魂のダンス

書く無用人

0109-0115


0109

 

 掃除をして洗濯をして平日の作り置きを拵えていたら一日の半分が終わってしまう。仕事が始まる前日は毎回こんな風に過ぎていくので、休めた気がしないし本当にしたいことができない気もしているが、それでもやるしかないし、時間は作るしかない。

 

0110

 

  三宅唱監督のインタビューがよい。

 

三宅唱さんインタビュー「名づけえない“特別な瞬間”を撮りたい」 | NHK北海道

 

―ショットという言葉を、僕も分からないまま使っていて、本当にちょっと恥ずかしいんですが、ショットは「物語」にむしろ逆らうものというか、あるいは広げていくものだというふうな感覚を、たぶん、三宅さんはお持ちなんだろうなと思っています。滑らかにスムーズに違和感なく撮っていくっていうことではなく、「物語」を超える瞬間や時間というのを大事にされているっていうふうな感覚なのでしょうか?

三宅「ああ、そうだな。うーん。何か、何に抗ってるかというと、「物語」に抗うっていうのをもう少し言葉を変えると、僕が思うのは先入観とか、イメージみたいなもの、きっとこういうシーンってこうだよねっていう偏見というか、思い込み、それを撮影現場で、いや、角度を変えて何かしかるべき演出をすれば、あ、実はこの瞬間ってこういう場でもあるんだっていう、たとえば人が人に告白して振られる瞬間ってなったときに、まあ振られる瞬間だと千差万別な気もするけれど、何となくイメージされる振られる瞬間とか、あるいは何でしょう、ある登場人物の恋人と前の恋人が鉢合わせるなんていう場面があると、「うわ、それ気まず」って思うかもしれませんよね、大抵の人は。実際そういう場面があったら、きっとこれ気まずいシーンだろうなと思うと思うんですが、でも、もしかすると、演じてみたら、その今の恋人と元恋人は、ともすると意気投合する可能性だって人生にはあって、もしかしたら、いわゆる恋人、元恋人という役割というか、自分に与えられてる、ある種の属性というかレッテルを超えて、新しい関係が垣間見える瞬間っていうものが生まれるかもしれなくて。そういう意味で言うと、そういうイメージ、偏見、先入観、レッテルみたいなものをずらす、揺さぶりをかける。そういうことができると、何か映画っていうのはすごいサスペンスフルでドキドキするものになるし、むしろそのイメージとか、こういうシーンってこうだよね、こういう人ってこうだよねとかって強化するほうに行くと、何だろうな、ちょっとつまんないかなって僕自身は思うっていうのが、自分なりの言葉でしゃべると、こんな感じです、はい」

 

 三宅監督の作品を見ると、日常の光景に対する自分の認識が変化するように感じるが、このインタビューでは監督本人から近い内容が語られていたので、納得した。

 

0111

 

 朝出勤前に「ラヴィット!」を見ながらラジオ体操をすると、心身ともに調子が良くなることに気づいた。

 

0112

 

 夜ご飯を食べながらずいぶん前に録画していた『100分 de 水木しげる』を見る。釈徹宗の「水木しげるは境界を描く作家だ」という発言に頷く。この世とあの世、生と死、それらのあわいに目を向け、関心と敬意を示すことの重要性。続けて伊集院光の「境界にはいたくているわけではない弱者も存在している」という旨の発言にドキリとする。では弱者とは一体どんなものたちを指すのだろうと考え始めると答えがまとまらず、結局頭がバーストして寝てしまった。

 それにしても水木しげる作品に通底する諦念・虚無とユーモアのバランス感覚は、いつ読んでも凄すぎる。まんが大全を家に揃えたいのだが、置くスペースがない。

 

0113

 

 労働の疲れがどっときて、帰宅後すぐに寝た。

 

0114

 

 昨年末に『THE FIRST SLAM DUNK』を見てからというもの、『SLAM DUNK』熱が冷めない。勢いそのままに新装版を全巻買って毎日ちょっとずつ読み返している。昔何度も読んでいたはずなのに改めて読み返すと発見が多い。まずこんなにギャグ多めだったっけ。キャラが立っているから抜群におもしろいのだけれど記憶よりも相当笑えるので、昔はギャグを理解するスキルが低かっただけなのかもしれない。

 当時はがむしゃらに努力し成長する桜木花道に憧れたのだが、映画を見て原作を読み返すと挫折から立ち上がりバスケットボールに再び燃える三井寿に憧れる。なので、散髪に行った際には復帰直後の三井寿の髪型そっくりに切ってもらった。おれはなんとも単純な人間である。

 ここ数年はやや長めだったけれども、短くすると乾かしたりセットしたりするのが楽ちんでよい。この調子で2023年はさっぱりすっきり快活に過ごしたい。

 

0115

 

 たこ焼き、焼きそばと並んで時折無性に食べたくなるのが大判焼き。あんこやクリームが入っているのもよいが、何といってもマヨネーズ入りポークソーセージは絶品である。大判焼き独特のふんわりとした食感と甘めの生地に、マヨネーズの濃厚なコクとソーセージのジューシーさが共鳴して、唯一無二のおいしさになる。自宅でパンを使って試作してみたことがあるが、あの美味しさにはかなわない。近隣の町に大判焼きを売る店があるので、自転車でさっと向かい、たくさん購入した。家に帰るまで我慢できず、ロータリーでマヨネーズ入りポークソーセージを食べた。家で食べるよりも格段に美味しい気がする。