魂のダンス

書く無用人

整調(1/6〜1/15の雑記)

 週に一度は銭湯に行って、心身をととのえる。いつものように交互浴を存分に楽しんでいると、どこからか芳ばしいにおいがする。だれかが焼肉かなにかを食べてから銭湯に来たのかしら。火照ってぼんやりする頭は、そんな当たり前のことしか考えることができない。

 ぼやけた脳をしゃきっとさせるために水風呂へ向かう途中、自分の目に入ったのは身体を洗うおじさんと、その横にある「おろしにんにく」と書かれた謎のボトルだった。

 このにおいだったのか、さっきから続く芳ばしいやつは。それにしても何故風呂場に「おろしにんにく」ボトルを持ってきているのだろうか。身体に塗るのか。いや、そんな滋養強壮荒治療をしてしまえば、栄養の供給過多ではないのか。というよりも「おろしにんにく」のにおいの強さに自らの鼻腔は麻痺し、遂には自宅の冷蔵庫の食材が腐ってしまうことにも気がつかなくなる危険性があるぞ、おっさん。それか食すのか。いやいや、銭湯で「おろしにんにく」なんか食すな、家で食え、家で。

 せっけんの香りにまじる「おろしにんにく」のにおいは浴場を漂う。身体は整うものの、どうしようもない考え事をしていたために、頭脳はずぅんとしてしまった。おじさんに「おろしにんにく」の用途を聞くには、勇気がたりない、自分はまだ生まれてくるのがはやかった。

 

 そんな2020年のはじまり、公私の目標のひとつは「心身のケア」なので、今後にんにくの恐怖に怯えながらも、近所の銭湯に通うだろう。私の面では、さっそく色々なものを見聞きして、感覚を整えているのだ。

 

 去年の末、Homecomingsのライブで京都アニメーションに対する思いが語られていたことから、これまで観ていなかった『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』をNetflixでゆっくりと追う。手紙の代筆を行う職業に「自動手記人形」というネーミングがなされていることや、その職業に就くのが女性ばかりということに(19世紀ヨーロッパのような雰囲気、かつ戦後という舞台設定のため仕方がないと思いながら)すこし引っかかりを感じるものの、京都アニメーションでしか成し得ない映像美に引き込まれていく。何と言っても、言葉にできない本当の気持ちを言葉にしていこうとする過程の葛藤が丁寧に描かれていて、とても良いアニメーションだった。回を重ねるごとに、心と言葉の関係は密接になっていき、その摩擦とともにこちらの感情も揺さぶられる。終盤にかけて自分はどんどん涙目になって観ていた。春に公開される映画も絶対に観ようと思う。

 

 ようやく読めた羽海野チカ3月のライオン』の最新15巻の熱量にも感銘を受けた。道を極めていく過程における不安や葛藤、そしてそれらと向き合うパワーを与える周囲の人々への愛情が、登場人物たちの言葉や表情を通して描かれる。桐山が悩みながらも前に進んでいく姿ももちろんだが、今巻は野火止あづさの思弁癖と愚直さが愛おしくてたまらない。作中でもかなり好きな登場人物になった。

 

 ずっと原作を読んでいた大童澄瞳『映像研には手を出すな!』もついにアニメ化。原作における作中現実とアニメーションの世界が融和していくマジックリアリズム的手法がこの作品の醍醐味のひとつだと考えているが、実際にアニメーションになることによって、その魅力が倍増したように感じる。観ていてわくわくが止まらなくなるアニメーションで、それこそ作中でも言及され、自分も幼少期にみた『未来少年コナン』やジブリ作品のようだ。映像研の3人が楽しそうに動いている姿が素晴らしくて、毎週日曜夜の楽しみとなっている。

 

 アニメーションの動きといえば、大橋裕之『音楽』の映画もエネルギーに溢れていて、非常に面白かった。原作のユーモアは映像ならではの間で倍増し、音楽を演奏する衝動はロトスコープの手法で描かれた画と色彩でみごとに表現されていたように思う。坂本慎太郎の虚脱感ある声も研二のキャラクターや作品内容に抜群にマッチしていた。演奏メンバーもスカート澤部さんや小林うてな、オシリペンペンズなど、大好きな方々ばかりで、

作品をさらに好きになる要因になった。

 

 ポン・ジュノ『パラサイト 半地下の家族』も観た。紛う方なき傑作。格差と貧困という大きな問題を、ユーモアを内包しつつ、上下行き来するカメラワークや雨など表象でみごとに描いている。

 それにしても観賞後ずっと考えてしまうのは、作中のキム一家、パク一家、そして家政婦のムングァン、みながより良く生きようとしていた結果、最終的にはだれも救われなかったということだ。もちろんそれぞれに惨虐な一面がある。キム一家はパク一家のシンプルさにつけいる。その一方、パク一家はキム・ギテクの臭いに不快感を抱く。そして大雨で貧困層の人間が困難な状況に陥るなか、自分たちは翌日何事も気にせず息子の誕生日パーティーを計画するような、無意識下の蔑視がある。そしてムングァンが夫を助けようとした場面では、キム一家の秘密を握ったとたん、彼女の態度は一変する。

 なぜ登場人物の思考の筋道が生まれてしまうのだろうかと考えると、全世界でもはや普遍的であるような社会構造の大きな問題に突き当たってしまう。その恐ろしさたるや、観賞後は身体にボディブローをくらったかのようなダメージを受けた。大問題作にして、(もう一度言うが)大傑作。これを観て、日々思考を止めてはいけないと身に染みて感じるようになる。

 

 とは言えやはり人間にはだれかを思いやる力が実存するとつよく感じたのは、『M−1 アナザーストーリー』を観たからだ。映し出されたミルクボーイを支える人々の情の厚さたるや! 内海さんの髪を2年間無償で切り続けた床屋のおっちゃん、駒場さんの決勝での活躍を当人よりも喜ぶ家族の姿。まさに「あつい」ドキュメンタリーで、鑑賞中はめちゃくちゃに泣いてしまった。

 

 最近は、GOMES THE HITMAN『memori』が素晴らしくてずうっと聴いている。成熟したギターポップのきらめきにあふれている。「魔法があれば」が特にお気に入り。

 NegiccoのKaedeさんのソロアルバム『今の私は変わり続けてあの頃の私でいられてる。』も良い。台湾のアーティスト・蘇偉安(EVERFOR)が提供した「微弱的流動」のギターの鳴りにうなる。

 また2019年にリリースされたにもかかわらず、何で聴いていなかったのだと本当に後悔したのが、辻林美穂の『Ombre』。特に「横顔(feat.黒澤鷹輔)」は、魔法がかけられた珠玉のポップスだと思う。

 

 今年の冬はあまり寒くないにもかかわらず、以前よりも朝起きれなくなってきた。夜遅くに帰ってきて、そのままだらだらと過ごすことがものすごく悔しくて、本当にしたい活動に注力しているからなのだろうか。こうして夜が過ぎていく。できれば1秒も無駄にしたくはないものの、たまには何もせず天井をみているだけのような、そんな時間が誰にでも1時間だけ与えられていればいいのにと思う。

 

これから(12/9〜1/5の雑記)

 久しぶりに歯医者に行った。住んでいる地域では特定の年齢が無料歯科検診を受けることができ、本年いっぱいが受診締切だったので年の瀬駆け込み。それにしても以前歯医者へ行ったのはいつなのか全然覚えていないくらい、長い期間行ってなかった。

 そのため歯科衛生が最悪だったらどうしようか不安を抱えて診断に向かったものの、特に異常はなく安心した。しかし下顎の親不知がみごとなまでに横に生えていて、歯科医師さんといっしょに爆笑してしまった。ちかいうちにぬきます。

 思えば歯医者は小さい頃から嫌いじゃない。嗽をする際に含む水の無機質な金属の味、勝手に水が注がれる歯医者でしか見ないあの機械、歯間の石を取り除くとがった耳掻きみたいな器具、口内という極私的な身体をおおらかにひろげることが許される空間そのもの。あの場でしかゆるされないなにかがあって、そこに身を委ねれることになぜだか安心する。

 とはいえじょじょに年を重ねてきているせいか、歯科医と歯科助手の前で間抜け顔を披露することにやや恥ずかしさを感じる。歯の中だけを見ているだろうに、こちらは鼻の中までも見られているようで、まずい髪の毛も太いけど鼻毛も太いぞこいつと思われているかもしれない、などと余計な事ばかりが頭に浮かぶ。帰りにドラッグストアで鼻毛を抜く薬剤を購入してしまった。

 

 口内の健康状態は特にかわりなかったのだが、2019年は自分を取り巻く環境面で色々な変化があったように思う。自分が変わっていくことに抵抗はないのだけれど、身体と精神は時折地盤が崩れたように弱さを露呈してしまう。その地固めをするように、そしてさまざまなスタートの〆くくりをするように、12月はいろいろなところへ行って、いろいろなものを見聴きした。そうすることで何とか生活をつづけることができたように思う。

 

 まずは念願のスピッツのライブへ。はじめての新横浜。まわりは整然としている都市感。

 スピッツのライブ本編を観て、ほんとうにスピッツは実存するんだ、というすこやかな感動に満ち満ちた。

 草野さんの年齢を感じさせないのびやかな歌声、テツヤさんのギターアルペジオの繊細さ、そして田村さんと崎山さんというリズム隊のすさまじいパワー!過去曲もたくさん披露してくれてライブ中は体幹にうれしさがみなぎる。新譜ではやはり「ありがとさん」が大好きなのだが、この曲のアウトロは永続的に演奏してもらいたいという心持ちになる。一緒に観に行った友人と、こちらこそありがとうさんというきもちになるよね、などと話しながら、横浜アリーナのゆるやかな熱狂を反芻して帰路に着いた。

 

 その次の週はスカート企画「Town Feeling」へ行った。新代田も初めて行ったが、本当に住宅街なのだなという光景が広がる。友だちを待つ時間に行った喫茶店の珈琲が美味しかった。

 トップバッターのどついたるねんのやんちゃさに熱があがる。ギターを昆虫キッズの冷牟田さんが演奏していて、こんなことあるのかよというきもちになる。途中に澤部さんがサックスで参加したり、なぜかお笑い芸人のですよ。が「あーいとぅいませーん」を言うためだけに参加したりと、この場所この時間でしか観ることのできない瞬間がたくさんだった。

 そして柴田聡子 inFIREのライブ! 今年は柴田さんの『がんばれ!メロディー』に支えられたと言っても過言ではなく、念願のライブを本年中に観ることができてうれしい。「後悔」からはじまる待ちに待ったバンドアンサンブルの熱量にわくわくがとまらない。マライア・キャリーの「All I Want for Christmas Is You」カバーも演奏され、自分にとってすてきなクリスマスプレゼントとなった。それにしてもライブで聴く「涙」はその名曲っぷりを加速させるような演奏で感動。「ワンコロメーター」のライブアレンジも「スタジアムロックのようなリフ」(スカート・澤部さん談)が原曲の奇天烈さにさらなる筋力増量といった感じで最高。

 スカートのライブも久しぶりに観ることができた。スカートもライブならではの熱量を演出することのできる素晴らしいバンドだ。「さかさまとガラクタ」はだいすきな曲で演奏してくれてうれしい。「トワイライト」はやはり名曲。音響調整のために弾き語り披露されたチャゲアス「SAY YES」も最高だった。アンコールでは柴田さんもコーラス参加し、「ストーリー」と「ストーリーテラーになりたい」を披露。まさにスペシャルな夜。

 

 ライブ納めはだいすきなHomecomings。開演前にサヌキナオヤさんの展示も観ることができた。今回の「PET MILK」のフライヤーデザインは、一枚の絵から多様に広がるものがたりがあって、過去一番に好きなものだ。まだ買えていなかった『CONFUSED‼︎』にサヌキさんのサインをいただくこともでき、ライブ開演前から気分の昂揚が天井知らず。

 そしてライブ本編。もともと特設サイトの福富さんの文章を読んでいたのもあり、一曲目に演奏された「songbirds」を聴いているうち、京都アニメーションを襲った事件にたいするホムカミのみなさんの思いが痛いほど伝わってきて、涙が出てきてしまった。この日しかみることのできないアコースティックセットや、久しぶりに復活したPavementオマージュの照明など、かれらの節目となるような素晴らしいライブだった。MCでもしばしば語られていたように、やさしさと祈りにあふれた楽曲とそれらを十二分に表現する演奏で、ライブ納めがかれらのライブで本当によかったと思う。

 

 ほかにも『お金本』(左右社)刊行イベントの穂村弘さんと町田康さんのトークイベントにも行くことができた。各々が挙げる気になった文豪のお金にまつわる文章やその考察がおもしろい。萩原朔太郎の嫌味ったらしい切れ方とかは電車内で読んで笑ってしまった箇所だったので、タイムリー。またお金にまつわるながれで町田さんが未来はお金(で安心を得る)、過去は物語(で意味をあたえる)、そして現在はだれも所有していないものでそこを我々が生きているというお話などがたいへん興味深かった。直接お二方とお話することもできてうれしい。両者とも非常にロジカルに、かつゆったりと思考しながらお話している姿が印象的で、尊敬する人物の影響を露骨に受けやすい自分が最近真似ているのはここだけの話。

 

 そしてなんといってもM−1グランプリがおもしろかった。全組笑ったというと嘘になるが、今年は本当におもしろかった。

 敗者復活戦では成熟したヌーヴォーロマンのような漫才を披露した天竺鼠や、演技力抜群のラランド、もはや愛おしさがます錦鯉など、こちらも目が離せなかった。

 本線では、惜しくも最終決戦にすすめなかったオズワルドと、進出したミルクボーイ、かまいたち、ぺこぱがお気に入りだ。特にぺこぱはボケとノリツッコまないボケの応酬がすばらしい。かれらの漫才は何回も見てしまって、年末年始友人たちと集合写真を撮るとき、自分はほとんどしゅーぺいさんのポーズを真似ている。

 

 そうそう、久しぶりに帰省というものをして、友人たちと楽しい時間を過ごすこともできた。年末年始の期間に出会った皆がそれぞれ生活面でさまざまな変化はあるようだけれども、根幹の部分はかわらず素敵なままで本当に安心するし、かれらといまも交流が続いていることがしあわせなことだと切に思う。

 とある友人が写真を撮るとき、「はいちーず」じゃなくて「世界最大のクジラは〜?」とか言い出したのにもかかわらず、その場にいた全員が「シロナガスクジラ〜」と即答したのには爆笑してしまった。またあつまりたいね。

 

 実家でだらだらと本を読んだり、テレビをながめたりもして、本日東京に帰ってきた。帰路の間、あまりはなれていく実感はなかったけれど、スーツケースの衣服から実家の洗剤のにおいが漂ってきて、一瞬空間が妙な錯覚を起こす。はなれる瞬間には特になにも思わなかったのに、においで実家を感じることになるとは思わなかった。きっと一度洗濯をしてしまうとこのにおいも消えてしまって、衣服から東京に適応していくのだろうか。こちとらまだまだ実家でゆっくりしたかったのに。

 

 とはいえ日々はつづく。明日から仕事が始まって、たぶんじょじょに忙しくなるのだろう。2020年はひそかに野望があって、こうした日記のようで日記でないものを定期的に更新することと、観たもの聴いたものに関する書き物を頻繁に更新すること、そしてなにか自分の手でも作品のようなものを作れたらよいなともおもっている。本年も健康第一でやっていきましょう。よろしくお願いします。

疲労・思考・夜の寂寥(11/11〜12/8の雑記)

 引っ越してから早くも半年になるのだが、お湯が出なくなった。なにゆえ。この問題は単純に困るので、契約しているサポートサービスを利用して修理屋さんを呼んだ。しかし、予定時間を過ぎても来ない。突然電話がかかってきて、修理屋さん曰く「道に迷ってしまいまして」。なかなかお茶目な人だなと思いながら道案内し家に出迎えると、空気階段の水川かたまりさんのトゲをなくして化粧水で浸したようなおにーちゃんだった。そんなおにーちゃんによれば、単純にガス給湯器の寿命らしい。かんべんしてくれ。

 この時期に水シャワーを浴びるのはまあまあ過酷な修行であるので、数日間は銭湯に通った。帰り道、暖まった身体から息を吐くと白かった。上京してからの冬がついに始まった感じがする。行き道の公園のベンチでスマホをいじっていた女の子も、帰り道ではいなくなっていた。寒かったのかしら。

 

 最近は平日が忙しくなってきて、手帳に付けている日記も白紙が目立つ。職場では「自分はなんでできないのか」とか「なんでこんなことしなければならないのか」と「ここはおもしろいから時間をかけたいけどそうはいかない」とか、脳内の様々な自分が群雄割拠で思考合戦を繰り広げているので、オーバーヒート寸前。というかオーバーヒートした。この期間はぼろぼろで、しょうもないミスもしてしまうため、完全に停滞夜の連続だった。

 

 幸いなことに、最近は休日に人と会う予定が多く、そこでエネルギーを貰っている。友人の結婚式、久しぶりの再会、友人が東京にやってきて泊まりに来る、誘ってもらったイベントに行く、街をぶらぶらなど、そんな余暇を過ごすうちに、精神がほぐれる。特別なものだと、荻窪の本屋さんTitleで開催されていた短詩系ユニットgucaの展示「句の景色」を観に行った。言葉、特に俳句や短歌の言葉と、視覚としての言葉(文字?)をどのように交錯させて「見せる」かが非常に刺激的で面白かった。また、写真家の植本一子さんにお会いすることもできた。新しい写真集に写されるそれぞれの人生に実直な感涙をした。

 やはり孤独な時間も大切だけど、誰かと一緒に過ごす時間も大好きだ。話すうちに友人の一面に安心したり驚かされたり、反射する自分を新たに認識できるのも良い。なんだかだいじょうぶな気がしてくる。

 

 自分と主人公がはじめての上京だからか、中川龍太郎『わたしは光をにぎっている』はたいへん興味深く観れて面白かった。人と街の生命が、瞬間瞬間に芽生える生命力のようなものが、遠巻きのカットと少ない台詞で抜群に描かれていた。静かだけど力強かった。

 

 最近リリースされた音楽だとロンドンのシンガーソングライター・Matt Maltese『KRYSTAL』も静かで力強い作品だ。ひとり夜に聞くのがよい。ほかの新作はKIRINJIやSPANK HAPPYを聞くことが多くて、あとはちょっと前のインディ・フォークやAOR、ソウルばかり聞いていた。いわゆるdigることの面白味は、一緒にレコード屋を巡る友人の影響が大きい。

 

 伊藤亜紗『記憶する身体』、ルシア・ベルリン『掃除婦のための手引書』、エトガル・ケレット『銀河の果ての落とし穴』、『文藝別冊 川上未映子』を読んだりしていた。どれもたいへんおもしろい。

 この流れで改めて川上未映子さんの作品を読み返したりもする。自分がグッと惹きつけられるのは、読んでいるうちに言葉の思考の断片のようなものが次次とあふれるような本なのかもしれないと、川上さんの作品を読んで思う。

 

 あいかわらず平日はくたくたで終わることが多くて、帰る時間も遅くなってきたが、ただゴロゴロと過ごしてしまうだけでこのまま一日をシャットダウンしてしまうことがなんとも寂しくて、こうして会った人、観たもの、読んだものの影響を強く受けながら、勢いよく文章を生成していった。もうすぐ年が変わる、年間ベストリストとかも作りたいし、そろそろ自分の好きの輪郭を明瞭にしていこう。

 

 

聴界良好(11/4〜11/10の雑記)

 平日を生き延びるための食料を買い出ししている途中に、ワイヤレスイヤホンを落としてしまった。多分電池が切れてしまったために、首飾り感覚でプラプラさせていたのが原因であろう。首から落とした感覚はなかったのに。はあ。相変わらずところどころ気が抜けた状態で、日々を過ごしてしまっている。仕事では大きなミスはないものの、同僚の業務確認などで抜けが多い。全く何をやっているんだか。

 無念と倦怠の日々において、音楽やラジオを聴くことが生きがいであり、明日への活力である自分にとって、今回の紛失は大きな痛手だ。

 しかし、これを良い機会と思おう。切替大切。家電量販店へ繰り出し、手当たり次第にイヤホンを聴き比べた。片手に持ったウェットティッシュが半分乾燥するくらいには、時間をかけて探した。そんなわけで、今までよりも少し贅沢なものを購入した。

 当たり前のことではあるけれど、値が張るものには良い物が多い。とはいえ、だいたいの音響機器は、ある閾値を超えたあたりからは、違いがよくわからないのだけれども。

 イヤホンを変える前はややモコモコしていた音像も、変えた後はクリアかつ低音もしっかり出ることは素人耳にもわかり、聴くことそのものがますます楽しくなってくる。

 

 シャムキャッツの新しいEPを聴くことが楽しくて仕方がない。彼らの作品は、かれこれ長い間聴き続けている。待望の本EPは、遊び心と適度に気の抜けた雰囲気がたまらない。共同プロデュースに王舟を迎えた今作は、シャムキャッツのこれまでとこれからを内包しているように感じる。伸びるメロディとバンドサウンドはますます豊穣になっている。「我来了」のシンセサウンドとインディーロックサウンドの絶妙な混じり合いに、思わずほくそ笑む。細かなサウンドに良い意味での違和があって、そこがまた面白い。

 朝、半分目が覚めていない状態で聴くと、聴覚から内部が刺激され、徐々に体温が上がっていく。日々に寄り添うような彼らの音楽が大好きなんだと再確認する。

 ROTH BALT BARONの新作も良い。これまでは何故かがっつりとのめり込むことはなかったのだが、新作はとても良い作品だと思う。どうしてそう感じたのかは未だに言語化できないため、考え続けている。

 

 会社の上司からオススメされた小川哲『嘘と正典』も読み進めていた。言葉と歴史に実直な作品集だ。音楽を通貨とする島における珠玉の一曲、そして語り手の父に対する感情が精緻に描かれた「ムジカ・ムンダーナ」が特にお気に入りだ。

 

 ボー・バーナム『エイスグレード 世界でいちばんクールな私へ』を観た。インターネットが当たり前にあるいまの少年少女の感情の起伏が丁寧に描かれた作品だと思う。

 憧れる自分と現実の自分にギャップがあるケイラは、YouTubeへ悩んでいる誰かに向けた助言をアップロードしていく。映画を見ていくと、これは誰かへのアドバイスなんかじゃなく、自分に対する鼓舞のようなものだと判明してくる。この動画を、たくさんの人に見られたいが、閲覧数が少ないことに悩むケイラの姿が、いとおしい。そして映画の終盤、この動画はある男の子のもとへと届く。二人で会話するシーンの微笑ましさ、そして自分を無碍に扱った女の子の同級生へ一喝するシーンの爽快さ。

 ケイラの今後の生活がどうなるかが定かではないが、きっと悩み踠きながら、ちょっとずつ前へ進んでいくのだろうと思うと、こちらに力が与えられたような気がする。仕事を進めながらも、わからないことだらけで必死、うまくいってないようでくやしくてたまらない自分の心境ともリンクするようで、観ている間よりも観終わったあとに、この映画について考えている。

 

忘れない(10/27〜11/3の雑記)

 やはり一ヶ月に及ぶ期間を一回で振り返ろうとすると、大切なことまでポケットから溢れ落ちてしまう気がする。10月のある日、台風の影響で外はびゅんびゅんと風が吹くなか、家に籠もって『青春舞台2019』の再放送を観ていた。

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総文祭での演劇に青春をかける、高校生たちのドキュメンタリーだ。画面の外枠には、リアルタイムで台風の情報が流れている。しかし、映し出される高校生たちの演劇に向き合う瞬間は、数ヶ月前の出来事だけれども爛々としていた。

 屋久島高校の生徒は、これまでの島の軌跡を、実際にルーツを辿りながら演劇によって表現していく。主演を務めた男子生徒が自分の演技に悩みながらも、真摯に挑戦していく様が素晴らしかった。加えて、サポーターかつナレーターの松本穂香さんも自身が演劇部出身だったこともあり、とても気持ちが入っていて、これもまた良かった。

 グランプリとなった逗子開成高校の「ケチャップ・オブ・ザ・デッド」は、映画研究会に所属する大学生たちが山奥へ映画撮影をしに行くと、そこには一人のゾンビがいて……という筋書きだ。ゾンビが舞台から客席へ呼びかけるなど、笑いを誘う演出のなかにも、暴力/被暴力の構図が取り入れられており、非常に感心しながら観入ってしまった。最後にBillie Eilish「Bad Guy」を流すなんて、ずるいぞ君たち。もう一度高校生活をやり直せるなら、演劇(もしくは映画制作)に挑戦してみたい。

まくむすび 1 (ヤングジャンプコミックス)

まくむすび 1 (ヤングジャンプコミックス)

 

  高校演劇でいうと、ヤングジャンプで連載されている『まくむすび』も面白い。芝居を通じた青春ストーリーでありながら、うってつけの高校演劇入門でもある。継続で読み進めていくことが決定だ。

 

 こんな具合にものすごく心を動かされたのに、うっかり書きそびれてしまったことが多すぎる。ピロウズ横浜アリーナライブにはやっぱり行っておけばよかったと思ったことだったり、お酒を飲んだ後に食べる富士そば「肉骨茶そば」がギルティーなフードで最高だったりといった記憶が、叙々に叙々に薄れていく。 

人生パンク道場 (角川文庫)

人生パンク道場 (角川文庫)

 

 そんなことは寂しいことだなと考えたのは、町田康『人生パンク道場』(角川文庫)を読んだから。市井の人々の悩みに対して、妙にロジカルでありながら、時に寄り添い、時に突き放す町田氏の回答が大変面白くて読み進めていた。そのなかでも特に、文庫版最後に収録されている愛猫を失い悲しみに暮れる人への回答に、大きな感動が生まれた。

 

 忘れることによってやがてあなたの悲しみは癒えます。

 ただし忘れることによって同じ過ちを繰り返します。

 ならばどうすればよいのでしょうか。

 私は以下のように考えます。

 

 どうしたって忘れてしまうのならば、なるべく忘れないように記憶して、なるべく同じ過ちを繰り返さないようにしたらよいのではないか。(P278〜279)

 

人間はいつかは死んでしまうから、生きている間だけでも亡くなったもののことを何度も思い出したいと思う。そしていま生きているものに寂しい思いをさせないことで、亡くなったものの魂は嬉しく思うのではないかと続く文章に、ポロポロ心が滴ってしまった。そんな読書体験をしたから、こつこつと言葉を連ねていこうと思ったのです。

 

 とはいえ平日はなかなかに忙しく、週に一度あるノー残業デーの日には、家でお酒を飲んでいると、あっという間にくたばってしまうくらいに身体的負担がたまっている。研修期間は毎日定時退社だったので、帰りに映画館に寄ることができたりもしたが、最近は土日のどちらかで一本くらいしか観ることができない。

 

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 そんなわけで、ようやっとトッド・フィリップス『ジョーカー』を観た。観ている間、ずっと辛かった。弱者が排斥されるゴッサムシティにおいて、アーサーのなかに憎悪が渦巻いていく姿と、彼が救いのない方向へ進んでいくことが、辛くて辛くてたまらなかった。あんなに悲しいダンスを観たのは、はじめてかもしれない。描かれる狂気と混沌は、言葉にした途端に失われてしまうのでこれ以上は語らないが、とにかく衝撃的な映画だったことは間違いない。ホアキン・フェニックスの演技もとんでもないくらいに素晴らしかった。

 

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 かなりヘビーな体験をしてしまったので、無意識に心のバランスをとろうとしたのか、家でダラダラしているときは、Netflix宮藤官九郎11人もいる!』を観て、安らかな気持ちを得ていた。クドカン流の、家族という枠組みを肯定する美学で大変面白かった。大家族のつながりを基盤にしつつも、まともに働かない父親、一家を支えようとする長男、そして再婚した妻のもとに生まれた末っ子にしか見えない、幽霊となった元妻の交流。そのなかでもクドカン作品らしいトラブルや困難と、それを乗り越えていく過程が丁寧に描かれた秀作だ。各話終盤に流れる星野源「家族なんです」という挿入歌も毎回良い。たくさん笑って、たくさん涙ぐむ体験の素晴らしさは、中学生のころからクドカンに教わったといっても過言ではない。この作品はテレビ朝日系列で地元では放送されていなかった(とんでもない田舎出身なのです)ため、ようやく観ることができ、大変嬉しい。

 


のろしレコード(松井文、折坂悠太、夜久一)- コールドスリープ MV

 そんでもって、のろしレコードの新作アルバム『OOPTH』が、物凄く好みで通勤電車のなかで毎朝聴いていた。折坂悠太、夜久一、松井文の三人によるフォーク・ユニット。現代を流離う歌い手たちが、混じり合って共鳴することによって生まれる叙情が素晴らしくて、何度も聴く。元来田舎育ちだからか、彼らのサウンドはどこか懐かしい気分にさせてくれる。やや眠い朝の電車で、タイムスリップしてしまうような感覚に陥る。けれども一曲目の「コールドスリープ」は、少し先の未来のお話。そのズレもまた良い。そして何より曲が良い。

 


Turnover - "Still In Motion" (Official Music Video)

 帰り道には、ラジオを聴くか、ヴァージニア出身のインディーバンド・Turnoverの新作『Altogether』を聴いていた。

 

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 11月3日のレコードストアデイでは、たまの『さんだる』LPを購入した。待望のLP化で、本当に嬉しい。ストレンジポップとはまさに彼らのことで、キャッチーさと捻くれ感のバランスが最高。大好きなバンドだ。ちなみに好きになったきっかけは、子供の頃に再放送で流れていた『ちびまる子ちゃん』のEDが、彼らの「あっけにとられた時のうた」だったから。


ED4 - あっけにとられた時のうた

 

 同時に購入したアメリカ西海岸で活躍したシンガーソングライター・Tom Jansが1975年にリリースしたアルバム『The Eyes of an Only Child』も購入。ジャケットに惹かれたのだが、中身も最高にクールで大満足。


Tom Jans - Lonely Brother

 

 そんなある日、久々に会った後輩と飲み歩いていたときのこと。突然雨が土砂降りになり、こりゃあどうやって帰ろうもんかなと頭を悩ませていたところ、入った韓国料理屋さんのママが、うちにたくさんあるからと言って傘を貸してくれた。BIG LOVE。助け合いとはまさにこのこと。美味しい料理と美味しいお酒とママの優しさに、お腹と心がいっぱいになる。

 ほくほくした感情で家に帰り、傘を閉じると異変に気づく。ビニール傘の表面になんか書いてある……もう一度広げると、そこにはでかでかと「兄弟」と書かれてあった。

 うっわー。怖っー。ビニール傘に文字を書く行為もそうだが、「兄弟」っていう言葉のチョイスは謎が謎を呼び、怖っー。ついつい自分はこんな想像をしてしまった。

 そのお店に泥酔の客がやってくる。やや小太りで40歳前後の男性。中小企業の管理職で、大きな仕事を終えたあと、つい気が緩んでしまい、熱燗をしこたま飲み、例のお店にたどり着く。そこで美味しい料理と美味しいお酒をいただくものの、アルコールの作用により、味覚は正常に働いていない。けれども、何となく美味しいことはわかるから、気はますます大きくなる。マッコリ3杯とチヂミを頂いたのち、瞬時に理性が戻り、そろそろ帰らないと嫁に怒られてしまう。これはまずい。しかし、ふと外を見ると小雨が降っている。どうしたものかと困っていると、ママ登場。傘を貸してあげますよとママの鶴の一声。あまりの優しさに、男性は歓喜。本当にありがとう。今日から私たちは兄妹だ!と叫ぶものの、酔っ払っているため「兄弟」と書いてしまう。そして店の外に出た途端、傘を貸してもらったことも忘れて、帰路についたのでした。

 何を考えているんだと、ふと我に帰った自分は、また機会があればお店に行こうと、Googleで詳細を調べた。何とただお店の名前が「兄弟」だっただけでしたとさ。美味しいチヂミ食べて、そして傘返すためにも、またあのお店に行こう。