魂のダンス

書く無用人

空気頭(2020/4/16(木)〜4/20(月)の雑記)

4/16(木)

 最近は夜寝る前に養命酒を飲むことが習慣になっている。生薬の匂いと独特の甘さがくせになる。身体もぽかぽかしてくる(気がする)ので、しっかり常飲している。それが昨晩切れてしまったので、お昼の時間に買いに行く。外に出ると春めいた風が吹いていて、さらに今日は晴れている。きもちがいい。サニーデイ・サービス春の嵐」を聴く。最新作『いいね!』は緻密に計算された初期衝動といった印象をうけ、たいへん気に入っている。落ち着いたら曽我部さんが最近手掛けたという下北沢のカレー屋「八月」に行きたい。明日はどこか近くのお店で何かテイクアウトしようかな。

 友人が「オマー・ハキムで聴く嵐ソング」というプレイリストを共有してくれた。聞いてみると、嵐もいい曲だらけだ。「星のFree Way」とか「Love Situation」をはじめて聞いて、特に気に入った。このプレイリストを聞いて感じたのは、2002~2004年くらいの曲に好きなものが多いということ。この時期といえば、二宮くんが『Stand Up!』というドラマに出演していて、当時小学生の自分はこのドラマの絶妙な下ネタをどう受け止めていいかわからないまま観ていたような気がする。内容を全く覚えていないため、レンタルして見返してみよう。

 昨日に引き続き、今日もずっとBEYOOOOONDSの動画を観ている。以前聴いたときと同じように、変な曲が多いなぁ(これは褒めている)と感じながら、どんどん好きになっている。InstagramのBEYOOOOONDSアカウントにすべていいね!しているくらいハマっている。

4/17(金)

 BEYOOOOONDSをはじめ、ハロプログループのYouTubeチャンネルを見ることに時間を使っていたため、今週リリースされた新譜を聴いていなかったことに気づく。いまのところ気に入っているのは、赤い公園『THE PARK』、Fiona Apple『Fetch The Bolt Cutters』、Peter CottonTale『CATCH』の三枚。

 赤い公園はいままで聞いてはいたもののドハマりすることはなかったのだが、今回の新譜はものすごく好きだ。新ボーカルの石野理子さんの力強く突き抜けた歌声に、津野米咲さんのソングライティングと抜群の演奏がみごとだ。ノイジーでインダストリアルな要素もあり、展開や構成も複雑なのに、最高にポップ。絶対にライブも観たい。

 Fiona Appleは高校生のころに一度聞いてみたが、当時はそこまでひっかからず。しかし自分の成長もあるのかはわからないが、新作はとてつもないことが一聴してわかる作品だった。特に後半の流れが好きで、「Newspaper」や「Ladies」、「For Her」といった楽曲にはたまげた。Pitchforkでは10点満点。Pitchfork10点というと、自分はElliott Smith『either/or』が一番好きです。

 そしてPeter CottonTaleは、Chance The Rapperと交流が深いキーボーディストでプロデューサー。ゴスペルの歌声に、R&B、ソウル、ヒップホップの要素が絶妙に混じり合い、このアルバムでしかなしえない祈りが表現されているようだ。なかでも「Forever Always」がド級の名曲だ。

 お昼は近所のタイ料理屋さんでカオマンガイをテイクアウトした。午後は「ハライチのターン!」や「FLAG RADIO」を聞きながら、サクサクと在宅勤務を終了させて、TVerで『勇者ああああ』を見る。ななまがり・森下さんの架空のものまね芸人ネタで一通り笑う。本を読んだり、友人とライン電話したりして、この日は終了。

4/18(土)

 外は雨がすごい。簡単に部屋の掃除をしながらも、なんだか頭が重くて作業スピードが上がらない。悪天候の日は気圧の影響で、身体がだるくなってしまう。高校生の途中くらいからこの症状が出ていて、これといった解決策もわからないまま10年くらい過ごしている。そして高校生が約10年前の出来事だったと改めて認識してゾッとする。それなりに楽しかったけど、うわぁあやっちまった消えてなくなりたいみたいな記憶もややある(なぜかそれがフラッシュバックすることが最近ある)ので、もうどうしたらいいかわからない。

 まだ見ていなかった『有吉の壁』や『あざとくて何が悪いの?』を見る。『有吉の壁』では、アルコ&ピースがかなりOAされていてうれしかった。

 本を読んだり昼寝をしたりカレーを煮込んだりしていたらあっという間に夜。会社の同期とZoom飲みをしようということになっていたので、久しぶりの近況報告もかねた楽しい時間を過ごす。

 『M~愛すべき人がいて~』、やたらとTVerで宣伝されていたのと、何やらTwitter上で話題になっていたので、恐る恐る後追い視聴してしまうと、これが脳が千切れるかと思うくらいはちゃめちゃなドラマだった。主演の方の独特な演技、展開のはやさ、熱をかける方向がずれているような演出などポイントはたくさんあるが、何といって高嶋政伸田中みな実が出ている場面は終始爆笑してしまう。次回予告で流れたスパルタ講師を演じる水野美紀の演技が気になって仕方がない。製作陣の面々はそんなに好きではないのだけれど、きっと来週も観てしまう。

4/19(日)

 午前中に注文していたBEYOOOOONDSのアルバム『BEYOOOOONDS 1st』が届く。ドキュメンタリーを見て、メンバーのこれまでと、節目の出来事が起こったときの心情を把握することで、ますますファンになる。アルバムの収録曲もばちばちに気合が入っていて、聴いていて楽しい。J-POPフルコースだ。「高輪ゲートウェイ駅ができる頃には」や「都営大江戸線六本木駅で抱きしめて」といった70~80年代のシティポップ感ある楽曲や、「元年バンジージャンプ」のようなR&B、ファンクの要素を感じる楽曲が特に好みだ。それにしてもシングル曲の(良い意味での)わけのわからなさがより際立つ。去年はじめて聞いたときはそんなにピンとこなかったけど、いまではシングル表題3曲はすっかり癖になってしまっている。BEYOOOOONDSは楽曲のなかに演劇(寸劇)の要素が入っているのが特徴なのだが、基礎がしっかりしているハロプロメンバーが、「劇を取り入れたらおもしろいのでは」という大人の真面目な遊び心に翻弄されながらも、予想をはるかに上回るパフォーマンスを繰り出しているところが魅力的なのだと思う。メンバーもそれぞれ個性的でもう名前と顔が一致するようになった。

 『ゴッドタン』事務所対抗ゴシップニュース回と『爆笑問題のシンパイ賞!』、『そろそろにちようチャップリン』を観る。『シンパイ賞』では、霜降り明星に噛みつくニューヨークが最高に爆発していて笑わせてもらった。『チャップリン』では、金の国、ナミダバシ、森本サイダーのネタが面白かった。

 夜はロロの連作短編通話劇『窓辺』を観た。ビデオ通話を活かした会話や演出が良いのはもちろんのこと、ふたりの間の心境の隔たりが通話という形だからこそ如実に伝わった。次回もたのしみにしている。

 ライブハウスを支援するキャンペーンに参加した。支援先のライブハウスをひとつ選ばなければならず、色々考えた結果、広島に住んでいたときによく訪れた4.14を選んだ。ここではたくさんのバンドを観ることができた思い入れの深い場所。ここがなければ、シャムキャッツのみなさんやHomecomingsのみなさん、カネコアヤノバンドのみなさんなどに直接ファンであることを伝えることができなかっただろう。加えて田舎者だからこそ言いたいのは、地方のライブハウスほどぜったいになくなってほしくないということ。夢中になって聴いていたアーティストが地元のライブハウスに来てくれるうれしさはかけがえのないものだ。いまの学生くらいの世代がどう考えているかは想像するしかないのだけれども、きっと自分のような趣向をもった人はいるはず。すこし背伸びをしているような体験を与えてくれるライブハウスは無くなってほしくない。そんなことを考えながら、キャンペーンに参加した。音源もゆっくり聴こうと思う。

 


4/20(月)

 ぼんやりした朝の脳をひらくために、BEYOOOOONDSと赤い公園のアルバムを聴く。

 『空気階段の踊り場』、『マヂカルラブリーのANN0』、『山下達郎のサンデーソングブック』など聴いていなかったラジオを聞く。最近はもっぱら時間の感覚がぼんやりとしていて、仕事と趣味がシームレスになっているように感じている。

 注文していたYves TumorとGEZANのレコードが届いて、うれしい。早速ふたつに針を落とす。GEZANのA面を聴いているときに、突然ウォールバーに立て掛けておいたジャケットが落ち、プレーヤーの上で回るレコードに直撃した。ぎゃっと声が出た。嫌な予感は的中し、盤面に傷が入ってしまった。1曲目の「狂」で数か所音飛びしてしまう。買ったばかりのたいせつなものを自分の不注意でよくない状態にしてしまい、本当にショックだ。小学生のころ、コロコロコミックの応募者全員サービスで手に入れたベイブレード(どんなやつかはあまり覚えていない)を手に入れたその日に壊してしまったことがあったのを思い出した。根のどんくささは20年経っても変わっていない。しかしこれも失敗から学ぶしかない。これまで以上にレコードの取り扱いに注意を払うことになりそうだ。

 盤も傷付けば心も傷付いたので、バランスをとるために思い立ったのは、映画版のクレヨンしんちゃんを見返すことだった。これは先日野原ひろし役だった藤原啓治さんの訃報も知ったこともあるのだけれども、思い返せば自分の精神的ルーツは2000年代前半の劇場版クレヨンしんちゃんだったのではないかと思ったからだ。

 大好きでたまらない『モーレツオトナ帝国の逆襲』を観る。改めて観返すとテンポの良い展開と呼応するように、キャラクターの発言はキレキレで、動きも絶妙にコミカルなことがたまらなく好きだ。昔の記憶通り、街に取り残されたかすかべ防衛隊の活躍で何度も笑ってしまう。幼稚園のバスを見事に運転するボーちゃんの活躍もさることながら、個人的にはいつも影が薄いといじられるまさおくんが、スナックでは雰囲気に酔い場末の中年みたくなり、バスのハンドルを握ると好戦的な人格へ変わってしまうサイコ野郎に描かれていることが最高にチャーミング。そしてひろしが子どもから大人までを回想する場面から野原一家が団結していく一連の流れにももちろんうるうるくるのだが、今回観返すと「20世紀博」の設立者ケンとチャコもまた人情味あふれる描かれ方をしていたのだと実感する。特にケンの「汚い金」や「燃えないゴミ」ばかりがあふれる21世紀の日本を憂う発言はいま身につまされるものがあった(し、そこで過去に戻ろうとする気持ちも子どものころよりは理解できる)。ただ「未来は俺等の手の中」なのだ。野原一家のすがたを観て、いっぱい笑い泣きして元気も出てきた。

 ずっと積読していた千葉雅也『デッドライン』を読む。フランス現代思想を専攻する大学院生であり、ゲイである「僕」の日々が語られるのだが、何よりも文章が面白い。そして「僕」が修士論文の研究対象として選ぶジル・ドゥルーズの思想が作品の通奏低音となっている点も興味深く読んだ。ドゥルーズの哲学概念のひとつである「生成変化」(Xになること。人間(男性)の支配を逃れて、「動物」、「女性」になること。)を鍵に、「僕」は自身の生き方に思索を向ける。

ドゥルーズは、生成変化を言祝いだわけです」
 と、徳永先生は言った。
 この「言祝ぐ」という言い方が僕に感染する。何かを「肯定する」、「推奨する」ということだが、哲学書に対してその表現を使うならば、その哲学には明確に「価値の傾き」があると認めることになる。荘子なりドゥルーズなりは、最終的にどう生きるのかを良しとしたのか。という実践の問いが、その表現のなかにはある。
 どう生きるか。という素朴な問いがのしかかる。それまで僕の生き方の悩みがなかったわけではない。大学に入って一人暮らしを始め、実際に同性愛を生きるようになって、不安を感じるときに現代思想は助けになってくれた。世の中の「道徳」とは結局はマジョリティの価値観であり、マジョリティの支配を維持するための装置である。マイノリティは道徳に抵抗する存在だ。抵抗してよいのだ。いや、すべきなのだ。そういう励ましが、フランス現代思想のそこかしこから聞こえてきたのだった。
 だがその励ましは、男が好きだという欲望に対する外からの弁護みたいなものであって、僕は僕自身のありようを掘り下げて考えていたわけではなかった。
 僕は何を「言祝ぐ」のか。僕自身の欲望を内側からよく見なければならないのだ。ドゥルーズを通して。
(千葉雅也『デッドライン』新潮社,2019,p106~107)

引用文が象徴するように、自分を掘り下げる過程のなかで、自分ではないものも描写していく。作品のなかで2か所、「知子」という女性の視点へ移ることもその象徴だろう。そうした語りを通して、自分を突き詰めて思考する。たいへん面白い作品だった。