魂のダンス

書く無用人

無題(0410-0508の雑記)

 規則正しく過ごしてやろうと決意した大型連休だったが、結局のところ朝は遅くまで寝て、最近ハマっているYouTubeチャンネル「エルコレ〜歌舞伎超TV〜」を見て、飯を作ったり注文したり酒を飲んだり二日酔いになったりして銭湯に行くような日々だった。だらしがないとしか言いようがない。4月をもって完全に仕事が落ち着いたので、せっかくの連休を、遠出して苦手な人混みのなかで右往左往するよりも、家付近でまったりしたほうがよいと思い、今回は近所ばかりで過ごした、その点でいえば本来の目的を達成したとはいえるが、実際はHDDのなかに眠り続けている「鎌倉殿の13人」を見たり、Netflixで「ブレイキング・バッド」の途中を見たりしたかったのだが、それらには手をつけることができなかった。唯一進んだことといえば、小島信夫「寓話」を読むことなのだが、長編集成版の300ページを超えたあたりで図書館の返却期限が近づいてしまい、目標にしていた読み切ることが叶わなかった、一度返却してもう一度借りる手続きをするしかないがその手間はぜったいに行う、なぜなら小島信夫は本当におもしろいからだ。

 このおもしろさをまだ十分に言語化できないのだが(小島信夫の作品は、作品そのものが常におもしろいのだから、是非読んでみてくれとしか今の自分にはいいようがない)、「寓話」という作品は語り手(小島信夫)がかつて小説のモデルとした人物から手紙が届く、その途中からは暗号文になっており、語り手は解読にいどむ(この手紙がめちゃくちゃ長いことがまずおもしろい)というのが大まかな内容だ。その暗号文の解読を進めるうちに、連載を読んだ人(森敦ら)から電話がかかってきたり、手紙が届いたりする。暗号文の解読を進めるうちに、その暗号文にはモデルとした人物の妹が彼に宛てた手紙が含まれている、他にもさまざまな作品からの引用まで含まれているので、とにかく色んな人物の色んな発言・言葉が作品内に駆け巡っている。その全てがあらかじめ決められていたゴールに向かうというよりも、その周辺をぐるぐるぐるぐると周りに周って、と思いきや別の場所に寄り道をする、多声的な作品空間を読み手は何が何だかよくわからないまま必死で読むことを強いられるが、この過程を追うことそのものに楽しさがある。

 小島信夫を読み始めたのは四年くらい前で(たしか文庫の「アメリカン・スクール」)、その後たまたま古本屋で見つけた「残光」がとにかくおもしろく、ここ半年で「各務原・名古屋・国立」の文庫化があったり、運よく本屋・古本屋で他の作品を見つけたりしたことから彼の作品にどっぷりと浸かっているわけだけれど、小説のもつ懐の深さと不思議さを教えてもらっている。

 そして、とにかく自分の中にある「書きたい」という気持ちが先行するあまり、逆に何にも手をつけることができていない、こうなったら生活習慣を根本的に改善するしかないのではなかろうか。夜は疲れてしまって本を読んだり何かを見聞きしたりすることが限界だから、朝しかないのかもしれない、そういえば学生時代に朝型の生活習慣に切り替えるために早朝勤務のバイトを始めたことがあったが、半年しか意思は続かず、半年経ってからはやや寝坊したり、勤務後に仮眠してしまい早く起きようと遅く起きようと活動開始時間が変わらなくなったりして、無意味だった。今回ははたして。