繁忙期を乗り越えたおかげで、たまっていた代休を積極的に取得でき、よしやるぞと引っ越し作業を片付けている。
元来整理や掃除など面倒くさいことはまとめてやってしまいたい、何かやりのこしたことがあるとそれが気になってしまい他のことが手につかない性分である自分は、冬なのに汗を流しながらひいこらせいこら片付ける。すると、やるべきこともあっという間に終わり一段落。
しかし、望んでいた一段落なのに、いざそのときが訪れてしまうと薄ぼんやりと浮かんでは消える考え事ばかりをするばかりで、すぐにまいにちは過ぎていってしまうのだ。
だれもが(きっと)思考を運動させながら日々を過ごしているのだろうが、残酷なことに人間というのはすべての事柄を覚えることなどできない。いざ仕事で使えそうな重大なひらめきが浮かんだとて、友人に教えたいあのバンドのあの曲のサックスの響きを見事に言語化できたとて、すうぐに忘れてしまうのだ。
しかし、その何かが浮かんだ一瞬という時間は間違いなく存在していて、それをみごとにスナップショットし得たのが、藤岡拓太郎さんの1ページ漫画「18才」(『大丈夫マン』ナナロク社、2021年に収録)だ。
1ページ漫画「18才」 pic.twitter.com/Wyrtnx1B0o
— 藤岡拓太郎 (@f_takutaro) 2018年11月26日
退屈な授業の合間に浮かぶ妄想や思考の一瞬を、ユーモアを交えて切り取る巧みさよ! この1ページ漫画がだいすきであり、なぜなら授業中にこうした考え事をしていたやつというのはかくいう自分がその一人であり、共感と己の行為のくだらなさの再認識がこの漫画を読むことによって生じ、たまらなくなったから。
そして『大丈夫マン』に収録されているほかの作品群は、日常に生じうる違和を絶妙に誇張し、デフォルメし、ずらし、時には生のありのままを描き出しており、そこが非常におもしろい。「おいしい」を「うれしい」といってしまうおっさん(そしてそれを微笑ましそうに見るバニーガールコスチュームのおばさん)、インスタグラムを買いに来る中年の夫婦、「ぽこん」という音に誘われ家族には話さない日中を過ごした主婦。どこかずれているけれども己の魂にまっすぐな作中のひとびとの生活に、愛しさを覚えてしまうのだ。
そして、どんな場所のどんな人でもまっすぐに生きているんだと改めて実感したのは、空気階段の第4回単独公演「anna」を観たときのことである。
自分は13日土曜日の昼公演のチケットを入手していたのだが、たのしみすぎて開演時間を勘違いし、1時間以上もはやく会場の最寄り駅に到着してしまった。中途半端に時間が空いたので、腹ごしらえに適当な蕎麦屋に入った。小粋なジャズコンピが流れているお店で食べたとろろ蕎麦と親子丼のセットはそれなりに美味しかったのだが、当日観たコントの内容を鑑みると、ここは富士そばで紅生姜天そばなどをかっ食らったほうがよかったな、といまになって思う。
まあそんなことはどうでもよく、肝心の単独公演はというとそれはもう素晴らしく、開演中は常に笑い、そして公演のエンドロールが流れているときは目にうっすら涙を浮かべてしまう、そんな素敵な内容だった。
かたまりさんの結婚・離婚を題材としたであろうオープニングコントから始まり、徐々にかれらでしかなしえない、現世の通底規範から外れた人々を題材としたコントが繰り広げられる。芸能界に耐えきれず整形手術をして隠遁する元歌手、小学生のころに執筆した漫画のコンセプトカフェを開くおっさん(この「メガトンパンチマンカフェ」というコントがいちばん好みだった)、AV出演経験があるサイバーテロリスト、コインランドリーで心を洗う警察官、勃起の力で電力を得ようとする人。馬鹿馬鹿しくも己の信念を貫き、泥臭く生きるかれらの姿が愛しくてたまらない。
そして、本公演のフィナーレを飾るコント「anna」では、約10年の期間に及ぶラジオを介した壮大なラブストーリーが描かれる。結ばれるようでなかなか結ばれないふたりの恋と、これまで披露されてきたコントの登場人物・出来事が結びつく。観終わったあと、世界に対する解像度が上がり、まなざしがあたたかくなるような、そんな素敵な公演だった。
グッズはどれも可愛く(Enjoy Music Clubがプロデュース!)迷いに迷ったが、自分はパーカーを注文した。パーカーがちょうど欲しかったのだ。ついでに、「ハライチのターン」の公式ポーチも注文した。春めいたころに届くのが楽しみである。
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自分はスマートフォンを見るたびにTwitterを確認してしまうSNS依存な人間であり、そんなことなどよして苦手な漢字の勉強でもしたらどうだ、海外のレコードをもっと楽しむためにまずは英語でも勉強したらどうだ、最近は運動をあまりできていないので外に走りにでかけたらどうだ、など自己研鑽に励もうとするのだがまったくできない。それは元来怠惰な性分に起因しているのだが、Twitterを開くひとつのたのしみとしてうかうかさんが執筆する犬の漫画が更新されていないか、更新されているのだとしたら一刻もはやくチェックしたいという気持ちがあるからにほかならない。
— うか冬 (@nknk6164) 2021年2月10日
「犬マアアアン!」と叫びながらかれを抱きしめ、愛でたいきもちでいっぱいになる。
うかうかさんの作品に登場する犬たちは、人間と同じように働き、遊び(時折マジカルな出来事が起こるのだけれども)、うまく生活できているかといわれればそうではなく、日々悩みもがきながら暮らしている。その懸命な姿はわれわれの生活のなかでも起こりうるものであり、読む際に生まれる笑いが自分にも跳ね返ってくる驚きと、「もう犬がかわいくてかわいくてしようがない!」という感情が同時に生まれてしまうため、何がなんだかわけがわからなくなってしまうからおもしろい。
料理はうまくできない、買いたてのパジャマを最高の状態で着たいがために片付けをしていたら夜が明ける、カレーとナンのペース配分がうまくいかない、そんな些細なつまずきを小犬たちは日々経験する。もはや自分のことじゃないかと思ってしまう。
書籍版の4章では、普段の1ページ漫画ではなく、「ぞう」「先輩と後輩」「ダイオウイヌの神秘」という短編が収録されており、そちらもおもしろいので、ぜひとも書籍を手にとってみることをおすすめする。
そしてこれは自分だけかもしれないが、『小犬のこいぬ』を読んでいると尾崎放哉の自由律俳句を思い浮かべてしまう。世俗で生きることのままならさやそこで生じるさびしさに共通項を見出してしまうのだ。
「咳をしても一人」「漬物桶に塩ふれと母は産んだか」などで著名な尾崎放哉であるが、もともとは名家の生まれで、当時としては珍しい大学進学をし、その後は通信社や保険会社に入社するなど順調にエリートコースを進んでいたように思えたが突如ドロップアウト、放浪を続けながら句作に励み、最期は小豆島で生涯を終えた人物である。氏がなぜ職を辞め遁世生活を送ったのか、勉強不足のため詳細はわからないが、きっと働くなかでのストレスや困難に押し潰されてしまったことも一因として考えられるのではないかと思う。
自分は時折本棚から『尾崎放哉全句集』(村上護編、ちくま文庫、2008年)を手にとって、慰みのようにこれを読む。世俗から外れて一人生活する心情を、氏の真の言葉で表現した数々の句は、自分のこころをすこしばかり軽くしてくれるのだ。
孤独感、やるせなさを表現した句も好きだが、氏が見つめたであろう風景や光景を描いた句も好きだ。
沈黙の池に亀一つ浮き上る
いつ迄も忘れられた儘で黒い蝙蝠傘
打ちそこねた釘が首を曲げた
鳥がだまつてとんで行つた
牛小舎の氷柱が太うなつてゆくこと
あわただしい日常のなかでは見過ごされてしまいそうな一瞬が、精選された言葉で表現されている。改めて句集から一部を引用したが、風景・光景を切り取る構図に、ほのかなあたたかさとユーモアがありおもしろい。氏の句は声に出して読むとよりよいように感じる。自由律とはいっても、ビートやリズムが生き生きとしているからだと自分は思う。
『小犬のこいぬ』を読み、尾崎放哉の句を読むことで、心と身体の重しを取り、あとわずかな冬の寒さを乗り切ろう。氏の句にも犬が登場するものは多々あるが、そのなかでも好きなものを末に引用したい。
犬よちぎれる程尾をふつてくれる
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最近旧作のリイシューや過去の作品を聴くことばかりで、新しい作品を以前よりは追えていない。新しい作品のなかで特に気に入っており、レコードも購入したのは、Puma Blue『In Praise Of Shadows』だ。
Puma Blue - Velvet Leaves (Official Video)
ロンドンを拠点に活躍するシンガソングライター初となるフルアルバムは、ベットルーム・ミュージックとジャズ、ソウル、R&Bを絶妙に組み合わせ、かれ自身にしか歌えない(タイトルにもあるように)光と闇を表現している。レコードは45回転仕様で中低音の広がりがとてもよく、夜眠る前に聴くことが多い。
まさに「一人になるための音楽」といった具合で、こうした作品こそが長く聞き継がれていくのだと思うし、自分もたいせつに聞き続けていくのだと思う。歌詞の内容もしっかりと理解したくなってきたので、スマートフォンを語学取得に有効活用しなければならないとますます感じているが、結局酒を飲んで寝てしまうからうまくいかんものだ。