魂のダンス

書く無用人

「D.D.R.」

 田宮が贔屓にしている散歩コースはだいたい三つくらいあって、そのなかでもK堀公園を立ち寄るコースをよく通る。K堀公園は近隣地域では比較的大きな部類の公園で、園内には遊具が設置された広場が四つある。休日の午後にもなると、近所の子どもたちの賑やかな声がそこかしこに響いている。田宮は散歩の途中でK堀公園に立ち寄り、空いているベンチに腰掛け、スマートフォンをいじったり、お尻のポケットに入れておいた文庫本を読んだり、子供たちが遊んでいるのを遠目で眺めたり、ぼんやりしたりすることが多かった。

 土曜日の今日は天気がよく、気温と湿度が身体に心地よい、気がする。平日は曇りの日が続いていた、仕事でも営業先との商談がうまくいかないだけでなく、書類に不備が散見されるなどして、上長に注意されてばかりの毎日だった。「田宮さんはここぞってときにヘマしちゃうから気をつけてね」上長は高圧的な言い方ではないものの、ビー玉みたいな目をしているからきっと機嫌が悪かったにちがいない。商談がうまくいかなかったことよりも、上長の機嫌を損ねてしまったこと、それにより課内の雰囲気がすこし悪化してしまったであろうことを田宮は申し訳なく思った。

 金曜の業務を終えた帰り道、田宮は考えた。それにしても、何を気をつければよいのかはさっぱりわからんな。ま、気持ちを切り替えて、来週からの業務はシャキッと取り組もう、通常業務以外にも気乗りはしないが接待とかあるし。田宮は自分が成功しようが失敗しようが世界はどうとでもまわるだろうと考えている。来週は引き受けた業務を当たり前にやれば、ねちねち注意されることはないだろうと思った。帰ってシャワーを浴びて、スーパーで買った唐揚げとサトウのごはんをチンして食べて、空いた容器は水でサッとすすぎゴミ箱に捨てた。歯を磨いたあとは、すぐにベッドに入り、今週起きた悪い出来事のすべてに靄をかけていく。土曜の朝八時半に起きると気持ちの落ち込みが軽くなっていた。顔を洗って、焼いた食パンを食べ、インスタントコーヒーを飲んだ。その後、いつものように床とキッチン周りの掃除に取り掛かる。ユニットバスは土曜のシャワー終わりに行うのが田宮の週末の過ごし方。間の日中は予定に応じてさまざまであるが、今日は特に予定もなかったので、田宮はK堀公園に寄る散歩でもしようと思い立った。

 K堀公園に足を踏み入れると、子供たちが父母に見守られながら遊んでいる。友だちとかけっこをしている子やブランコに乗って揺れる子は、身体をうごかすことが楽しくてしかたない様子だ。ベンチに座って鳩に餌をあげるお爺さんをじっと見つめる子どもは、なぜそのようなことを行うのかさっぱりわからないというような表情をしている。子どもが子どもなりに考え試行錯誤している姿を見ると、田宮はなぜだか安心する。そんな田宮自身はというと、子どものころに何を考えていたのかはあまり思い出せないでいた。

 砂場のほうへ目を向けると、穴を掘ったり、城のような何かを作ったりしている子どもたちから少し離れて、小さな子がひとりで地団駄を踏んでいる。いや、地団駄を踏んでいるようだが、よく観察すると足を前に出したり横に出したり後ろに出したりしている。そのテンポは一定で、何かの音楽に乗っているようだ。付近では、人々がわーきゃー言っている声と、犬や鳥の鳴き声しか聞こえない。おそらく砂場の子は、自分の頭の中で流れている何かの音楽に合わせてステップを踏んでいるのだろう。砂場に近いベンチを見ると、彼の様子をちらちらと確かめながら、小さな子を抱える女性のすがたが見える、かれのお母さんなのかもしれない。

 それにしても、砂場の子は飽きることなく、足でリズムをとり、踊り続けている。表情はいたって真剣で、笑いすら浮かべていない。こんなに小さいのに、必死で打ち込むことがあって、かれはなんて幸せなんだろうと思いながら、自分も同じような動きを子どものころにしていたことを、田宮はふと思い出した。

 いまでは考えられないが、幼いころの田宮少年は歌って踊るグループが出演する音楽番組を見ることが好きだった。男女問わず、人数の多い少ない関係なく、音楽に合わせて歌い踊り、煌びやかな衣装をひらひらさせている様子を眺めていると気分が高揚した。テレビに映るグループに合わせて、自分も歌い踊る。ららら〜。右足を前っ、手を上っ、ジャンプ、ジャンプ。テレビに映っている動きと合っているはずはなかったが、自分では最高にクールでキュートな踊りをしているつもりだったし、いずれは自分もかれらのように人前で歌い踊る人間になると確信していた。

 ある日、歌番組の前に放送されているニュース番組を眺めていた田宮少年は、普段はあまり気に留めてもいなかったが、このときばかりは画面に釘付けになった。

「いまゲームセンターに大勢の人が集まっています。音楽に合わせて踊る、とあるゲームが、若者の間でたいへん人気となっているんですーー」

 アナウンサーの紹介の後、ゲームセンターの映像に切り替わった。歌番組で見るような華やかな人たちではなく、どこにでもいそうな人たちが映っていた。近所のやんちゃな若者みたいな人もいれば、スーツを着た人や地味な格好の人もいる。かれらはびかびかと光る機械の前に立ち、画面に映る矢印に合わせて、足を忙しく動かしている。田宮少年は子どもながらに自分でも手が届きそうな何かを感じた。歌番組に出るためには少なくともあと10年以上成長して、その間も練習に励まなければならないだろう、でもニュース番組で特集されていたあのゲームなら、いまからでもすぐにチャレンジできるかもしれない。

 その日から歌番組の物真似だけでなく、来たるゲームセンターへ遊びに行く日に向けて、イメージトレーニングを重ねはじめた。家でも公園でも、画面を流れる矢印を幻視し、それに合わせて足を前に後に、左に右に動かしていく。田宮少年は、このゲームで大活躍すればテレビで歌い踊る日が近づくだけでなく、近所でも評判の人間として誉れ高くなるだろうと考えた。来る日も来る日もワンツーワンツー。

 両親に駄々をこね続けた結果、田宮少年はついに大型ショッピングモールに連れて行ってもらった。ここには地域最大級のゲームセンターが併設されている。真っ先にゲームセンターに向かうと、若者があのゲームの前で行列を作っている。ついにこの時がやってきた。明らかに子ども連れがいないことを心配したのか、父親は「本当にやるのか」と尋ねてきた。田宮少年は「やる」と静かに応えた。周囲の若者は親子連れが来ている物珍しさからか、こちらを見てはひそひそ話し、笑っていたように思うが、田宮少年は全く気にしていなかった。はやくおれのステップを見届けてほしいというきもちでいっぱいだった。

 ついに順番が回ってきた。田宮少年はやや緊張していたが、意気込み溢れる表情でステージに立った。父親からもらった100円を入れると起動音が鳴ったが、画面が斜め上に向けられているため、小さい田宮少年にはよく見えない。とにかく踊りたかった田宮少年は、ボタンを適当に押しまくり、何とかゲームスタートまでこぎつけた。しかし、画面が斜め上に向けられているので、相変わらず画面の矢印がよく見えない。さらに周囲のゲームの音が大きく、自分が適当に選択した謎のアップテンポな楽曲もあまり聞こえない。ニュース番組では、ステージ上の矢印が光るので、それに合わせて足を動かすこともできると言っていたことを思い出した。万事休すから一転、起死回生の手段を見つけた田宮少年は、急いで足元の矢印パネルを見た。しかし、ゲームセンター内の照明がやけに明るく、どの矢印が光っているのかさっぱりわからない。焦りに焦った田宮少年にこれ以上なすすべはなく、ただ闇雲に矢印を踏みつけることしかできなかった。

 いつの間にか曲が終わってゲームオーバー。まぐれで当てた分のスコアが表示された。思い通りに踊れなかった自分が情けなく、ゲームオーバーが表示された後も矢印を踏んでいたところ、横で見ていた父親が「何してるんだ!」と大きな声で叱り、自分を抱き抱えてその場を離れた。ちらっと見えた父親の顔は、恥ずかしさからか、飲酒時以上に赤面していた。買い物を終えて車内に戻ったとたん、田宮少年は涙が止まらなかった。

 あれ以降、歌も踊りも苦手になって、学園祭のダンスとか最悪の気分でやってたな。田宮は思い返しながら、砂場の少年が身体を動かすのを見続ける。よくよく考えれば、あれ以降何かに打ち込んだことはあったっけ。剣道は中学と高校の6年間続けたけど、特に上手くもなかったからあまり必死になれなかった。仕事は続いているが生活のためでしかない。散歩と掃除くらいか、掃除はやった分だけ成果がでるからよいのだが。

 なんだか冴えないな。田宮はせっかくのよい気候なのに、きもちが落ちていくのを感じた。あの子どもに向かって、「おまえの努力など全くもって無駄にすぎない」と告げ、かれの親に注意され、やけになって喚きながら砂場の砂を撒き散らすなどして暴れまくり、誰かが110番して呼んだパトカーに連れて行かれ、そのことが会社にバレたために居場所を失い、そのままクビになる未来を空想した。

 さすがに幼い少年の夢を潰してはよくないだろう。田宮はベンチから立ち上がり、公園を出る。帰り際、砂場を振り返ると、例の子どもはまだ踊り続けている。田宮はこのまますぐにアパートへは帰らず、行ったことのない道に進んでみようと思う。知らない道をしばらく歩くと銭湯に出くわす。銭湯なんて久しく行っていない。暖簾を潜り、靴をロッカーに入れ、番頭に入浴料を払う。何も持ち合わせていないのでタオルをレンタルする。髪と身体を洗う。田宮は、砂場の少年が公園だけでなく、家でも保育園でも踊っている姿を想像しながら湯船に浸かる。そういえば、今日は家でシャワーをする必要がない。帰ってからユニットバスの掃除をするのは面倒くせえ。けどいっか、たまにはやんなくても。(了)