魂のダンス

書く無用人

身体をギュッとね!(0220-0225の雑記)

 知らない人が近くにいることが昔から苦手で、電車でも極力座らないし、ふらっと入ったお店で横の席と距離が近い席しか空いていない場合は咄嗟にテイクアウトに切り替える。

 というのも。わたしは大きな図体をしているだけでなく根が心配性のため、横の人から「突然大きな人がやってきたから、自分のパーソナルスペースが著しく狭くなったではないか。非常に不快だ」と思われているのでは、と考えてしまい、いてもたってもいられなくなってしまうのである。

 それなのにやたらと距離が離れているとそれはそれで不自然のように感じてしまい、適度な距離を詰めるために尻を動かして微調整するという奇っ怪な動きをしてしまう。

 昔、親類の集まりがあって、10代から20代前半の子どもたちは自然と近いテーブルに集まって座り、刺身やスーパーで買ったオードブルをつまみながら、当たり障りのない話をしていた。わたしの横には少し歳の上のいとこが座っていて、その人が10代のころは思春期特有のとっつきにくさがあったためろくに話をしたことはなかったのだが、その集まりのころにはすっかり落ち着いて、よく飲みよく食べよく喋る快活な人間になっていた。案外おもしろい話が聞けるかもしれないと思い、話しかけてみようとするのだけれど、話しかけるにはやや距離が離れている。スッと近づいて声をかければいいものの、わたし自身思春期真っ只中ということもあり、無邪気に話しかけることを恥ずかしく感じていた。

 そこで。テーブルに並ぶ食事のなかから自分から離れたところに鎮座している唐揚げをとりつつ、ちょっとずつ尻を動かして自然とその人の近くにいる、というシチュエーションを生み出そうとした。

 しかし。妙にもぞもぞしている人間が横から近づいてきたら気味が悪いにちがいない。その人はわたしの気配を察知したのか、お手洗いに行くという口実でサッとテーブルから離れ、戻ってきたときには自分よりも離れた位置に座ってしまった。

 こんなことを思い出したのは久しぶりに小劇場にお芝居を見に行ったからで、最近はコロナ対策のため席と席の間にゆとりがあったものの、制限が緩和されたのか横の席との距離が近くなっていた。可能な限り身を縮めているときに、ふと昔のことを思い出して唐突な自己嫌悪に陥ってしまったのだが、お芝居がそれはもうおもしろかったからちっとも気にしていないのである。

 ちなみに今は友人の結婚式に行くために新幹線に乗っている。横の席の人が窮屈そうに仮眠をしているので、今日も身を縮めている。

THE WORLD(正位置)(0206-0219の雑記)

 前回の更新以降、一文字も書くことができずにいた。その状態が続くと、何を書こうとしていたのかをまったく思い出すことができず、単純に朝起きて会社に行って働いて家に帰って寝るだけの日々だったように感じるが、実際のところはそうではない。日によって忙しいときがあればそうでないときもある。ふとしたときの雑談に救われることがあれば、何気ない一言でぼろぼろになってしまい一日中落ち込んでしまうときだってある。あとから振り返ると思い出せないことでも、その日その日ごとにグラデーションというものが間違いなくあって、そんなことをひとつひとつ確かめていくために毎日書こうとしているのに、結局できない日が続いているなんてまったくもってダメである。

 先日まで読み進めていた小島信夫各務原・名古屋・国立』のなかにも、少しでも現状がマシになるようにただ書く、みたいな一節があった。前向きになるためにも、何が何でも書くしかないのだ。というわけで、ここ最近のことを手短に振り返ろうと思います。

 

 

 ご想像の通り、平日は労働にすべてをもっていかれているわけだが、毎日『池袋ウエストゲートパーク』を見返すことが唯一の楽しみだった。長瀬と窪塚のギラつき、クドカンのエネルギッシュな脚本、堤幸彦の演出は、今見返してもかっこいい。

 ドラマの長瀬よろしく、心の中で毎日「めんどくせぇ」と絶叫しながら鬱気味を誤魔化している平日とは打って変わって、土日は完全に躁状態である。

 ここ最近はありがたいことに毎週末誰かと会う予定があって、友人とサウナに行ったあとに美味しいもつ焼き屋でビールと食事と雑談を楽しんだり、別の友人たちとは好きなレコードを持ち寄って、音楽を聞きお酒を飲みながらだらだらと喋ったりしている。気が置けない仲間たちと気の向くままに喋るという行為こそ至高。いつまでも話していたいし、話を聞いていたい。

 

 

 幸いなことに、ふらっと入った飲み屋さんでも話していて楽しい人と出会うことができた。占星術やタロット占いに精通しているその人によると、今年の3月何日に訪れる最強に運気の良い一日を境に、全世界の運気が好転するという。また干支が卯年であることから、全体的に人々の動きが活発になるとも言っていた。どこまで信じるか信じないかは判断がつかないものの、「こういった占いっていうのは、ちょっとでも生きやすくなるから大事なんだ。良くないことが起こったことは、運気が下がっているからと考えることで深刻になりすぎることがないし、逆に良いことが起こったときはますます前向きになることができる。要はうまく信じていけば良いのだ」と言っていたことに妙に説得力があった。

 お酒の入った状態でなるほどなるほどと聞いていた自分だから真正面から受け止めているものの、こうして書かれたものを読んでいる人にとっては何を言っているんだと疑問に思うかもしれない。でもこの方の喋りには妙に説得力があったし、何だか前向きに、楽しそうに生きている感じもまっすぐ伝わってきて、自分としてはこの方の発言を信じてもよいかも、なんて思っている。

 ようやく仕事も落ち着きつつあって、今年は転職の準備やら作品の準備やら何やらで忙しくなりそうではあるけれども、同時に色んな人と会って話を聞きたい、そんな気分になってきている。

0130-0205

 

0130

 

 平日は朝早めに起きてやりたいことをやろうと決意したのだが、あまり体調が優れず結局通勤ぎりぎりまで寝てしまう。これを書いているのは金曜日なので正確には1/30の日記ではないのだけれど、今週はずっとこんな感じの日々が続いたので先に報告しておきます。

 

0131

 

 小島信夫各務原」がおもしろすぎるのだが、説明が難しい。とにかくおもしろいのだ。

 

0201

 

 2月に入っても仕事が忙しくて、忙しいことに飽きてきた。

 GEZAN『あのち』を聞く。これまでの作品にも表れていた激しさに心を動かされるいっぽうで、プリミティブな生の歓びとでも言おうか、ポジティブな共鳴とでも言おうか、前向きな姿勢にとても好感をもった。作中ではMillion Wish Collectiveとして集まったメンバーの、多様な声が響き合い、本作でしかなし得ない音が鳴っている。素晴らしい。誰が言ったのか忘れたけれど、誰もがバラバラな声で歌っていることで生まれる美しさこそが素晴らしい、といった内容のことを本作を聞いて思い出す。

 

0202

 

 小島信夫「名古屋」を読み進めて、働いて、GEZAN『あのち』を聞いて寝た。

 

0203

 

 残業続きの毎日だが、今日は21時くらいに今やるべきことがすぱっと消えてしまった。普段はもう少し遅くまで会社にいて、同僚もほとんど残業しているのだけれども、思い切って退勤した。別に悪いことをしているわけでもないのに、先に帰ることに罪を感じてしまう。堂々とした人間だったら、こんなことを考えなくてもすむのだろうか。それにしても普段より少し早く帰って飲むビールがうまい。やっぱり早く帰るに越したことはない。来週から自分のやることを終えたら、図太くとっとと退勤しよう。

 

0204

 

 杉並区役所で開催されている真造圭伍「ひらやすみ」原画展に行く。原作の持つ雰囲気がだいすきなので、今回の原画展は楽しみにしていた。舞台である杉並区の役所で開催されるというのもまた良い。

 原作のもつ温かな雰囲気は実際の原画を見るとより表れていた。スクリーントーンの貼付や着色が全て手作業で行われているからこそ、作品自体がもつぬくもりが際立つのだと思う。家に帰って『ひらやすみ』を読み直す。

 

0205

 

 大竹伸朗展に行く。最終日だったので人が多い。人と人との隙間をぬって、順路は気にせず作品を眺める。

 とにかく作品量に圧倒された。そして、「自/他」「記憶」「時間」「移行」「夢/網膜」「スクラップブック」「層」「音」という抽象的な概念を具現化するさまざまな手法に五感が刺激される。自然に発生したもの、人間がこれまでに作ってきたものを、再構築していくことで、唯一無二の何かが生まれるのかもしれない、みたいなことを考えるなど。

0123-0129

 

0123

 

 通勤中に舐達磨を聞く。今日から一週間負けへんで。(これを朝に書いてから次の日まで放置していたということは、あまり良い気分で仕事できなかったのだろう)

 

0124

 

 今日も通勤中に舐達磨を聞く。今日も負けへんで。(今日は特にトラブルもなかった。負けはしなかった)

 

0125

 

 カネコアヤノの新作『タオルケットは穏やかな』を聞いた。これは今までで一番好きになりそう。フォークを基調としながら、曲によってはサイケデリックな音像がたまらなく好み。歌い方も曲によって変えているのもまた良い。

 矢野利裕『学校する身体』を読んでいる。これがおもしろい。規範と脱-規範のあいだである学校という空間における矢野さんの日々の実践が興味深い。ノンフィクションであり批評的でもある本書は、今年のはじめに読む学術系の本として最高のスタートだ。

 

0126

 

 カネコアヤノの新作を聞いて、矢野利裕『学校する身体』を読んでから仕事して、仕事が終わった後は舐達磨を聞いた。眠る前に『学校する身体』を読み終わる。

 

0127

 

 金曜日ということもあり、疲れすぎて記憶がない。何をして、どんな感情だったのかも思い出せないのでこれ以上書くのは止めておきます。

 

0128

 

 友人と焼き肉を食べ、お酒を飲みながら雑談。雑談は楽しい。ずっとだらだら喋っていたい。

 雑談について、考えていること。最近は変に理路整然と喋ろうとしがちだから、もう少し散漫と話したい。わかりやすくしようとせずに、思いついたまま喋りつつ、身振り手振りを交えながらコミュニケーションを取りたい。話が飛んでも気にしないでいたい。これは最近「OVER THE SUN」を好んで聞いているためでもあり、小島信夫各務原・名古屋・国立』を読み始めたからでもある。小島信夫はすごい。夢中になって読める本というのはこういう作品のことを指すのだと思う。

 

0129

 

 作り置きを作るときには白ごはん.comをよく閲覧する。ここのレシピをおおよそなぞればだいたいうまく作れる。今日は珍しくひじきとひき肉の煮物なんて作ってみた。美味しくできたぜ。

 眠る前に『ブラッシュアップライフ』を見る。今期唯一見ている日本のドラマ。バカリズムがノリノリで書いていることが伝わるし、他の製作陣もそれを活かそうとしている感じがする。今日放送された回も某ロボットアニメのパロディがあり、楽しく見た。

 

 

 

0116-0122

 

0116

 通勤中は井伏鱒二『駅前旅館』を読んでいる。旅館の番頭として働く男の語りで進んでいくのだが、あっちこっちに話が飛んでいくだけでなく、当時の風俗を知ることができるのでおもしろい。

 井伏鱒二の作品をかわるがわる読み続けているが、掴めるようで掴めない、けれどもとにかくおもしろい文章に惹かれる。文庫本で持ち歩くだけでなく、図書館で全集も借りて少しずつ読んでいる。

 

0117〜0119

 

 労働に疲れ過ぎて何も考えられない。

 

0120

 

 労働に嫌気がさしたので、いくら夜が遅くてもたらふく食べたい気分になった。こんなときには福しんにかぎる。野菜タンメンと半チャーハンとビールで力がみなぎる。思えば友人宅で飲み会をしたとき、深夜3時くらいに福しんでラーメンをテイクアウトした。そのときに食べたマーボーラーメンがあまりに美味しかった。自分史上、あのときに食べたラーメンがいちばん美味しかった。

 

0121

 

 ずっと行きたかったお店に行けた。そこはマスターが飼育するたくさんの保護猫に囲まれながらお酒が飲めるところ。興味はあったものの機会に恵まれず、延期に延期していたのだが、ついに猫に囲まれながらお酒を飲むことができた。自由気ままに過ごす猫を見ながらお酒を飲めて、ただただ幸せだった。お菓子を購入すると、蓋を開ける音に誘われて、さっきまで遠くでぼんやりとしていた猫たちがたくさん集まってきてかわいい。バリバリと頬張る姿を見て、隙を見て毛を撫でることで、労働の疲れがぴゅーと吹き飛んでいったのであった。

 

0122

 

 保坂和志主催の「小説的思考塾」を視聴。毎回思考が変わる驚きに満ちていて、話を聞くのが楽しい。多くの余暇活動全般の中において、小説を読むという行為がどのように位置付くのか……主義・主張を訴えようとするのではなく、音楽を演奏するように小説を書くこと……とことん考え尽くして突き抜けること……

 労働があまりにもストレスフルで、創作に費やす時間がまったく取れないのだけれど、話を聞くたびにおれは小説が書きたいと強く思う。だからとにかくやってやる。負けへんで!