魂のダンス

書く無用人

おはよう!(5/21(木)〜6/26(金)の雑記)

 さっきまで5月だった気がする。

 仕事がいきなりエンジンフル稼働になったものだから、疲弊がそれなりにある。ポンコツ人間なので、ちょこちょこ凡ミスもしてしまう。これが気にしいの自分からするとかなりのストレスを喰らう。気遣いの心労ほど蓄積するのもはない。そんなこんなで肉体的にも精神的にも奔走していたら、さっきまで5月だったのに、いつの間にか6月も終わり、7月になろうとしている。夏だ。

 今年の夏は中学生のころから夢みていたフジロックに行くというビッグイベントがあったのだが、これもコロナウィルスの影響で延期になってしまった。おれは何を糧に生きていけばいいのか。フジロックだけではなく、行けなかったたくさんのライブチケットは、コンビニのレジにふたたび通され、お金に変わる。くやしくて悲しくてたまらないので、そのお金でレコードやCD、本を買っている。しかし、ゆっくり堪能する時間は減っている。さて、どうしたものか。

 そのあたりの時間の使い方はこれから考えていくとして、最近は入念な対策をとった上で、やっと外に出て買い物をできるようになった。すなおにうれしい。時折は久々に友人と会い、飲んだりもできるようになった。直接会って話すことがいかに大切な時間だったのかを身に染みて感じている。

 久しぶりに近所の銭湯にも行けた。ここはサウナも併設しているので、転居してからはや1年、すっかりヘビーユーザーとなっている。3ヶ月ぶりのサウナは「整う」という次元を超えた心身の心地よさを与えてくれた。

 映画館も再開。久しぶりにTOHOシネマズ新宿を訪れたら、入り口に体温測定器が置いてあった。全身が映し出されるディスプレイの前に立つと、おでこのあたりに「36.3」と表示された。

 ここで何を観たのかというと、『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語だ。『若草物語』がグレタ・カーウィグの手によってふたたび映画化されるというしらせを聞いてから、ずっと楽しみにしていた。

 ボストンで暮らす4姉妹の人生が、物語内現在と物語過去を交錯させていくかたちで描かれる。わたしはどのように生きていくのかという問いが、4姉妹の、特に作家を目指す次女・ジョーの視点からもたらされる。熱情と葛藤に揺れながらもまっすぐ生きていく登場人物のすがたがとても良かった。

 近所の映画館も再開されたので、ロングラン上映されていて気になっていた『羅小黒戦記』を観た。妖精と人間が共生する世界におけるつながりがテーマの作品のように感じた。人間によって住む場所を奪われた猫の妖精・シャオヘイと妖精との共生を目指すフーシー。ひょんなことからふたりきりで行動するようになった彼らの間にじょじょに師弟関係のようなものが芽生え、その過程がなんとも微笑ましい。ことなる存在同士がいかにしてともに生きていくかというテーマが、ジブリ×CGのような迫力あるアニメーションによって表現されており、こちらも良かった。

 しかし残念なのは、これを上映していた映画館が8月いっぱいで休館になってしまうことだ。上京してから1年。ふらっと映画を観に行こうとした時によく訪れた。上映される作品も観てみたいと思うものばかりで、映画館のない土地で生まれ育った自分としては、新たな楽しみがまた増えたように感じ、このまちに住んでいることがより好きになることができた場所だ。今回会員登録も更新したのに、無念極まりない。

 以前よりはペースが落ちているものの、本はちょこちょこ読んでいる。楽しみにしていた多和田葉子『星に仄めかされて』を夢中になって読んだ。日本をモデルとした国が何らかの理由で消失した世界。失われた国出身で、スカンジナビア人ならある程度相互理解が可能な言語・パンスカを操るHirukoと、言語学者の卵であるデンマーク人のクヌート。彼らを中心に、消失した国の話者を探す旅は前作『地球に散りばめられて』から、さらに前進する。

 各章で異なる登場人物が語り手となることで、重層な作品世界が生み出されていくだけでなく、言葉そのもののおもしろみを体感できる語りが素晴らしい。特にHirukoの語りは全文引用したくなるようなかがやきにあふれている。

 

「わたしは誰だったっけ? 朝、目が醒めて最初にそんなことを思うことがある。わたしは何語が話せるんだっけ? 別に記憶が消えたわけじゃないけれど、でも睡眠によって一度意識が途切れたせいで、なんだか遠ざかってしまった自分にあらためて出遭うのが不思議。朝って、まだ自分が誰なのか思い出せてない時間でしょう? わたしは今日、誰と話すつもりだったんだっけ? いろいろ疑問が湧いてくる。でもね、おはよう! と声に出して言うと、なんだかほっとする。おはよう! 子供の頃は一つの言い方しか知らなかった。おはよう! 朝起きて最初に声に出す言葉は、おはよう。じゃぶじゃぶっと顔を洗って、ミントの味のする歯磨き粉をつけて歯を磨いてから、お父さんとお母さんにおはよう、と言っていたでしょう。それとも照れて、やあ、なんて言ってごまかしていたの? 教室に入って授業の始まる前、クラス全員で声を揃えて先生に、おはようございますって言ったでしょう。一日の初めにまわりの人たちと同じ時間を生きていることを確認し合う言葉。おはよう。」

多和田葉子『星に仄めかされて』講談社、2020)

 

 多和田葉子さんの作品を読んでいると、ふだん使っている自分の言葉が、ふわっとどこかへ飛び立ってしまったと思うと、急に戻ってきたとたん色彩が変化したような感覚になる。そうした読む行為の快楽をもたらす稀有な作家だ。

 本作は言葉と言葉の境界を往復し問いを生み出しながら、人格の境界を融和するような場面も存在する。あらゆる境界をふわりと飛び交う登場人物たちの、旅のつづきがさらに楽しみになる、そんな作品だった。

 話は変わって、最近はUKジャズをよく聴いている。Ezra CollectiveShabaka and the Ancestorsとかを通勤の時に聞くことが多い。家に帰ったら相変わらずレコードに針を落とすか、ハロプロの動画を見ている。

 ライブ配信だと柴田聡子さんのインターネットひとりぼっちがとても良かった。グリーンバッグに映し出される各地の会場や名産とともに、弾き語る柴田さんの歌がとても良い。昔の曲もたくさん演奏してくれたのも嬉しかった。

 GEZANのドラマー・ロスカルさんによる30時間耐久ドラムも度々観ていた。そろそろクライマックスかなと思い、ユーチューブを起動すると、メンバー全員が揃い、海辺での演奏で幕を閉じた。夕方から夜に切り替わるなかで鳴らされるGEZANの演奏は、これ以上にないほど美しかった。

青い円盤(2020/5/14(水)〜5/20(火)の雑記)

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 無心になれる作業が好きだ。大学生のころ、所属していたクラブで、最近の活動内容を報告する広報誌のようなものをOB・OGに発送するという雑務があった。はじまるまではすこしだるいなと思いながらも、適当にふられた仕事内容を把握し自席につく。封筒に宛名シールを貼ったり、なかに入れる案内を三つ折りしたり、周囲の人と世間話をしたりするうちに、平素では考えられないような集中力が発揮される時間が発生する。いや、集中というよりも、その作業をしている時間だけ、何も思考が生まれていないと言おうか、身体の動きのみが機械のように作動していると言おうか。この時間を経験したあと、何故か頭のなかの老廃物がすらぁと流れていったような、すっきりとした感覚になるので、ぶつくさ言いながらも人一倍しっかり取り組んでしまう。

 最近の自分にとって無心になれる作業というのは、レコードをひたすら綺麗にすることだ。ディスクユニオンで売られているレコクロスと、洗浄液であるレコクリンを愛用している。公式で紹介されている使用法のように、まずはレコクリンを数適、10 円玉の大きさくらい垂らす。レコクロスを使い、埃を拭き取る程度の力加減で、かるーく拭く。二週目もはじめと同程度レコクリンを垂らすが、この時はレコクロスでしっかりと力を入れて拭く。そうすると、案外綺麗に見えた中古レコードも、拭いてみると黄ばみが付着しており、汚れていたことがわかる。一眼で掃除の成果がわかるときもちがいい。この作業も写経のように無の心で行っているので、脳内の洗浄にももちろん効く。束の間の自浄作用。銭湯やサウナになかなか行けないなか、最近の生活のささやかな癒しである。

 レコードといえば、待ち望んでいた品物が届いた。サニーデイ・サービスの新作『いいね!』のレコードだ。本作は「熟成した初期衝動」とでも形容できるのではないか。長いキャリアを積んでいるからこそ成される音の配置などが素晴らしい一方で、メロディラインや鳴らされるサウンドは自分にとって大切となる音楽を初めて聴いたときの高揚感を、そのまま表現したようなみずみずしさがある。市井の人々の感情の動きを曝け出すような、実直な歌詞にも心を掴まれる。

 

コンビニのコーヒーはうまいようでなんとなくさみしい
恋もさめるもの
温めなおしてもちょっと最初と違うんだ
そんなことわかっているよね
サニーデイ・サービス「コンビニのコーヒー」)

 特に「コンビニのコーヒー」という曲が好きだ。頭出しのノイズが軽快なバンドアンサンブルに変わり、引用した歌詞が歌われる。コンビニのコーヒーというすっかり人々の日常に根差したモチーフが、「ぼく」と「きみ」の関係性を引き立たせる。すぐに手に入れることができるし上質だけれど、手に入れる容易さであったり消費しやすい品物。同じようにふたりの関係は、当初の熱は冷めてしまい特別感も無くなってしまった。けれども、「ぼく」は「いつも孤独なきみ」に対して歌い続ける。刹那のきらめきと祈りにあふれた素晴らしい楽曲だ。

 よく言われるように、レコードも音圧が高く、何回も何回も針を落とす。まさに「笑顔がヘタなぼくらのため」の歌が揃っている傑作だと思う。

 すこしずつ出社が増えたので、もう作業しながら音楽を聴いたり、ラジオを聴いたりすることができない。評判のラランドの声溜めラジオを聴き始めた。怠惰な性格に起因するエピソードが抜群に面白いニシダさんと、それに対しサバっとしつつも一番面白がっているサーヤさん、ふたりの掛け合いが抜群に面白い。すでに半分以上は聴いたので、近いうちに追いつきそうだ。

 一日家にいるときは、ふと本を手にすることができるので良い。TVOD『ポストサブカル焼け跡派』を読んだ。書店員のコメカさんと出版社勤務のパンスさんのお二人が、70年代以降のポップミュージシャンについて、対談形式で語っていく。そこでテーマとなるのは、時代のなかで活躍するミュージシャンが、「そこでどのように表現し、いかに振る舞い、そしてそれが社会においてどんな意味を生んだのか」という文化的精神史だ。

 取り上げられる人物は、矢沢永吉沢田研二坂本龍一に始まり、戸川純フリッパーズ・ギター電気グルーヴ椎名林檎星野源と多様にわたる。歌は世につれ、世は歌につれ。読みながら、そんな言葉が頭をよぎった。対談形式というフランクさだからこその思考のうねりがたいへん面白いと感じる反面、もう少し説明が欲しいなという点もあったが、個人的にはずっと考えているカルチャーと社会の関係について改めて思考を広げることができた。そしてこれをきっかけに、大学時代は途中で読むことを頓挫してしまった『ひとびとの精神史』(岩波書店)に再挑戦してみようと考えている。

 夜眠る前に、TVerで配信されている『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』がささやかな楽しみとなっている。本放送を観ることができなかったので、本当にありがたい。2016年のはじめに何をしていたかを思い出そうとするけれど、ぼんやりとしか思い出せない。多分進路のことを考えるのに精一杯だったのだと思う。そのときそれなりに考えて出した結論は間違ってなかったと確信してしているので、無駄ではなかった。無駄な時間などないのだ。

ふたしかな(2020/5/7(木)〜5/13(水)の雑記)

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 いつのまにかゴールデンウィークも終わり、在宅勤務と外出を控える生活がふたたびはじまる。仕事をしているといつの間にか夕方になり、適当にその日の夕食を食べたあと、のこった作業を行ったり、本を読んだり、テレビや映画やYouTubeを観たりしているうちに真夜中。半ば惰性で布団に入り、気付くと朝。

 

朝がきて 夜がきて また朝が 夜になって
また朝が来て また夜が来て 朝が
坂本慎太郎「きみはそう決めた」)

 坂本慎太郎さんのソロワークスを聴き直す機会が増えている。時折冷房を入れ始めるくらいには暑くなってきた室内を、すこしだけまろやかにしてくれる気がする。Tom  WaitsやWilco、Yo  La Tengoの音楽もいまの気分にあっていて、よく聴いている。
 とはいえ抑揚のない日々は、いわれのない不安が増しに増す。報道を見て、腹立たしさと落胆を覚える。今後について、どうしようもない考え事が頭から離れなくなる。何となく居場所を変えたくなって、引っ越す予定もないのに賃貸サイトで物件を見てしまう。
 身体の活動量は減っている代わりに、精神の活動量がぱちぱちと活発になっているので、日に日に気力が消耗していく。いまはこの状態を無理に解消することもできないので、精神の動きとほどよく向き合っていくしかないのだろうか。

 悶々としているなか、ナナ・クワメ・アジェイ=ブレニヤー『フライデー・ブラック』を読んで、その漲るパワーに圧倒された。人種差別による暴力、格差社会、激化する商戦……現代社会に渦巻く喫緊の問題を、作者はSF的ともいえる想像力を駆使して、12編の短編のなかに描き出している。時にユーモラスで、時にグロテスクな物語の数々は、現代社会を根底からまなざしているからこそ、生み出されたといえるだろう。

 

作家は、権力に対して『真実』を語ることができる。最も弱い立場にいる人々の痛みを声にすることができる。その声をつかって、自分のことだけ考えていればいいと思わせるようなシステムに対抗することができるんだ。
(「ペン・アメリカ」でのインタビューより。藤井光の解説文、P320、駒草出版

 本作の「声」に耳を傾け、想像力を駆使し、身勝手な構造と戦うこと。自分が好んで読む笙野頼子さんや向井豊昭氏の作品や、GEZANの活動などとも共鳴していると感じ、今年刊行された海外文学の中でもお気に入りのものとなりそうだ。パワーを持つ作品を観聴きすると、自分もいてもたってもいられなくなる。優れた作品にはそんな力があると、改めて感じた読書体験となった。

 そして、mei ehara『Ampersands』がものすごくよくて、発売後繰り返し聴いている。レゲエ、R&B、ソウル、ブルースなどの要素を取り入れた演奏に、低体温の声が抜群にマッチしている。長いお付き合いになりそうな作品だ。

 活発となった精神の動きと向き合うしかないのかと書いたものの、もしかすると自分は、終わりは見えずやや切迫感のある仕事からすこし離れて、色々なものを観聴きすることで活力を得たいのだと思う。

羅針盤(2020/5/2(土)〜5/6(水)の雑記)

 今年のゴールデンウィークは、NOT  WONKのライブを観て、せっかくなので国内ひとり旅(東北編)をしたり、遠方の友人に会いに行ったりしようかと思っていたのだが、どれもこれも中止になってしまった。スーパーに買い出しに行く以外は家に引きこもるという在宅勤務の延長生活で、メリハリが感じられない。一日の大半はNetflixYouTubeを観るか、レコードを掃除しつつ再生するかしていただけだった。積読の山を崩していこうかとも思ったが、こちらはあまり進まなかった。

 とはいえ、この機会に友人といわゆるZoom飲み会をしたことが数少ない楽しみのひとつだった。近況報告ももちろんだが、ある友人たちといまの気分で10曲選んで共有し、その場でいくつか聴いてみるという試みが特にたのしかった。友人のおすすめは自分も良いと感じる曲もあれば、もちろんピンとこないものもあるからおもしろい。何よりも自分は知らなかったけれどもこれは良いと感じるものを発見できうれしい限りだ。
 Lianne  La  HavesやKyle  DionといったR&Bシンガー、90年代前後にThe  Smithsチルドレンとして活躍したThe  Sundays、そして真心ブラザーズの良さを改めて知る。
 そういえば真心ブラザーズのアルバムは、週刊少年ジャンプの巻末コーナー「シティポップ」アルバムの1枚として、スカート澤部さんが選出していた。こちらではSaToAも選出されていたので、澤部さんの視点に唸ったりもした。

 あまりのテンポの良さにツッコミが追いつかないものの、何だか先の展開が気になってしまい、ついに『梨泰院クラス』を全話観てしまった。細かい点はネタバレになってしまうので多くは触れないが、この作品は悪者が徹底して悪者に描かれているため、相当観やすいのだなと感じた。ちなみに悪者がなぜ悪者になったのかはそこまで詳しく言及されないため、やや疑問が残るところ。
 とはいえ、この作品は出来事の展開と主人公サイドの登場人物たちが愛すべき存在として描かれていることから、支持を集めているのだろうか。自らを追いやった相手への復讐と自身の夢を叶えるため信念にまっすぐな主人公のパク・セロイ、IQが高い天才かつソシオパスでありセロイに恋心を抱くチョ・イソ、ヤクザを辞めてセロイについていくチェ・スングォン、トランスジェンダーの料理人であるマ・ヒョニなど、魅力あふれる人物ばかりだ。とても好きな作品かと言われるとそうではないが、人には薦めやすい作品だと思う。
 この流れで『愛の不時着』も観始めたのだが、1話から財閥令嬢兼やり手の社長である主人公が、自社製品のパラグライダーのテスト飛行をしたところ、竜巻に巻き込まれてしまい、北朝鮮へ不時着するというトンデモ展開で笑ってしまう。
 ここでラブロマンスの予感もあるので、さらにツッコミを入れたくなるが、展開のテンポが良すぎるため、こちらも先が気になってしまう。

 ナインティナイン岡村隆史さんの発言に対する爆笑問題・太田さんの見解がとてもすばらしかった。岡村さんの発言の問題点を捉えながら、かれを批判する人々の視点だけでなく、岡村さん側の視点も包括しながらの語りは、まさに本音で人に寄り添う45分間だった。

 だらだらと家にいるだけだとあまり体力を使わないからか、夜なかなか寝つけなくなっている。そんなときには、自宅でできるだけ身体を動かそうじゃないか。
 自分が活用しているのは、なかやまきんに君YouTubeチャンネルにアップロードされているトレーニング動画だ。これがたいへんキツくて効くのだが、自分が何よりも好きなのは、きんに君もトレーニングの合間合間で視聴者へキッツいなぁという表情を見せてくれることだ。
 それを見ると思わず笑ってしまうのだが、きんに君ですらキツくても頑張っているのだから自分も頑張ろうというきもちになれる。
 そして、〆はお気に入りの音楽を聴きながら近所をランニングする。最近はランニングをする人が増えている気がする。

 多和田葉子『言葉と歩く日記』を読み進める。多和田さんが自著『雪の練習生』を自らドイツ語に翻訳していく日々のなかで、出会った人々や体験を踏まえながら、言葉への思考を綴っていく。多和田さんの体験と思考をなぞることのできる貴重な読書体験だ。
 多和田さんがフランスのティオンヴィルという町の高校のドイツ語クラスに呼ばれたときの一節が印象深い。そのクラスの先生は過去に授業でフランスとドイツの原発に関する記事を読んだという。その内容がかなり違うことを踏まえて、多和田さんはこう考える。

 母語で得られる情報だけに頼るのは危険だ。外国語を学ぶ理由の一つはそこにあると思う。もし第二次世界大戦中に多くの日本人がアメリカの新聞と日本の新聞を読み比べていたら、戦争はもっと早く終わっていたのではないか。それはアメリカの新聞に書かれていることが正しいという意味ではない。書かれていることがあまりに違うというだけで、自分の頭で考えるしかない、何でも疑ってかかれ、という意識が生まれてくる。そのことが大切なのだと思う。
多和田葉子『言葉と歩く日記』岩波新書、2013年、p.214)

 ことばとことばのあいだで創作を続ける多和田さんが述べると説得力が増す。
 そして、これはことばとことばのあいだだけでなく、日々の生活のなかでも活きるのではないだろうか。言われたことを鵜呑みにせずに考えることは、いま最も必要とされるのではないだろうか。
 そして後書きには日記という形式について、印象深い一節がある。

毎日湧き上がってくる数々の疑問、数々の優れた書物との対話、旅で出逢った人々の言葉、街角で目にした光景、言葉にまつわる出来事や出来事としての言葉、友人、家族、作家仲間、過去の作家たちの亡霊。いろいろな声を入れることのできる日記という形式に感謝したい。
(同前、p.232)

 自分がこうして書き連ねていくことばも、未熟ながらもポリフォニックなものにしていきたい、などと感じた。

インスタント(2020/4/27(月)〜5/1(金)の雑記)

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4/27(月)

 

 ずっとラジオを聴いている。基本的に、radikoのタイムフリー機能を使って過去1週間に放送されたものを聴いている。そうすると時折流れる時報やパーソナリティのテンションなどから、いま流れる時間とラジオから流れてくる時間がズレていることがだんだんはっきりしてくる。
 Netflixで『火花』を観終わる。特に8話以降が良かった。徳永と山下のお笑いコンビ・スパークスの隆盛と下降、そして徳永の師匠のあほんだら・神谷の転落。物語を支えていると感じるのは、ロングカットで映し出される人物の表情だ。特に白髪を真似た神谷にたいして、徳永が怒りと失望と悲しみが入り混じった表情をするシーンが印象的だ。もちろんこの場面だけではなく、徳永を演じる林遣都の演技が全編通して良い。スパークス解散ライブの場面を観ると、どうしても涙が流れてしまう。迷走を重ねる神谷を演じる波岡一喜も良い。そんなわけで原作を棚から取り出して読み返す。

 神谷さんの頭上には泰然と三日月がある。その美しさは平凡な奇跡だ。ただ神谷さんはここにいる。存在している。心臓は動いていて、呼吸をしていて、ここにいる。神谷さんはやかましいほどに全身全霊でいきている 。生きている限り、バッドエンドはない。僕達はまだ途中だ。これから続きをやるのだ。
又吉直樹『火花』文藝春秋、2015年)

 


4/28(火)

 

 『ファーストサマーウイカのANN0』を聴く。ここ数週間で頻繁に話題に挙がる安田顕さん(特に変態エピソード)が、Twitter上で連絡をとったことによりまさかの電話出演。胸があつくなる展開に業務の手を止めて思わず聴き入ってしまった。それにしても、安顕さんのもったりとした話し方が気になってしまい、電話口からも不思議な方という印象が強く残った。いやしかし、誰しも黒歴史だらけだという安顕さんとウイカさんの発言や、安顕さんがだからこそ若い人の失敗に寛容であるべきだと言いかけたらCMに入ってしまったことなどが本当によかった。
 お昼にコンビニにご飯を買いに行くと、近所で水道か何かの工事をしていた。交通整理員の方とお疲れさまですと言い合った。
 最近はレコードプレーヤーの調子が悪いことと気分がダウンしているのもあって、音楽を聴く気になれない時間が多かったけれども、『ウイカANN0』のおかげで気分が上昇し、Apple Musicの再生ボタンを押す。XTCPixiesSonic YouthPavementニューウェーブオルタナあたりを聴いてより元気が出る。何だか久しぶりにandymoriが聴きたくなってきて、好きな曲をピックアップして聴く。andymoriを聴くとバンド活動をしたくなってくる。
 業務を終え、スーパーに買い出し。今日は麻婆豆腐が食べたい気分だ。家には甜麺醤だのウスターソースだのはないので、クックドゥで済ませる。こんな具合に適当でいいのだ。明日の分も残しておこうと思ったが、美味しくて一気に食べてしまった。というか本当に3~4人分なのかというくらいすくない量だった。表示されている挽肉と豆腐の量を次に作る時は倍にしてやろうか。
 Netflixを徘徊する元気も出てきたので、話題の『梨泰院クラス』を観る。「梨泰院」と書いて「イテウォン」と読むらしい。「いてうぉん」と入力したら漢字で変換候補が表示されてびっくりした。そんなことはどうでもよいのだが、内容に関して言うと1話から怒涛の速さで展開が進み、ツッコミが追いつかない。念のため続きも観てみるが、このお話しはいったいどこへ向かっていくのだろうか。
 その後『ミッドナイトゴスペル』も観てみたが、こちらは観るドラッグとしか言い表せない作品だった。主人公が謎デバイスを用いて仮想宇宙のとある星に行き、そこでの出来事をラジオとして放送する?流れなのだが、肝心の内容を理解しようとすると脳が溶ける。1話はゾンビが大量発生している星に行き、そこである国の大統領と会話を広げる。しかし、ここで繰り広げられる会話が問題なのだ。薬物を使用することへの是非を延々と話しているかと思えば、いつの間にか瞑想や精神世界の話へと展開されている。いみがわからない。そんななかでも星を襲うゾンビの危機はますます深刻になっていくし、登場人物は闘うなどして普通に対処していくので、ますますわけがわからない。にもかかわらず最後は会話の内容とゾンビパニックが思わぬ方向で合致する。なんじゃこのアニメは。元気なときにしか観れない作品だ。
 自宅筋トレをしながら、Jamie xxの新曲「idontknow」を聴いているとちからがみなぎる。そのながれでBamba Pana、DukeといったタンザニアのダンスミュージックやRP Boo、Traxmanといったシカゴのジューク界隈を聴くと、さらにちからが沸く。久しぶりに爆踊りしたくなる気持ちを少し抑えて、ちいさな部屋で頭を振るのみにしておく。

 

 

4/29(水)

 

 なぜか自分は戦時下にいる。自分が通っていた大学の体育館のフロアが銃撃戦の会場となっている。体育館の外は架空の空間が広がっていて、なぜかそこだけ平和にロックフェスティバルが開催されていた。
 体育館のフロアでは、血みどろの争いが繰り広げられるなかで、ステージでは向井秀徳が決死の表情でギターをかき鳴らし叫んでいる。なぜステージには銃弾が飛ばないのだろうか、もしや向井秀徳がはじき返しているのではないだろうかと考えていたら、目が覚めた。夢だった。
 そういえば今日は祝日だった。もはや祝日という感覚はない。『アルコ&ピースのD.C.GARAGE』と『チョコレートナナナナイト』を聴きながら、簡単に掃除をして、飯を食う。
 ずっとごろごろしている。特に何かをしようというきもちになかなかならない。TVerで『あちこちオードリー』、『相席食堂』などを観る。『相席食堂』では、兎味ペロリナさんのロケが微笑ましかった。明確に定まっていないキャラ設定、根の真面目さ、ボクシングの山根会長と偶然出会う運の強さなど、見どころたくさんだった。
 ここ最近は夜になると、『アフター6ジャンクション』を流していることが多い。定時で帰れていた去年の研修期間中は聴いていたのだが、本配属が決まり残業が当たり前になってくるとなかなか聴くことができなかった。改めて聴くと、耳から入る情報が自分にマッチしていて勉強になる。今日はDJの人が邦楽を中心にミックスしていて、こぶしファクトリーの「桜ナイトフィーバー」が元々はKANの曲だったことを知った。

 

 

4/30(木)

 

 GWに入るというのに、業務内容が日に日に増えていく。
 井出健介と母船のニューアルバム『Contact From  Exne Kedy  And The  Poltergeists』がとても素晴らしい。サイケデリックロック、グラムロック、ブラックミュージック、そして歌謡のテイストが入り混じり、妖艶な雰囲気に満ち満ちている作品だ。歌詞も不思議で、どうやら物語形式になっている。これはフィジカルも手に入れて、しっかりと聴き込みたい。
 さくっと業務を終えたことにする。最近はあまり本を読んでも頭に入ってこないので、TVerNetflixを観る。『あちこちオードリー』、『梨泰院クラス』、『ペーパーハウス』を観る。
 『梨泰院クラス』は1話が怒涛の展開過ぎてはたしてどうなることやらと思っていたが、2話以降もそのテンポが全く減速せず、困難と希望が次々とあらわれる。父親を失い、中卒で前科者になってしまった主人公・パク・セロイが、居酒屋チェーンの社長となり野望に突き進む話なのだが、曲がったことが大嫌いで信念を曲げないセロイが時々ポンコツさを見せるのが可愛い。刑務所を出所し遠洋漁業でお金を貯め、ようやくお店を出したにもかかわらず、コンセプトがはっきりとしない店になっていることにあまり気づかないことなど、思わず突っ込んでしまう。しかしここでもテンポを落さず、かれの力になる人物がたくさん登場し、セロイの信念に揺さぶられ、前に進んでいく。あと主人公が恋い焦がれる人物・オ・スア演じるクォン・ナラが指原莉乃にすこし似ているけれども、不機嫌なときの眼がめちゃめちゃ良い。あれ、意外と観るのが楽しくなってきている。

 

 

5/1(金)

 どうやら休日らしい。メリハリがなく状況も状況なので、以前みたいにテンションが上がるはずもない。しかし、今日はすこしだけ良いことがあった。注文していた新しいレコードプレーヤーとCDコンポが届いたのだ。本格的なオーディオを整えようかと思ったけれども、所詮ワンルームの小さい部屋でひっそりたのしむ程度なので、あくまで最低限の設備にした。それにしてもこれまで安いレコードプレーヤーに内蔵されていたスピーカーで聴いていたのとは全く違い、当たり前だが音が良い。

 そして別日に届いていたthe pillowsのレコードに針を落とす。きもちがバッドに入りそうなときは、自らの精神的支柱になったたいせつな作品にふれるにかぎる。特にthe pilllowsの3期初期作品では、『RUNNERS  HIGH』が特に好きだ。いまでも曲順だけにとどまらず、歌詞もしっかり覚えている。そんな思い入れのつよい作品を聴いたことで、心持ちも上昇していく。
 Netflixで『梨泰院クラス』を観たり、TVerで『勇者ああああ』を観たりしているうちに、いつのまにか夜。大学時代の同期とZoom飲み会をする時間になる。
 久しぶりの再会なので昔話に興じつつ、近況を報告し合った。いまでも少年の心を持ち合わせている友人が、何かアクションを起こそうとしたのか、突然持っていたスマホでアダルトビデオの映像を見せてきた。おいおい何してんだよと皆から総ツッコミをくらっていたときに、別の友人の部屋の電球がタイミングよく切れた。遠隔でポルターガイストが起き、それはもうはちゃめちゃに笑い合った。その後深夜までZoom飲みは続き、自分はというとしっかり寝落ちしてしまいましたとさ。