魂のダンス

書く無用人

No pain,No gain(2022年5月〜6月の雑記)

 

 

No pain,No gain

 

 簡易ベッドに仰向けになって、ゴーグルを装着した。そのゴーグルは遮光加工されており、付けると視界がまっくらになって何も見えなくなる。しょうがないので目を閉じた。それではやっていきますね、と施術者が声をかけた。ウィーン……という機械の動作音が大きくなり、施術者が持つ機械が頬に当たった。

 


 今年の年始は久しぶりに帰省した、実家に帰ってだらだらと過ごすことが目的ではあったが、せっかくの機会なので、久しく会うことのできなかった友人に声をかけて、集まることにした。

 適当に予約したお店は、美味くも不味くもない料理ばかりが出てきた。料理を食べ、酒を飲みつつ、近況や過去の思い出をあれやこれやと話していると、友人Aが友人Bの顔をギッと見つめた。あれ? 友人Aがビールを一口飲んだあと、何かに気づいたようで、友人Bの顔に体を近づける。

「そんなつるつるだったっけ?」

 何のことだと思い、友人Bの顔をまじまじと見てみると、顔、特に頬から口元にかけての肌艶がやけにいいというか、久しぶりに会ったにもかかわらず歳を重ねたように見えないというか、どことなく幼さが戻っているというか、つまり綺麗だったのである。

「いや、そうなんだよ、実はねーー」

 


 おれはヒゲがもともと濃かった。二十歳を超えたころからその勢いはますます増し、頬から口元、顎、首にかけて、毎日の処理に相当な時間を費やすようになった。朝はやく起きてヒゲの処理をしたにもかかわらず、昼にはうっすらと青くなり始め、夜になると真っ黒に見えるほど生えてきやがる。毎日毎日念入りにヒゲを剃っていると、次第に肌が荒れはじめた。剛毛と肌荒れが相まって、口の周りはおんぼろ屋敷のようになりつつあった。友人らにも悲惨な肌の状況を指摘され、さすがにこのままではよくないと思い、決死の覚悟で医療脱毛に通った。それはもう激痛だったのが、痛みに耐えに耐え、ようやく完全に脱毛できたんだよーー

 


 大変そうな脱毛体験のわりにいきいきと語るBのお肌は、お店の橙色の照明のせいか、それとも脱毛話を聞いたあとだったからか、非常にきめ細かく見えた。卓上のイカの刺身を見た、ほんとだ、イカの刺身みたいにぷるぷるだね、と言おうとしたが、よく見るとイカの刺身のほうがなめらかなテクスチャーだったので、すげぇ、とだけつぶやいて、ビールを一口飲んだ。

 友人Bにそこまでヒゲが濃いイメージはなかったのだが、他の友人によると、Bはものすごくヒゲが濃いことで有名だったという。記憶のなかでそんなやりとりをした覚えはないのだが。過去のやりとりを思い出そうとしていると、今度は友人Cが、

「実はーー」

と言って、腕を皆に見せてきた、つるつるだった。続けて、掘り炬燵から足を出した、ズボンの裾を上げた、つるつるだった。もちろんヒゲもなかった。

 ヒゲだけじゃないのか、と驚いていると、続けて友人Dが、おれもやったよ、と軽い口調で言う。たしかに友人Dの口周りの肌もすべすべだった。こいつらはいつの間に毛を抜いていたのか。電車やSNSの広告では頻繁に目にするものの、実際に脱毛を行ったメンズに会うのは初だったので、ますます驚いた。

 その後は、各々の脱毛体験、医療脱毛と美容脱毛の違い、それぞれの痛みの違いについて話が進み、何も知らないこちらとしては、へぇ! とか、ほう! とか、たまげたような合いの手を入れることしかできなかった。

 

 そんな会話をしたことすら忘れかけていたある日の朝、いつものようにヒゲを剃っていると、右鼻下にピリリと刺激が伝った、嫌な予感がした、シェービングフォームを水で洗い流してから鏡を見ると、やはり出血している。指でぐっと押さえて簡易的な止血をしたが、なかなか止まらない。ティッシュで拭いたり、水で洗ったりしているうちに、ようやく止まった。家を出るのが遅れたので、駅までの道程の途中からダッシュをする羽目になった。

 次の日の朝、前日に出血したところを見てみると、炎症を起こしてニキビのようになっている。患部に当たらないよう、入念にヒゲを剃っていると、今度は顎にピリリと刺激が伝った、まただ、出血だ。

 その次の日の朝、鏡を見ると、鼻下にできたニキビは未だ健在で、顎の患部も炎症を起こしている。

 タオルで顔を拭い、鼻下と顎の患部に化粧水を塗りたくったあと、年始の脱毛話が突然頭に浮かんだ、Googleマップで「ヒゲ脱毛」と調べた。比較的近場で安価なお店を見つけた。やってみっか、脱毛。決意してからの行動は早い、ホームページの案内に従い予約を進めたものの、予約フォームが複雑な作りだったため、予想以上に手こずり、電車を一本乗り過ごしてしまった、会社にはやや遅刻した。


 駅を出て北にまっすぐ行くと、ラーメン屋、居酒屋に並んで、さまざまなお店が入った雑居ビルがある。予約した脱毛サロンはそのなかに入っていた。他の人に出くわして恥ずかしい思いをしないよう、また、施術中に他の人に見られることのないよう、完全予約制にしているらしい。中に入ると、若い施術者が出てきた、細身で声の小さい人だった。こちらがはじめての脱毛だと伝えると、施術者が「ではまず脱毛のしくみについて、説明しますね」と、タブレットの画面を見せつつ解説してくれた。スライドに表示された毛根(イメージイラスト)の画素数が妙に低く、あまり話に集中できなかった。

 ぼんやり聞いていた話によると、今回行う脱毛は、肌に光を当てて毛を生やす機能を破壊することが中心となるらしい。毛根には毛が伸びる周期があり、そのなかでも毛が伸びる時期に光を当てないと効果がない、そのため継続して来院する必要があること、とも説明された。

 つるつるの口元になるまで長期間かかることが予期され、ためらいの気持ちが生じたものの、ものは試しである、強い決心を固めて、施術ベットに寝っ転がった。

 遮光ゴーグルを付けていたので、周囲の様子は何もわからない。機械の痛みを少しでも和らげるため、施術者が自分の頬に保冷剤を当てている。

「初めてなので、痛みが強いかもしれません。まずは弱めの力でやっていきますね」

 ほほーん。舐められたものだ。こちとら足を疲労骨折していることに気づかず、激痛に耐えながら部活動に取り組んだ経験があるんだ、だから痛みには強いはずーーなぜかつよがっていると、いつの間にか施術がスタートしていた。

 頬はそもそも毛が薄いからか、ややチクっとする程度で、あまり痛くはない。ふふふ。やはり痛みには強いぜ。その後も順調に施術は進んでいった、しばらくすると施術者が作業の手を止めた。

「次は顎、鼻下です。ここのあたりは毛が濃いので、強く痛むかもしれません。ではいきますね」

 バチンッ。

 痛っ。

 顎から突然痛みが強い。連続で照射されるので、痛みが倍くらいに感じられる。顎が一通り終わるころには、我慢のせいか、手汗がじんわりとしていた。

「では、鼻下にいきます」

 バチンッ。

 痛っっっっったぁぁぁぁぁ。

 鼻下は皮膚が薄いわりに毛が濃く、痛みがこれまで以上に襲ってくる。さきほどまでの痛み耐性に対する自信はとっくになくなっていた。機械が当たる瞬間、痛みを我慢するために掌をギュッと握ってしまう。施術者はそれを見たのか、「はい(バチッ)、はい(バチっ)、ラストっ(バチンッ)」とこちらの気持ちの準備が整うように、リズムにそって声をかけてくれるようになった。

 鼻下の痛みに耐えること数分後、施術が終わった。保湿ジェルを念入りに塗りたくられたあと、代金を払って帰宅した。来た時はラーメンを食べて帰ろうと思っていたのに、あまりの痛みにびっくりしてしまって、そのことをすっかり忘れてしまっていた。

 その後も顎と鼻下の痛みに耐えながら、何回か通っているうちに、若干ではあるがヒゲが薄くなったように感じる。ただ、その薄くなり方というのが中途半端で、ぽつりぽつりと毛が残り、そのまばらに生えた一部の毛がやけに濃くて悪目立ちしている。まるでヒゲが濃くなり始めた中学生のようだ。

 ヒゲが濃くなり始めたときは、数箇所だけ妙に黒くなるのだから戸惑った。子供でも大人でもない中途半端な状態がかっこ悪い。そう感じていた中学生時代は、妙に濃いヒゲだけ、ピンセットを使って逐一抜いていたものだった。風呂上がりに居間で、濃くなり始めた毛を律儀に抜いていると、祖母が入ってきた。祖母は孫がヒゲを抜くのをじっと見ていた。祖母は一旦部屋に戻ったあと、再び居間に戻ってきて、自分と同じテーブルに座り、自身の腋毛をピンセットで抜き始めた、最近はそのことを頻繁に思い出してしまう。(了)

 

 

近況

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 マイク・ミルズ「カモン・カモン」、ダッファー・ブラザーズ「ストレンジャー・シングス」シーズン4、ユーロス・リン監督、アリス・ロズマン原作・脚本「ハートストッパー」が特に印象に残っている。マイク・ミルズ作品は過去未視聴のものを見返すなどした。わかりあえなくてもわかりあおうとする切実な瞬間ばかりが映されていた。

 

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 柴田聡子の音楽に支えられている。ぼちぼち銀河でいくしかない。リリースツアーの演奏もばっちばちでかっこよかった。「しばたさとこ島」全曲披露というサプライズもあり大満足。

 

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 来日公演が徐々に復活してきてうれしい。Thundercatのバカテクを十分に堪能することができた。ルイス・コールとデニス・ハムの演奏も尋常じゃないくらいすごかった。

 

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 ずっと楽しみにしてきたFESTIVAL FRUEZINHOも素晴らしいイベントだった。Bruno Pernadasの高揚感あふれる演奏や、Sam Gendel & Sam Wilksのディープで濃密な演奏に魅了された。国内アーティストももちろん素晴らしかった、ceroは新曲の演奏が特によかった、ようやく見ることができた坂本慎太郎のライブは、あまりにも艷やかな演奏に感動してしまい、踊りながら涙が出た。

 

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 優河「言葉のない夜に」リリースツアー追加公演へ行った。優河の声はもちろん、魔法バンドの面々、ギターとコーラスの笹倉慎介、サックスの副田整歩の演奏との調和が、非常に素晴らしかった。「夏の窓」や「夜になる」のアレンジが個人的ハイライト。

 

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 ルシア・ベルリン『すべての月、すべての年』、ジョゼ・サラマーゴ『白の闇』を読めてよかった。