魂のダンス

書く無用人

幸せになりたいっすね

  色々あって大変な憤りと己の不甲斐なさ、そして遣る瀬無さを感じた4月の後半ではあったが、やはり重要なことはTry & Error、あれこれ思索を繰り返していったことで、大きなトラブルなくGWに突入することができた。とは言っても、人間うまくいったと思い込んでしまったがために、蓋を開ければさっぱりだったという場合もありえる、過去を顧みて絶えず試行錯誤を繰り返していかなければならない。自己破壊と自己再生を繰り返していくアティテュードを持ち、自分がダサいと思う人間にはなりたくない、ジジイになっても様々な人間に大きな影響を受け続け、そして敬えるようにしていきたい。穏やかで、Flexibleで、かっちょいいジジイになってやるのだ。

 

 

  では自分がかっちょいいと感じる人間とは一体なんだろうか?

 


SOAK - Déjà Vu

 

  最近聴いた音楽でいえば、間違いなく北アイルランドのシンガー・SOAKである。うつしくて、つよい。伸びやかな歌声に、奥行きのあるサウンドスケープ。歌われる言葉の意味を完全に理解することはできなくても、複雑な喜怒哀楽を感じ取ることができる音楽だ。遠い地から鳴らされる音楽に思いを馳せていたはずが、いつのまにか眼前が霞む、そんなアルバム。先行シングルの「Knock Me off My Feet」ももちろんだが、個人的には「I Was Blue,Technicolor Too」からの「Deja Vu」の流れが素晴らしい。今年の海外作品だったら、Girlpoolに匹敵するくらい個人的にはグッときている。

 

まだあの海が青かったころ (feat. 鎮座DOPENESS)

まだあの海が青かったころ (feat. 鎮座DOPENESS)

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  また日本だと、GEZANのフロントマン、マヒトゥ・ザ・ピーポーの思考、態度には感銘を受けることが多い。昨年リリースされたGEZAN『Silence Will Speak』は大傑作だと自分は感じているが、今年に入ってリリースされたソロ二作はバンドとは異なるアプローチでありながら、根底には地続きの赤く滾る熱量がある。そしてソロ作で強く打ち出されてるのは、繊細さ。まるで世界の終わりに誰もいない海辺で歌われる唄のようだ。しかしそこにいつのまにか集う霊魂のように、ゲストミュージシャンの寺尾紗穂鎮座DOPENESS、the hatchの山田みどりの歌声、演奏が一体となる。ラストの「Slow flake」はまさにいま鳴らされるべき言葉と音が詰まっている。儚く熱い祈りのアルバム。

 

  他にリリースされた新作だと、Aldous Harding『Designer』、Matt Martians『The Last Party』、in the blue shirtことアリムラさんの『Recollect theFeeling』、おとぼけビ〜バ〜『いてこまヒッツ』、田我流『Ride On Time』、Foxygen『Seeing Other People』、nuance『town』などをよく聴いた。

 

  新作も追いつつ、最近はソウルやファンクを掘っていくことが多い。The Stylistics『THANK YOU BABY』のLPを見つけて購入したり、サブスクを活用して色々聴いていたりする最近。

 

木犀の日 (講談社文芸文庫)

木犀の日 (講談社文芸文庫)

 

 

  また最近読んだものでは、古井由吉の自選短編集『木犀の日』が非常に好みだった。やはり自分は思考を奥深く追求していく作品が好きだ。語り手の時空間を超えた記憶が入りまじながらも、静謐な筆致が良い。

 

  この夜、凶なきか。日の暮れに鳥の叫ぶ、数声殷きあり。深更に魘さるるか。あやふきことあるか。

  独り言がほのかにも韻文がかった日には、それこそ用心したほうがよい。降り降った世でも、あれは呪や縛やの方面を含むものらしい。相手は尋常の者と限らぬとか。そんな物にあずかる了見もない徒だろうと、仮りにも呪文めいたものを口に唱えれば、応答はなくても、身が身から離れる。人は言葉から漸次、狂うおそれはある。

(「眉雨」)

 

  この冒頭につらなる言葉に、ぐいぐいと引き込まれる。どうすればこのような文章を書けるのだろう。通勤電車のなかや家に帰ってひとり、唸りながら読み進めた。

 

 

文学ムック たべるのがおそいvol.7

文学ムック たべるのがおそいvol.7

 

 

  また『たべるのがおそい』vol.7も読んだ。終刊してしまうのは悲しいが、何やら次のプロジェクトも始まっているようだ。掲載されている作品のなかでも、飛浩隆ジュブナイル」と小山田浩子「けば」がお気に入り。

 

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  そして、後輩二人と今泉力哉監督『愛がなんだ』を観に行った。人を好きになってしまうとそれしか考えられなくなってしまうテルコ(岸井ゆきの)。そんなテルコの気持ちを感じとりつつ、自分都合良く振舞ってしまう、そしてまた別に好きな人ができてしまうマモちゃん(成田凌)の交流がストーリーの基軸となるのだが、個人的に印象深いのは仲原青(若葉竜也)の登場シーンだ。

  彼が発する言葉はテルちゃんと似ているようでやや異なる。好きな人が寂しいときにそばにいたい仲原と、もはや好きな人そのものになってしまいたいテルちゃん。二人のやりとりから個々人の内に潜む愛情の複雑さが痛いほど描かれている。

  また仲原の登場シーンでは、彼が何かを食べていたり飲んでいたりすることが多い(テルちゃんほか登場人物は基本酒を飲んでいるのだが)。お気に入りなのは、仲原がラーメン屋で意中の葉子(深川麻衣)に会うことを止めることをテルコに告げる一連の流れ。大晦日に炬燵を囲んで語り合った際に仲原が発した「幸せになりたいっすね」という言葉がここでも発せられるが、以前とは全く意味合いは異なる。この場面はぜひともご覧いただきたい。

 

  登場人物の恋愛感は、頷けるところもあればそうでないところもあるのだが、こんなに真っ直ぐに人のことを好きになる登場人物の姿をスクリーンで目にし、何だかそういったことに億劫で、考えすぎてしまい前に進めない自分のことが点滅するかように浮かび上がり、気持ちが振動する。ぐらつきを抑えるためにと言ってはなんだが、映画の登場人物のように、帰り道のコンビニエンストアに寄って発泡酒を購入した。歩きながらプルタブを引くと、麦の匂いが沸き立つ。鼻腔を貫く。ちょうど帰路には名前のよくわからない樹木が植えられた通りがあり、それらが発する匂いも体内へ入り込む。日々過ごすなかで感じていた、「かっちょいい」人間になりたい思いと、映画から得た「幸せになりたいっすね」というふたつの思いが入り混じるように、両者の匂いが身体を貫いていく夜、ほろ酔いと肌寒い気温が心地良くて。

  家に着くと、キッチン横に置いてあるゴミ袋から、今朝食べたバナナの皮の、独特の臭いが部屋の片隅を満たしていた。部屋がバナナの臭いがするようじゃ「かっちょよく」も「幸せ」にもなれねぇよな。(了)