魂のダンス

書く無用人

THE WORLD(正位置)(0206-0219の雑記)

 前回の更新以降、一文字も書くことができずにいた。その状態が続くと、何を書こうとしていたのかをまったく思い出すことができず、単純に朝起きて会社に行って働いて家に帰って寝るだけの日々だったように感じるが、実際のところはそうではない。日によって忙しいときがあればそうでないときもある。ふとしたときの雑談に救われることがあれば、何気ない一言でぼろぼろになってしまい一日中落ち込んでしまうときだってある。あとから振り返ると思い出せないことでも、その日その日ごとにグラデーションというものが間違いなくあって、そんなことをひとつひとつ確かめていくために毎日書こうとしているのに、結局できない日が続いているなんてまったくもってダメである。

 先日まで読み進めていた小島信夫各務原・名古屋・国立』のなかにも、少しでも現状がマシになるようにただ書く、みたいな一節があった。前向きになるためにも、何が何でも書くしかないのだ。というわけで、ここ最近のことを手短に振り返ろうと思います。

 

 

 ご想像の通り、平日は労働にすべてをもっていかれているわけだが、毎日『池袋ウエストゲートパーク』を見返すことが唯一の楽しみだった。長瀬と窪塚のギラつき、クドカンのエネルギッシュな脚本、堤幸彦の演出は、今見返してもかっこいい。

 ドラマの長瀬よろしく、心の中で毎日「めんどくせぇ」と絶叫しながら鬱気味を誤魔化している平日とは打って変わって、土日は完全に躁状態である。

 ここ最近はありがたいことに毎週末誰かと会う予定があって、友人とサウナに行ったあとに美味しいもつ焼き屋でビールと食事と雑談を楽しんだり、別の友人たちとは好きなレコードを持ち寄って、音楽を聞きお酒を飲みながらだらだらと喋ったりしている。気が置けない仲間たちと気の向くままに喋るという行為こそ至高。いつまでも話していたいし、話を聞いていたい。

 

 

 幸いなことに、ふらっと入った飲み屋さんでも話していて楽しい人と出会うことができた。占星術やタロット占いに精通しているその人によると、今年の3月何日に訪れる最強に運気の良い一日を境に、全世界の運気が好転するという。また干支が卯年であることから、全体的に人々の動きが活発になるとも言っていた。どこまで信じるか信じないかは判断がつかないものの、「こういった占いっていうのは、ちょっとでも生きやすくなるから大事なんだ。良くないことが起こったことは、運気が下がっているからと考えることで深刻になりすぎることがないし、逆に良いことが起こったときはますます前向きになることができる。要はうまく信じていけば良いのだ」と言っていたことに妙に説得力があった。

 お酒の入った状態でなるほどなるほどと聞いていた自分だから真正面から受け止めているものの、こうして書かれたものを読んでいる人にとっては何を言っているんだと疑問に思うかもしれない。でもこの方の喋りには妙に説得力があったし、何だか前向きに、楽しそうに生きている感じもまっすぐ伝わってきて、自分としてはこの方の発言を信じてもよいかも、なんて思っている。

 ようやく仕事も落ち着きつつあって、今年は転職の準備やら作品の準備やら何やらで忙しくなりそうではあるけれども、同時に色んな人と会って話を聞きたい、そんな気分になってきている。

0130-0205

 

0130

 

 平日は朝早めに起きてやりたいことをやろうと決意したのだが、あまり体調が優れず結局通勤ぎりぎりまで寝てしまう。これを書いているのは金曜日なので正確には1/30の日記ではないのだけれど、今週はずっとこんな感じの日々が続いたので先に報告しておきます。

 

0131

 

 小島信夫各務原」がおもしろすぎるのだが、説明が難しい。とにかくおもしろいのだ。

 

0201

 

 2月に入っても仕事が忙しくて、忙しいことに飽きてきた。

 GEZAN『あのち』を聞く。これまでの作品にも表れていた激しさに心を動かされるいっぽうで、プリミティブな生の歓びとでも言おうか、ポジティブな共鳴とでも言おうか、前向きな姿勢にとても好感をもった。作中ではMillion Wish Collectiveとして集まったメンバーの、多様な声が響き合い、本作でしかなし得ない音が鳴っている。素晴らしい。誰が言ったのか忘れたけれど、誰もがバラバラな声で歌っていることで生まれる美しさこそが素晴らしい、といった内容のことを本作を聞いて思い出す。

 

0202

 

 小島信夫「名古屋」を読み進めて、働いて、GEZAN『あのち』を聞いて寝た。

 

0203

 

 残業続きの毎日だが、今日は21時くらいに今やるべきことがすぱっと消えてしまった。普段はもう少し遅くまで会社にいて、同僚もほとんど残業しているのだけれども、思い切って退勤した。別に悪いことをしているわけでもないのに、先に帰ることに罪を感じてしまう。堂々とした人間だったら、こんなことを考えなくてもすむのだろうか。それにしても普段より少し早く帰って飲むビールがうまい。やっぱり早く帰るに越したことはない。来週から自分のやることを終えたら、図太くとっとと退勤しよう。

 

0204

 

 杉並区役所で開催されている真造圭伍「ひらやすみ」原画展に行く。原作の持つ雰囲気がだいすきなので、今回の原画展は楽しみにしていた。舞台である杉並区の役所で開催されるというのもまた良い。

 原作のもつ温かな雰囲気は実際の原画を見るとより表れていた。スクリーントーンの貼付や着色が全て手作業で行われているからこそ、作品自体がもつぬくもりが際立つのだと思う。家に帰って『ひらやすみ』を読み直す。

 

0205

 

 大竹伸朗展に行く。最終日だったので人が多い。人と人との隙間をぬって、順路は気にせず作品を眺める。

 とにかく作品量に圧倒された。そして、「自/他」「記憶」「時間」「移行」「夢/網膜」「スクラップブック」「層」「音」という抽象的な概念を具現化するさまざまな手法に五感が刺激される。自然に発生したもの、人間がこれまでに作ってきたものを、再構築していくことで、唯一無二の何かが生まれるのかもしれない、みたいなことを考えるなど。

0123-0129

 

0123

 

 通勤中に舐達磨を聞く。今日から一週間負けへんで。(これを朝に書いてから次の日まで放置していたということは、あまり良い気分で仕事できなかったのだろう)

 

0124

 

 今日も通勤中に舐達磨を聞く。今日も負けへんで。(今日は特にトラブルもなかった。負けはしなかった)

 

0125

 

 カネコアヤノの新作『タオルケットは穏やかな』を聞いた。これは今までで一番好きになりそう。フォークを基調としながら、曲によってはサイケデリックな音像がたまらなく好み。歌い方も曲によって変えているのもまた良い。

 矢野利裕『学校する身体』を読んでいる。これがおもしろい。規範と脱-規範のあいだである学校という空間における矢野さんの日々の実践が興味深い。ノンフィクションであり批評的でもある本書は、今年のはじめに読む学術系の本として最高のスタートだ。

 

0126

 

 カネコアヤノの新作を聞いて、矢野利裕『学校する身体』を読んでから仕事して、仕事が終わった後は舐達磨を聞いた。眠る前に『学校する身体』を読み終わる。

 

0127

 

 金曜日ということもあり、疲れすぎて記憶がない。何をして、どんな感情だったのかも思い出せないのでこれ以上書くのは止めておきます。

 

0128

 

 友人と焼き肉を食べ、お酒を飲みながら雑談。雑談は楽しい。ずっとだらだら喋っていたい。

 雑談について、考えていること。最近は変に理路整然と喋ろうとしがちだから、もう少し散漫と話したい。わかりやすくしようとせずに、思いついたまま喋りつつ、身振り手振りを交えながらコミュニケーションを取りたい。話が飛んでも気にしないでいたい。これは最近「OVER THE SUN」を好んで聞いているためでもあり、小島信夫各務原・名古屋・国立』を読み始めたからでもある。小島信夫はすごい。夢中になって読める本というのはこういう作品のことを指すのだと思う。

 

0129

 

 作り置きを作るときには白ごはん.comをよく閲覧する。ここのレシピをおおよそなぞればだいたいうまく作れる。今日は珍しくひじきとひき肉の煮物なんて作ってみた。美味しくできたぜ。

 眠る前に『ブラッシュアップライフ』を見る。今期唯一見ている日本のドラマ。バカリズムがノリノリで書いていることが伝わるし、他の製作陣もそれを活かそうとしている感じがする。今日放送された回も某ロボットアニメのパロディがあり、楽しく見た。

 

 

 

0116-0122

 

0116

 通勤中は井伏鱒二『駅前旅館』を読んでいる。旅館の番頭として働く男の語りで進んでいくのだが、あっちこっちに話が飛んでいくだけでなく、当時の風俗を知ることができるのでおもしろい。

 井伏鱒二の作品をかわるがわる読み続けているが、掴めるようで掴めない、けれどもとにかくおもしろい文章に惹かれる。文庫本で持ち歩くだけでなく、図書館で全集も借りて少しずつ読んでいる。

 

0117〜0119

 

 労働に疲れ過ぎて何も考えられない。

 

0120

 

 労働に嫌気がさしたので、いくら夜が遅くてもたらふく食べたい気分になった。こんなときには福しんにかぎる。野菜タンメンと半チャーハンとビールで力がみなぎる。思えば友人宅で飲み会をしたとき、深夜3時くらいに福しんでラーメンをテイクアウトした。そのときに食べたマーボーラーメンがあまりに美味しかった。自分史上、あのときに食べたラーメンがいちばん美味しかった。

 

0121

 

 ずっと行きたかったお店に行けた。そこはマスターが飼育するたくさんの保護猫に囲まれながらお酒が飲めるところ。興味はあったものの機会に恵まれず、延期に延期していたのだが、ついに猫に囲まれながらお酒を飲むことができた。自由気ままに過ごす猫を見ながらお酒を飲めて、ただただ幸せだった。お菓子を購入すると、蓋を開ける音に誘われて、さっきまで遠くでぼんやりとしていた猫たちがたくさん集まってきてかわいい。バリバリと頬張る姿を見て、隙を見て毛を撫でることで、労働の疲れがぴゅーと吹き飛んでいったのであった。

 

0122

 

 保坂和志主催の「小説的思考塾」を視聴。毎回思考が変わる驚きに満ちていて、話を聞くのが楽しい。多くの余暇活動全般の中において、小説を読むという行為がどのように位置付くのか……主義・主張を訴えようとするのではなく、音楽を演奏するように小説を書くこと……とことん考え尽くして突き抜けること……

 労働があまりにもストレスフルで、創作に費やす時間がまったく取れないのだけれど、話を聞くたびにおれは小説が書きたいと強く思う。だからとにかくやってやる。負けへんで!

0109-0115


0109

 

 掃除をして洗濯をして平日の作り置きを拵えていたら一日の半分が終わってしまう。仕事が始まる前日は毎回こんな風に過ぎていくので、休めた気がしないし本当にしたいことができない気もしているが、それでもやるしかないし、時間は作るしかない。

 

0110

 

  三宅唱監督のインタビューがよい。

 

三宅唱さんインタビュー「名づけえない“特別な瞬間”を撮りたい」 | NHK北海道

 

―ショットという言葉を、僕も分からないまま使っていて、本当にちょっと恥ずかしいんですが、ショットは「物語」にむしろ逆らうものというか、あるいは広げていくものだというふうな感覚を、たぶん、三宅さんはお持ちなんだろうなと思っています。滑らかにスムーズに違和感なく撮っていくっていうことではなく、「物語」を超える瞬間や時間というのを大事にされているっていうふうな感覚なのでしょうか?

三宅「ああ、そうだな。うーん。何か、何に抗ってるかというと、「物語」に抗うっていうのをもう少し言葉を変えると、僕が思うのは先入観とか、イメージみたいなもの、きっとこういうシーンってこうだよねっていう偏見というか、思い込み、それを撮影現場で、いや、角度を変えて何かしかるべき演出をすれば、あ、実はこの瞬間ってこういう場でもあるんだっていう、たとえば人が人に告白して振られる瞬間ってなったときに、まあ振られる瞬間だと千差万別な気もするけれど、何となくイメージされる振られる瞬間とか、あるいは何でしょう、ある登場人物の恋人と前の恋人が鉢合わせるなんていう場面があると、「うわ、それ気まず」って思うかもしれませんよね、大抵の人は。実際そういう場面があったら、きっとこれ気まずいシーンだろうなと思うと思うんですが、でも、もしかすると、演じてみたら、その今の恋人と元恋人は、ともすると意気投合する可能性だって人生にはあって、もしかしたら、いわゆる恋人、元恋人という役割というか、自分に与えられてる、ある種の属性というかレッテルを超えて、新しい関係が垣間見える瞬間っていうものが生まれるかもしれなくて。そういう意味で言うと、そういうイメージ、偏見、先入観、レッテルみたいなものをずらす、揺さぶりをかける。そういうことができると、何か映画っていうのはすごいサスペンスフルでドキドキするものになるし、むしろそのイメージとか、こういうシーンってこうだよね、こういう人ってこうだよねとかって強化するほうに行くと、何だろうな、ちょっとつまんないかなって僕自身は思うっていうのが、自分なりの言葉でしゃべると、こんな感じです、はい」

 

 三宅監督の作品を見ると、日常の光景に対する自分の認識が変化するように感じるが、このインタビューでは監督本人から近い内容が語られていたので、納得した。

 

0111

 

 朝出勤前に「ラヴィット!」を見ながらラジオ体操をすると、心身ともに調子が良くなることに気づいた。

 

0112

 

 夜ご飯を食べながらずいぶん前に録画していた『100分 de 水木しげる』を見る。釈徹宗の「水木しげるは境界を描く作家だ」という発言に頷く。この世とあの世、生と死、それらのあわいに目を向け、関心と敬意を示すことの重要性。続けて伊集院光の「境界にはいたくているわけではない弱者も存在している」という旨の発言にドキリとする。では弱者とは一体どんなものたちを指すのだろうと考え始めると答えがまとまらず、結局頭がバーストして寝てしまった。

 それにしても水木しげる作品に通底する諦念・虚無とユーモアのバランス感覚は、いつ読んでも凄すぎる。まんが大全を家に揃えたいのだが、置くスペースがない。

 

0113

 

 労働の疲れがどっときて、帰宅後すぐに寝た。

 

0114

 

 昨年末に『THE FIRST SLAM DUNK』を見てからというもの、『SLAM DUNK』熱が冷めない。勢いそのままに新装版を全巻買って毎日ちょっとずつ読み返している。昔何度も読んでいたはずなのに改めて読み返すと発見が多い。まずこんなにギャグ多めだったっけ。キャラが立っているから抜群におもしろいのだけれど記憶よりも相当笑えるので、昔はギャグを理解するスキルが低かっただけなのかもしれない。

 当時はがむしゃらに努力し成長する桜木花道に憧れたのだが、映画を見て原作を読み返すと挫折から立ち上がりバスケットボールに再び燃える三井寿に憧れる。なので、散髪に行った際には復帰直後の三井寿の髪型そっくりに切ってもらった。おれはなんとも単純な人間である。

 ここ数年はやや長めだったけれども、短くすると乾かしたりセットしたりするのが楽ちんでよい。この調子で2023年はさっぱりすっきり快活に過ごしたい。

 

0115

 

 たこ焼き、焼きそばと並んで時折無性に食べたくなるのが大判焼き。あんこやクリームが入っているのもよいが、何といってもマヨネーズ入りポークソーセージは絶品である。大判焼き独特のふんわりとした食感と甘めの生地に、マヨネーズの濃厚なコクとソーセージのジューシーさが共鳴して、唯一無二のおいしさになる。自宅でパンを使って試作してみたことがあるが、あの美味しさにはかなわない。近隣の町に大判焼きを売る店があるので、自転車でさっと向かい、たくさん購入した。家に帰るまで我慢できず、ロータリーでマヨネーズ入りポークソーセージを食べた。家で食べるよりも格段に美味しい気がする。