魂のダンス

書く無用人

SLOW FAST(2021年7月の雑記)

 12年間バスケットボールを続けた。そのため、スポーツを行うことも見ることも好きだ。とはいえ、好きとはいいつつも、現役生活も後半になると周囲には毎日「はやく辞めたい、はやく辞めたい」と愚痴っていたのだが、それでも途中で辞めることなく行い続けたのは根底に好きっていう気持ちがあったからにちがいない。辞めたいと思っていた理由としては、ほぼ毎日あった練習の拘束時間の長さ(散漫な性格なので色々なことを気分に応じてやるほうが性に合っている)はもちろんのこと、ガリガリなのでいくら筋トレをしても筋肉がひとっつもつかないことが挙げられる。また、チームスポーツならではの意思疎通も簡単にいくわけではなく、練習ひとつでも膨大なエネルギーを消費してしまう。

 しかし、自分の意図から遠くはなれた身体の動きができたときには驚く。そして、うれしい。ここだと思ったときにパスを出すと、ちょうどいいタイミングでチームメイトが飛び込んできてシュートを決めた瞬間は、何も言葉を発していないからこその高揚感がある。その瞬間を味わうためだけに苦行のような練習を行っていたのだろうし、それを行ってきたからこそ、この瞬間は訪れたのだろう。

 とはいえ、常にスポーツのことを考えていると気が狂いそうになるので、自分が競技者だったころはオフの時間にスポーツのことを考えたくなかった。現役を離れてしばらく経った今は、距離が離れたからか、ひとりの観客としてスポーツ観戦を楽しめるようになった。バスケットボール、特にNBA観戦を再開している。そこで自分の想像を超えるプレーを見ると熱くなる。最近だと、NBAファイナルにおいて、試合終了間近1点リードの局面、ミルウォーキー・バックスのヤニス・アデトクンボが見せたアリウープ・ダンクは凄すぎて頭を抱えてしまった。どちらのチームを応援するかだとか、どの選手を応援するとかではなく、個々人の身体の動きが予想を超える瞬間を逃さないために、自分はスポーツを見続けている。

 


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 しかし、オリンピックにかかわるニュースを見ていると、純粋にスポーツを楽しむ気分には到底なれず、鬱屈とした気分になる。特に人々の生活や人命をないがしろにしているようにしか思えないお上の発言や行動が腹立たしくてしようがない。ニュースを見るたびに、「馬鹿馬鹿馬鹿!阿呆阿呆阿呆!この唐変木!」と心のなかで絶叫している。いい年齢なのでさすがに声に出しては言わない。昔、大会を見に来たチームメイトの親族が、自チームの悪口を大声で言い続けるだけでなく、自分がたまたま話していた他チームの選手のことまでけなしていたのにとても腹が立って、「このクソジジイ!」と叫んだところ、周囲からたいへんな注意を受けた苦い経験があるため、罵詈雑言を口に出して言わないのだ。口に出せない怒りは体内に溜まって、重くなっていく。くるしい。スポーツを好き好んで行ってきたからこそ、もう純な気持ちで楽しむことができないように感じられ、ますますつらくなる。

 

アーこの国の気分は

変わりすぎて疲れるぜ

2人のメロディー隠したまま

胸の奥で鳴っている

 

さんざん無理して手に入れたこの歌は

世界の果てが見えても

止まりはしないさ*1

 

 そんな気分だからか、最近はフィッシュマンズをずうっと聞いている。ネットの有志が選ぶ名盤、とか何かの企画でフィッシュマンズを知った。聞きはじめたときには、佐藤伸治はもうこの世にいなかった。はじめて『空中キャンプ』を聞いたときは、「何だか暗い音楽だな」としか思えず、あまり理解できなかったのだが、繰り返し聞いていると、地と天を行き交い、宙に浮いてしまうような心地の良い音像と演奏のグルーヴ、そして佐藤伸治の言葉が、年を重ねるごとに良いと思えるようになった。とはいえ、初期作や『男達の別れ』以外のライブ盤などは熱心に聞いておらず、遅咲きのファンと豪語できるほどでもない。そんな自分ではあったが、最近はフィッシュマンズの作品ばかり再生している。身体と気分に最もフィットする瞬間が続いていのだ。

 手嶋悠貴『映画:フィッシュマンズ』を観に行った。メンバーや関係者などによって、フィッシュマンズ結成から現在に至るまでの歴史が、レコーディング映像やライブ映像を交えながら語られる。バンドの細かな歴史に疎い自分にとって、節目節目のエピソードを知れただけでも満足なのだが、特筆すべきはそれぞれの語りと映像から、今はもうここにはいない佐藤伸治の姿が浮かび上がってくる構成だ。

 フィッシュマンズの中心人物である佐藤伸治の不在を、メンバーや関係者は今も消えない複雑な心情を吐露するように語る。あのとき佐藤伸治は何を考えていたのか、何を感じていたのか、何を表現しようとしていたのか。彼らの語りの余白から、佐藤伸治の志向する世界が立ち上がっていく。極私的な詞と、気を抜いていると虚空へと飛んでいってしまいそうなメロディー。

 そして、映画を観てさらに実感したのは、佐藤伸治の描いた世界に対して、バンドメンバーを始めとした関係者が、音のテクスチャーを徹底して構築していったことだ(後期になるとそうした余裕すら生まれないほど、切迫した雰囲気だったことも語られる)。バンドとしての営みがあったからこそ、フィッシュマンズの音楽は今も新たなリスナーを生み出しているのだろう。この映画を観たあとは、バンド・フィッシュマンズサウンドひとつひとつにより耳を澄ませるようになった。彼らの音楽は自分の心からますます離れなくなっていった。

「音楽はマジックを呼ぶ*2」ということばの通り、かがやきを消さないよう、いまも多くの人々がフィッシュマンズの音楽を鳴らし続けている。映画の終盤で流れた「闘魂2019」バージョンの「ゆらめきIN THE AIR」が頭から離れない。いまはこの世にいない佐藤伸治の声とHONZIの演奏が同期され、ZAKの手によってミックスされた音源は、いつまでも消えない感触を残している。

 

君が今日も消えてなけりゃいいな

また今日も消えてなけりゃいいな

君が今日も消えてなけりゃいいな

また今日も消えてなけりゃいいな

IN THE AIR IN THE AIR*3

 


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カネコアヤノのライブを観に行った。カネコアヤノの壮大で繊細な声と、バンドの演奏に胸がいっぱいになった2時間となった。毎回思うことだが、カネコアヤノの曲はライブになると筋力が倍になった印象を受ける。新しいアルバムの曲もパワフルで身体に響いた。特に気に入ってる「腕の中でしか眠れない猫のように」の演奏は、もちろん素晴らしかった。LINE CUBE SHIBUYAの天井を突き抜けていくようだった。

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最近ではIsayahh Wuddhaもよく聞いている。インナーポップとR&Bの融和具合がたまらなく良い。気怠さを寄り添ってくれるようなグッド・ミュージック。

 

 

佐藤究『テスカトリポカ』アステカ神話と現代の麻薬ビジネスが絡み合う極上のクライムノベル。壮大なストーリーテリングと緻密な考証によって、一文一文貪るように読み進めた。

 

 

大山海『奈良へ』あまり評価されない漫画家の主人公が実家のある奈良に帰省する話……かと思いきや、奈良に暮らす人々のエピソードだけでなく、主人公が作中で創作したであろうファンタジー漫画が奇妙に絡み合っていく。藤枝静男などの私小説からの影響を感じられる構造によって、不気味さと珍妙さが倍々となって生み出すボルテージは、まさに会心の一撃

 

 

 

今季唯一観ているドラマは『お耳に合いましたら。』「好き」の感情が消えることを恐れた主人公が、愛してやまないチェーン店のごはん、通称「チェンメシ」への愛を語るポッドキャストを始める。作り手のコメディ、ごはん、カルチャーに対する偏愛がこれでもかと発揮されているので、見てて気持ちがいい。個人的には追加キャストの藤井青銅さんの登場が楽しみです。


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『オッドタクシー』現代の風刺劇かな、と思いながら見ていると、後半にかけて怒涛の展開となっていくさまに興奮した!登場人物誰一人として蔑ろにしていなかったことが特に好きでした。白川さんみたく、おれもカポエラを習おうかしら。


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(了)

 

 

 

*1:フィッシュマンズ「気分」作詞:佐藤伸治、1994年

*2:フィッシュマンズ「MELODY」作詞:佐藤伸治、1994年

*3:フィッシュマンズ「ゆらめきIN THE AIR」作詞:佐藤伸治、1998年