魂のダンス

書く無用人

檸檬の刺青

  引っ越してきてから、およそ3週間が過ぎようとしている。住んでいるまちは生活面や文化面では大いに満足できる環境ながら比較的穏やかに過ごせるのだが、一歩外に出て新宿、渋谷などに諸用で移動すると、あまりの人の海に疲弊していまうのは、元来田舎で育っていたから故なのか。その渋谷で大学時代の友人と飲んでいて、酔いも回った頃にある奴が急に某英国風居酒屋に行きたいと言い出し、地下にあるその店に入ったものの、あまりの混雑具合と、上空に漂う夥しい性欲の霧に完全に参ってしまって途中退室した。ああいった場に順応して楽しめることを羨ましくないと言ったら嘘になるが、やっぱり自分にはそんなことはできないなと思って、その日の帰りに松屋のプレミアム牛飯をひとりで食べて、この瞬間こそが最も落ち着くんだということを味噌汁を啜りながら認識したのだった。ズズズ。

  ちなみに別の友人と同じ渋谷で飲んだときには、アットホームな焼鳥屋さんに連れて行ってもらった。愛嬌のあるおかみさんのお店にまつわるお話、彼女がおススメするに応じながら食べた焼鳥(絶品!)や、その具材当てQuiz大会を行ったことは非常に楽しい記憶として残っており、結局土地の名前で物事を決めつけるのではなく、何処へ行き何をするかにかかっているのだな。尊敬する人に案内してもらった高円寺も、面白そうな場所が多そうである。店の名前は失念してしまったが、ベトナム料理店のスパイシーなフォーはすごく美味しかった。

 

 

  何処にいくかという側面では、東京はあらゆるイベント事などには足を運びやすいので、まだ一ヶ月も経っていないのに、かなり充実した日々を送っている。柴田聡子さんの弾き語りインストアライブにも訪れることができた。前回の雑記でも書いたように本年自分にとって非常に大切な一枚『がんばれ!メロディー』の楽曲群は、弾き語りになるとその歌の力がより際立っていたように感じる。本人にもお会いしてサインも頂けた。「Run Away」も素晴らしかったと伝えると、本人から「イ・ランにも伝えておきます」と言われて「涙が出ちゃう」くらいに嬉しかった。

 

  Vampire Weekendのヴォーカル・エズラの緊急来日にも足を運んだが、あまりの人の多さに中に入れず悔しい。本当に単独来日公演をやってほしい。近くで並んでいた青年は整理券をゲットして無事中に入れたようで、こちらも嬉しくなった。そういえばSuperorgnismのオロノもいた。星野源ANNでの彼女の発言、アティチュードは感心することばかりで、星野源が最後に述べたように価値観の異なる人に対しては面白い!と、同じ人間に対しては最高!と寄り添う姿勢は、自分も大切にしていきたい(次の話にもつながる内容)。

 

  ようやく会社員生活が始まった。緊張と不安ですでに疲れている。いろいろな考えを聞くことが多く頭がパンクしそうだが、その人がなぜそのような思想に至ったのかを考えていくことの重要性は、最近読み終えた『社会学はどこから来てどこへ行くのか』からひしひしと感じとっている。もう一度大学に入学できるのであれば、社会学をいちから学んで、研究していきたいと一年くらい前から漠然と考えている。

 

  ありがたいことに、そんな日々の疲労(まともに働いてもいないのに疲労するなよ)を癒してくれるスポットが通勤圏内には多い。少し足を延ばすとココナッツディスクに立ち寄れることが嬉しい。先週はミツメ『Ghosts』のレコードを入手することができた。これがまた良い作品なのである。冒頭の「ディレイ」から、甘美な歌メロを包む各楽器のアンサンブルが心地良いのだが、この曲のポイントは中盤以降に現れるノイジーなギターだと感じている。絶妙な音の配置、そして一聴穏やかではあるが垣間見える狂気性が堪らない。先行シングルの「エスパー」、「セダン」はアルバムを通して聴くと、その名曲っぷりが風格を伴って強く印象付けられるのに加え、ほかの新曲も一切の隙がない。個人的ハイライトは謎の飛行体Xの不時着と再飛行を傍観する視点の歌詞の不穏さと、美しいサウンドの絡み合いが素晴らしい「エックス」。

 

  そして会社員初の休日は、友人たちと原宿のリーボック・ポンプシリーズの展示を見てから、新宿に移動して山戸結希企画『21世紀の女の子』を鑑賞した。「自分自身のセクシャリティあるいはジェンダーがゆらいだ瞬間が映っていること」という共通のテーマを基に、15人の女性監督が制作したオムニバス作品が連なるこの映画は、各編非常に考えさせられる内容で唸りながら観た。特に印象深いのは、三浦透子演じる女性の内奥に潜む女性性と男性性のジレンマが、夢想的なシーンを通して描かれる井樫彩監督「君のシーツ」。突然失踪してしまった恋人を想う橋本愛の姿は破壊力高すぎて自分のスカウターは木っ端微塵になりました、松本花奈監督「愛はどこにも消えない」。映画製作をしたい女性がある出来事を機に写真の被写体として撮られる側に移った、その際の感情の起伏を主演・伊藤沙莉が見事に演じる金子由里奈監督「projection」の三編。金子監督に至ってはまだ学生なのかよ、すごいという言葉しか出てこない。そしてクライマックス、企画者・山戸結希監督による「離ればなれの花々へ」は圧巻であった。人が生まれる前の胎内の蠢きを、そして映画の誕生と歴史とこれからを、あのようにして表現できるのか。宣言であり鎮魂歌。最後は涙目になっているところを、追い討ちをかけるように玉川桜監督によるエンドロールアニメーション、曲は大森靖子 feat.平賀さち枝「LOW hAPPYENDROLL–少女のままで死ぬ」が流れてきて、ノックアウト。素晴らしい映画体験をすることができた。勧めてくれた友人には大感謝。

 

  その後は新宿ゴールデン街に足を踏み入れて、ゴールデン・デビューをしようと意気込むも、やはりある種の怖さがあって、友人たちと3周くらいしてしまったのは我らながら可愛らしい時間だった。ようやっと入店した最初のお店のレモンサワーは絶品で、本が所狭しと並べてある雰囲気も大好きだった。気が大きくなって、「あっ!おでんって暖簾がある!おでん食べたい、おでん!」と三人口を揃えて入った二軒目は、ラガーマン御用達のお店でこちらも居心地が良かった。座敷にいた若いビジネスマンが大声で猥談をしていたり、クッソ下手糞なラップを女に披露していたことが今でもムカつくのだが、彼らの会話など聴覚からシャットアウトしてしまえ。面白い常連さんとお話しをする機会に恵まれて、何かスポーツをやっていたのかと尋ねられた。自分は正直にバスケットボールを行なっていたと伝えると、そのお爺が「〇〇(失念)っていう選手を知ってるか?俺の同級生でオリンピック選手なんだが」と柔かに述べる。こちらもテンションが上がり、感激の意を伝え、いつどの大会に出場されたのかと問うと、「ローマオリンピック」と返ってきた。ローマオリンピック、1960年やないかい!親父も生まれていないやんけ!一晩で人間の内部に刻まれた歴史を強く実感するとともに、やはり良い場所に行くと良い出会いがあるんだなと認識した、そんな夜。かなり盛り上がって、別の友人と合流して朝まで飲むなんて、学生のノリが抜けきっていないような夜になったのだが、こんな時間を、居酒屋で会ったお爺たちのように続けていきたい。友人が話している「ジジイになったらみんなで同じ老人ホームに入居して、彫師を雇って、ヨボヨボの皮膚に刺青を入れよう」という謎の野望の達成がすでに待ちきれないのだ。(了)