし、現代文学の先駆となったこの作品の刊行のほぼ百年後の読者である私たちがここから読み取るべきは、名高い「無意志的記憶」をめぐる考察以上にやはり、言説の同質化を強いる戦争の時代やドレフュス事件の渦中にあっても、自らに与えられた芸術家としての使命を全うしようとする、一人の人間の発する夥しい熱量なのだろう。その意味では、本作の翻訳に十年の時間を費やして取り組んでいる吉川一義氏の熱意にも敬意を表したい、そうした人々が繫ぐ流れとして以外には、文学は存在し得ない。*2

 

 残された作品の熱量を感じ取り、後世につないでいく。そうした営みを行う一員となれるように、少しずつではあるが歩みを止めずにいきたいと思う。

 そんなわけで、自分のなかで空前の井伏鱒二ブームが到来してしまった。いくつかの作品をつらつらと読んだことはあるが、久方ぶりに本棚にあった『厄除け詩集』を手にとったことにより、その豊穣な言葉のつらなりに改めて感銘を受けたのだ。

 

つくだ煮の小魚

ある日 雨の晴れまに

竹の皮に包んだつくだ煮が

水たまりにこぼれ落ちた

つくだ煮の小魚達は

その一ぴき一ぴきを見てみれば

目を大きく見開いて

環になつて互にからみあつてゐる

鰭も尻尾も折れていない

顎の呼吸するところには 色つやさへある

そして 水たまりの底に放たれたが

あめ色の小魚達は

互に生きて返らなんだ*3

 

 詩歌主体の視線とそこに生じる感慨が見事である。雨上がりの水たまりに落っこちた「つくだ煮の小魚達」にもかつて生命があったこと、そしてその生命は二度と戻らないこと。このように記述すると重苦しいイメージが湧いて出るのだが、仔細な観察と「返らなんだ」といったどこかとぼけたような言葉の運用によって、おおらかな風味が生じる。

 改めて読み返すことによって、井伏氏を読み返したいというきもちが日に日に増していき、近隣の図書館で全集を一から借りつつ、古本屋で井伏氏の作品を見つけては購入している。

 なかでも、センター試験の過去問を解いた以来に「たま虫を見る」を再読したところ、これが抜群におもしろかった。

 語り手の「私」は、「美しい昆虫」であるはずの「たま虫」を「幾度も悲しいときにだけ」見る。個人的には、恋人と並んで歩いているとき、「私」のレインコートにとまった「たま虫」を恋人が叩いてしまう場面は、何度読み返してもほほ笑んでしまう。

 

「たま虫ですよ!」

 しかし最早たま虫はその羽根を打ちくだかれて、腹を見せながら死んでいた。私はそれを拾いとろうとしたが、彼女はそれよりも早く草履で踏みにじった。

「このレインコートの色ね。」

 そして彼女は私の胸に視線をうつしたのであるが、私は彼女の肩に再び手を置く機会を失ってしまった。私たちはお互に暫く黙っていた後で、私は言った。

「あなたは、このレインコートの色は嫌いだったのですね!」

「あら、ちっともそんなことはありませんわ。たま虫って美しい虫ですもの。」

「でも、あなたはそれをふみつぶしちゃいました。」

「だってあなたの胸のところに虫がついていたんですもの。」

 私達はお互に深い吐息をついたり、相手をとがめるような瞳をむけあったりしたのである。*4

 

 彼女の行動だけでなく、両者の会話がどことなく「変」だ。「たま虫」を叩いたことを指摘したのに、レインコートの色が嫌いではないかと疑う「私」や、「たま虫」は「美しい虫」と述べながらも、「胸についた虫」だからとふみつぶす行為を正当化する彼女。ふたりの思考は論理的でなく、つねに流動的な形態である会話のエッセンスが凝縮されているようだ。

 『井伏鱒二全集』を夜眠る前に読みすすめるものの、如何せん図書館の返却期限がすぐに迫ってしまうことだけがネックだ。いつか全巻を大人買いしたいと思っているうちに、眠りについてしまう。

 過去の作品つながりで、小噺をもうひとつ。4月に入り、ジミ・ヘンドリックスの「Hey Joe」を聞いていたのは、DC/PRGの解散ライブに赴くことが決まっていたからだった。

 友人の誘いを受け参加が決まったものの、代表的な曲しか存じ上げない自分が行ってよいんものだろうかと思ったのは、まったくの杞憂に終わった。運良く(?)聞いたことのある曲ばかりだったのだが、ライブでは細かなアレンジやソロパートが肉厚となっており、おれはいまとんでもないものを目の当たりにしているのだ、という純な感動が持続した2時間だった。ハイライトとなったのは、「CIRCLE/LINE〜HARD CORE PEACE」のボルテージが上がりに上がった演奏で、メンバーもさることながら、うねるようなグルーブを生み出すオーディエンスの熱量もまたとてつもなかった。そしてアンコールで演奏された「Mirrorballs」では、現状の閉塞感を吹き飛ばすかのような多幸感に満ちた演奏が披露された。文章で目にしたりラジオで聞いたりする菊地成孔氏の言葉にイマイチはまりきれていない自分であったが、ライブという熱をもった場における彼の発話は、ドライブがかっており、コロナ禍における国の方針を皮肉ったMCは諧謔的でとてもよかった。

 終演後は久しぶりに再会した方にご挨拶をしたり、友人とその知人と一緒に最寄り駅まで歩いて、その日のライブから過去の遍歴、最近のハロプロについてまで、あれこれ話しながら帰ったりした(もちろんソーシャルディスタンスを守り、感染症対策もしっかりしました)。

 ライブに行くという行為は、ひとりで赴き、その公演を反芻しながら帰路につくのももちろん楽しいが、その場で誰かと会ったり、開演前や開演後に喋ったりするのもまた楽しい。そういった時間も含めて、ライブに行くという行為だったなそういえば、というようなことを思い出した。

 駅につくまでの道はいかにも工業地帯の道路といった様相で、トラックの通過音と近くの川や海の流れる音が聞こえてきた。それらの音と一緒に聞こえてくる友人たちの声に、先ほどまでの演奏の反芻と少しのアルコールが溶け合って生まれるグルーヴを、ずうっと感じ取りたい。

 

細野晴臣と彼らの時代

細野晴臣と彼らの時代

 

 

 

 

終の住処(新潮文庫)

終の住処(新潮文庫)

 

 

厄除け詩集 (講談社文芸文庫)

厄除け詩集 (講談社文芸文庫)

  • 作者:井伏 鱒二
  • 発売日: 1994/04/05
  • メディア: 文庫
 

 

井伏鱒二全集〈第1巻〉

井伏鱒二全集〈第1巻〉

 

 

 

音楽

 菊地成孔つながりではあるが、Ahh! Folly Jet『Abandoned Songs From The Limbo』と『Duck Float/HEF』を購入した。LPに感謝。

 

 細野氏つながりで、金延幸子『み空』のLPを購入。繊細でいて、どことなく恐ろしさを感じる傑作。「時にまかせて」の演奏がすばらしい。

 

 細野氏関連だと、95年にリリースされたアンビエントユニット・LOVE,PEACE & TRANCEのアルバムがお気に入り。

 

相変わらず家で過ごす時間が多いので、他にもたくさん買いました。

 

 これまで以上に空気公団の作品に魅了されている。LPもあるものはネットで探して入手している。なかでも『夜はそのまなざしの先に流れる』というアルバムが好きだ。日本橋公会堂でのライブを基に編集された本作は、全曲演奏がすばらしいが、「夜と明日のレコード」という曲を聞くと、落涙する。

 

 最近のリリースされたものだと、SHABASON, KRGOVICH & HARRISやミツメ、折坂悠太の新作を聞いている。

 

ダムヤーク

ダムヤーク

  • 作者:佐川恭一
  • 発売日: 2021/02/10
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

 

 

ぼくらのまちにおいでよ

ぼくらのまちにおいでよ

 

 

 

アメリカン・スクール(新潮文庫)

アメリカン・スクール(新潮文庫)

 

 

 

よつばと!(15) (電撃コミックス)

よつばと!(15) (電撃コミックス)

 

 

 

 

 

 

映画

『あの子は貴族』と『シン・エヴァンゲリオン劇場版』がおもしろかった。


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テレビなど

 R-1ぐらんぷりは番組構成に難ありだったが、高田ぽる子さんのネタがお笑い版「たま」のようで最高だった。金スマのハライチスペシャルやデザインあコーネリアスライブ回もおもしろかった。

 『ここは今から倫理です。』というドラマがとてもよかった。

 

 

 

*1:門間雄介『細野晴臣と彼らの時代』文藝春秋、2020年、P.478

*2:磯崎憲一郎「熱量こそ礎」https://book.asahi.com/article/12250190 いいかげん積ん読になっている『失われた時を求めて』を読まなければならん。

*3:井伏鱒二『厄除け詩集』講談社、1994年、P.14,15

*4:井伏鱒二井伏鱒二全集 第一巻』筑摩書房、1996年

心をまとめる鉛筆とがらす(21/2/8(月)〜21/2/14(日)までの雑記)

 繁忙期を乗り越えた仕事というものは大概ひまである。

 弊社はこのご時世の状況を鑑みテレワーク可となっているため、自分は仕事の落ち着き具合をいいことに在宅勤務を積極的に取得、家であぐらをかいたり、あくびをしたり、煎餅を食べたり、尻をかいたりしながら業務を進めている。仕方なく出社した日はいつも以上に業務やその確認作業にちからを入れる。家での仕事の進捗を外面にむけてアッピールしてやるというあさはかな魂胆ってやつだ。

 それに、若手のぼんくらができる仕事などたかが知れている。ひとつの業務をいつも以上に時間をかけたところでサクッと終いになるため、これまで取ることのできなかった代休を積極的に取得しつつ、引っ越し作業を片付けていく。

 とはいえ、元来整理や掃除など面倒くさいことはまとめてやってしまいたい、何かやりのこしたことがあるとそれが気になってしまい他のことが手につかない性分である自分は、冬なのに汗を流しながらひいこらせいこら片付ける。すると、やるべきこともあっという間に終わり一段落。

 しかし、あんなにも望んでいた一段落なのに、いざそのときが訪れてしまうと薄ぼんやりと浮かんでは消える考え事ばかりをするばかりで、すぐにまいにちは過ぎていってしまうのだ。 

 だれもが(きっと)思考を運動させながら日々を過ごしているのだろうが、残酷なことに人間というのはすべての事柄を覚えることなどできない。いざ仕事で使えそうな重大なひらめきが浮かんだとて、友人に教えたいあのバンドのあの曲のサックスの響きを見事に言語化できたとて、すうぐに忘れてしまうのだ。

 しかし、その何かが浮かんだ一瞬という時間は間違いなく存在していて、それをみごとにスナップショットし得たのが、藤岡拓太郎さんの1ページ漫画「18才」(『大丈夫マン』ナナロク社、2021年に収録)だ。

 

 

 

 退屈な授業の合間に浮かぶ妄想や思考の一瞬を、ユーモアを交えて切り取る巧みさよ! この1ページ漫画がだいすきであり、なぜなら授業中にこうした考え事をしていたやつというのはかくいう自分がその一人であり、共感と己の行為のくだらなさの再認識がこの漫画を読むことによって生じ、たまらなくなったから。

 そして『大丈夫マン』に収録されているほかの作品群は、日常に生じうる違和を絶妙に誇張し、デフォルメし、ずらし、時には生のありのままを描き出しており、そこが非常におもしろい。「おいしい」を「うれしい」といってしまうおっさん(そしてそれを微笑ましそうに見るバニーガールコスチュームのおばさん)、インスタグラムを買いに来る中年の夫婦、「ぽこん」という音に誘われ家族には話さない日中を過ごした主婦。どこかずれているけれども己の魂にまっすぐな作中のひとびとの生活に、愛しさを覚えてしまうのだ。

 

大丈夫マン 藤岡拓太郎作品集

大丈夫マン 藤岡拓太郎作品集

  • 作者:藤岡 拓太郎
  • 発売日: 2021/01/19
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

 そして、どんな場所のどんな人でもまっすぐに生きているんだと改めて実感したのは、空気階段の第4回単独公演「anna」を観たときのことである。

 

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 自分は13日土曜日の昼公演のチケットを入手していたのだが、たのしみすぎて開演時間を勘違いし、1時間以上もはやく会場の最寄り駅に到着してしまった。中途半端に時間が空いたので、腹ごしらえに適当な蕎麦屋に入った。小粋なジャズコンピが流れているお店で食べたとろろ蕎麦と親子丼のセットはそれなりに美味しかったのだが、当日観たコントの内容を鑑みると、ここは富士そばで紅生姜天そばなどをかっ食らったほうがよかったな、といまになって思う。

 まあそんなことはどうでもよく、肝心の単独公演はというとそれはもう素晴らしく、開演中は常に笑い、そして公演のエンドロールが流れているときは目にうっすら涙を浮かべてしまう、そんな素敵な内容だった。

 かたまりさんの結婚・離婚を題材としたであろうオープニングコントから始まり、徐々にかれらでしかなしえない、現世の通底規範から外れた人々を題材としたコントが繰り広げられる。芸能界に耐えきれず整形手術をして隠遁する元歌手、小学生のころに執筆した漫画のコンセプトカフェを開くおっさん(この「メガトンパンチマンカフェ」というコントがいちばん好みだった)、AV出演経験があるサイバーテロリスト、コインランドリーで心を洗う警察官、勃起の力で電力を得ようとする人。馬鹿馬鹿しくも己の信念を貫き、泥臭く生きるかれらの姿が愛しくてたまらない。

 そして、本公演のフィナーレを飾るコント「anna」では、約10年の期間に及ぶラジオを介した壮大なラブストーリーが描かれる。結ばれるようでなかなか結ばれないふたりの恋と、これまで披露されてきたコントの登場人物・出来事が結びつく。観終わったあと、世界に対する解像度が上がり、まなざしがあたたかくなるような、そんな素敵な公演だった。

 グッズはどれも可愛く(Enjoy Music Clubがプロデュース!)迷いに迷ったが、自分はパーカーを注文した。パーカーがちょうど欲しかったのだ。ついでに、「ハライチのターン」の公式ポーチも注文した。春めいたころに届くのが楽しみである。

 

 

 自分はスマートフォンを見るたびにTwitterを確認してしまうSNS依存な人間であり、そんなことなどよして苦手な漢字の勉強でもしたらどうだ、海外のレコードをもっと楽しむためにまずは英語でも勉強したらどうだ、最近は運動をあまりできていないので外に走りにでかけたらどうだ、など自己研鑽に励もうとするのだがまったくできない。それは元来怠惰な性分に起因しているのだが、Twitterを開くひとつのたのしみとしてうかうかさんが執筆する犬の漫画が更新されていないか、更新されているのだとしたら一刻もはやくチェックしたいという気持ちがあるからにほかならない。

 

 

 「犬マアアアン!」と叫びながらかれを抱きしめ、愛でたいきもちでいっぱいになる。

 うかうかさんの作品に登場する犬たちは、人間と同じように働き、遊び(時折マジカルな出来事が起こるのだけれども)、うまく生活できているかといわれればそうではなく、日々悩みもがきながら暮らしている。その懸命な姿はわれわれの生活のなかでも起こりうるものであり、読む際に生まれる笑いが自分にも跳ね返ってくる驚きと、「もう犬がかわいくてかわいくてしようがない!」という感情が同時に生まれてしまうため、何がなんだかわけがわからなくなってしまうからおもしろい。

 料理はうまくできない、買いたてのパジャマを最高の状態で着たいがために片付けをしていたら夜が明ける、カレーとナンのペース配分がうまくいかない、そんな些細なつまずきを小犬たちは日々経験する。もはや自分のことじゃないかと思ってしまう。

 書籍版の4章では、普段の1ページ漫画ではなく、「ぞう」「先輩と後輩」「ダイオウイヌの神秘」という短編が収録されており、そちらもおもしろいので、ぜひとも書籍を手にとってみることをおすすめする。

 

小犬のこいぬ

小犬のこいぬ

  • 作者:うかうか
  • 発売日: 2020/12/12
  • メディア: コミック
 

 

 そしてこれは自分だけかもしれないが、『小犬のこいぬ』を読んでいると尾崎放哉の自由律俳句を思い浮かべてしまう。世俗で生きることのままならさやそこで生じるさびしさに共通項を見出してしまうのだ。

 「咳をしても一人」「漬物桶に塩ふれと母は産んだか」などで著名な尾崎放哉であるが、もともとは名家の生まれで、当時としては珍しい大学進学をし、その後は通信社や保険会社に入社するなど順調にエリートコースを進んでいたように思えたが突如ドロップアウト、放浪を続けながら句作に励み、最期は小豆島で生涯を終えた人物である。氏がなぜ職を辞め遁世生活を送ったのか、勉強不足のため詳細はわからないが、きっと働くなかでのストレスや困難に押し潰されてしまったことも一因として考えられるのではないかと思う。

 自分は時折本棚から『尾崎放哉全句集』(村上護編、ちくま文庫、2008年)を手にとって、慰みのようにこれを読む。世俗から外れて一人生活する心情を、氏の真の言葉で表現した数々の句は、自分のこころをすこしばかり軽くしてくれるのだ。

 孤独感、やるせなさを表現した句も好きだが、氏が見つめたであろう風景や光景を描いた句も好きだ。

 

沈黙の池に亀一つ浮き上る

いつ迄も忘れられた儘で黒い蝙蝠傘

打ちそこねた釘が首を曲げた

鳥がだまつてとんで行つた

牛小舎の氷柱が太うなつてゆくこと

 

  あわただしい日常のなかでは見過ごされてしまいそうな一瞬が、精選された言葉で表現されている。改めて句集から一部を引用したが、風景・光景を切り取る構図に、ほのかなあたたかさとユーモアがありおもしろい。氏の句は声に出して読むとよりよいように感じる。自由律とはいっても、ビートやリズムが生き生きとしているからだと自分は思う。

 『小犬のこいぬ』を読み、尾崎放哉の句を読むことで、心と身体の重しを取り、あとわずかな冬の寒さを乗り切ろう。氏の句にも犬が登場するものは多々あるが、そのなかでも好きなものを末に引用したい。

犬よちぎれる程尾をふつてくれる

 

尾崎放哉全句集 (ちくま文庫)

尾崎放哉全句集 (ちくま文庫)

  • 作者:尾崎 放哉
  • 発売日: 2008/02/06
  • メディア: 文庫
 

 

 

 最近旧作のリイシューや過去の作品を聴くことばかりで、新しい作品を以前よりは追えていない。新しい作品のなかで特に気に入っており、レコードも購入したのは、Puma Blue『In Praise Of Shadows』だ。

 


Puma Blue - Velvet Leaves (Official Video)

 

 ロンドンを拠点に活躍するシンガソングライター初となるフルアルバムは、ベットルーム・ミュージックとジャズ、ソウル、R&Bを絶妙に組み合わせ、かれ自身にしか歌えない(タイトルにもあるように)光と闇を表現している。レコードは45回転仕様で中低音の広がりがとてもよく、夜眠る前に聴くことが多い。

 まさに「一人になるための音楽」といった具合で、こうした作品こそが長く聞き継がれていくのだと思うし、自分もたいせつに聞き続けていくのだと思う。歌詞の内容もしっかりと理解したくなってきたので、スマートフォンを語学取得に有効活用しなければならないとますます感じているが、結局酒を飲んで寝てしまうからうまくいかんものだ。