大童澄瞳『映像研には手を出すな!』

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  何かを始めようとするとき。それは自分の好きなものだろうとそうでなかろうと、大きな決意が必要となる。

 

  例えば、スポーツ。テレビから流れる野球選手が活躍する姿を見て、「わあ、かっこいいなあ。自分もあんな風にフルスイングしてえなあ」と感じる。では野球を始めようとするならば、道具はもちろん必要だが、それを行うためのコミュニティへと飛び込まなければならない。だって、ひとりで素振りをしているだけじゃあ、風を切る音しか生み出せない。

 

  この飛び込むための一歩というのは、踏み出したくてもなかなか踏み出せないと思う。もしも「はなっからセンスがないとか言われたらどうしよう。周囲の人とうまく関係を築けなかったらどうしよう」などと、様々な不安や心配が込み上げてきて、結局始められないなんてこともザラにあるでしょう。つらい。自分は幼少期、そんなことから遠方にある野球チームに参加することができなかったんですけども。始めることには、障壁がつきものだ。なんて。

 

  そして、始めたことに関して、共に夢中になれる仲間というのも大切だ。ただの仲良しこよしでも、足の引っ張り合いでもない、そんな関係。みんなきっとそんな関係を望んでいるだろうが、そうはいかないから苦労する。思い当たる節は多々あり、気分が沈んでしまうのであるが、つまり何が言いたいかというと、何かを始めるときには大きな勇気、そして、人間と人間の結びつきほど鍵となる。結局この世の中なんて一人で生きることなど不可能なのだから。

 

 

◯「ツバメのお友達?」「い、いえ。仲間です。」

  アニメ制作がしたくて設定画作成と探検に勤しむ浅草みどり、こちらからしたらやることなすことビジネスにおもえてしょうがなく、金儲けに目がない金森さやか、モデルとして活躍する傍ら、本来の夢であるアニメーターになろうとする水崎ツバメ。端的にいえば、この三人がアニメ制作、やったろうじゃないかとアクションを起こす物語。

  当初は既に学校に存在しているアニメ研に入ろうとするも、中々行動に移せない浅草。

 

一人で行動するのが怖いんだよ。

ワシは切っ掛けやら環境が整わんと何もできない人間なのだ。

 

「広い世界を大冒険したいなあ……」思いと裏腹に行動にうつせない浅草の姿が、夢と現実の折り合いをつけながら、もがいているだろう私たちに迫ってくる。そんななか金森とともにアニメ研の見学に行くと、裕福な家庭である水崎が使用人に追われている出来事に関わることとなる。どうやらアニメ製作を行うことを両親から反対されているよう。では自分たちで部を作ればいいのではないかという金森の提案の元(ここでも彼女は水崎のカリスマモデルをダシにして金を儲けようと試みている、ぬかりねえ)、映像研を設立するってのが、物語の始まり。

 

  なんといっても本作のこの三人の関係性が素敵なんですよ。まずは金森と水崎。

 

水崎「そうは言うけど、浅草さんって凄いよね。」

金森「なんです突然、気持ち悪い。」

        「誰かを称賛する導入で話し出す人間が私は一番嫌いです。」

水崎「ははは金森さんらしい。」

 

今の世の中ほど、人の言動に対して正直に嫌いということに困難が生じるでしょうね。だって誰もが誰かに嫌われたくないように生きているだろうし。そんな気持ちに折り合いをつけようとするからアドラーの本が売れたりするのだろう。そこでズバッと自分の考えを言えちゃう金森にまず惚れる。かっけえよ、あんた。

 

  そして水崎の応答がこれまた素晴らしい。大抵の人間なんか、対面した状況で「嫌い」なんて言われてしまえば「ゥゥ、ごめん……」とか言ってすぐさま会話が停止。お互いの間に不穏な空気がどよーんと流れ、なんとかせねばと適当に話題転換。しかし、ギスギス感はそう簡単に払拭されることなく、「……では……またね」と場を後にし、その後出会っても気まずい雰囲気となるに違いない(とんでもバイアス)。しかし水崎は違う。決して笑って受け流してなどいない。金森の「らしさ」を肯定しながら、その後も浅草の凄さを語っちゃう。まったく、ブレていない。かっけえよ、あんた。

 

  そして浅草。想像力を巧みに働かせながら、自由爛漫に行動するが、彼女もまた優しい。2巻において、3人はロボットアニメのロケハンと称して学校の地下ピットを探索するのだが、ここで床が抜けてしまうアクシデントにあう。ここで浅草は、常に身につけているリュックから、ロープ、十徳ナイフ、折り畳みスコップを取り出し、脱出のために最善を尽くすのだ。なんでそんなものが入っているのかなどという突っ込みは野暮。生活は冒険であり、それを体現しているのが浅草その人なのだ。それにしても、なんだかドラえもんの4次元ポケットのようなリュックだ。ドラえもんのび太の頼みに応えるように、誰かを支えるために彼女はリュックを持ち歩いているんじゃないかな。

  力強さを見せたかと思えば、暗いところが苦手らしく、水崎・金森にすがりつく弱さをみせたりもする。誰かに弱みを見せれること。そして誰かを頼れることこそ、本当の優しさなのかもね。と、クサいことを言ってみて、あな恥ずかしや。

 

   ともあれ、この3人のやりとりだけでも、グッとくることが多いのだが、なんといっても本作、夢とこだわりに満ち溢れているのだ。

 

◯こだわり抜け!好きにやろうぜ!それが絶対に楽しいんだから。

  浅草が描く設定画、これがアニメ・特撮への憧憬に満ち溢れたもので、作品の合間合間で挿入される。これがなんと細かい!ここだけじっくり読むだけですっげぇ楽しいんだよ。そんな彼女が描く世界は、作品を大きく揺るがせる。設定がそのまま3人を取り囲む物語になるのだ。これを読んでも何を言っているのかさっぱりわからんでしょうが、とにかく本作を手にとってもらわんといかんのです。皆さん、こちらは是非自分の目で確かめなすってくだせえ。御覧じろ!!

 

  そして3人に共通するもの、それは情熱だ。やむにやまれぬ情熱だ。

 

浅草「私の考えた最強の世界。」

        「それを描くために私は絵を描いているので設定が命なんです。」

 

金森が浅草に対して

「あのねぇ、あなたがダメだと思うから、この作品はダメなんですよ。」

「他人なんて関係ない。」

「監督なんすよあんたは。」

「あんたがこのロボットが満足できないなら、「更に好き勝手描く」以外の選択肢はないんすよ!」

 

水崎「大半の人が細部を見なくても、私は私を救わなくちゃいけないんだ。」

       「動きの一つ一つに感動する人に、私はここにいるって、言わなくちゃいけないんだ。」

 

 三者三様、絶対に優れた作品を作るために、行動を惜しまない。その姿がなんと実直で、ひたむきで、力強い。好きなものだったり、自分のなかのこだわりを表現していくことには、時に苦しいし、困難も生じる。浅草は一人でアニメ研に行くのを恐れていたし、水崎は両親からの反対という壁を抱えている。しかし、恐れなんて吹き飛ばせ。障壁を乗り越えるためという目的なんてあってないようなもの。ただ好きなものへの素直な思い、各々のこだわりを奮い立たせるだけなのだ。ガツンとくる。

 

  そして何より創作への愛が深いのは、作者・大童氏なんだろうなあ(唐突に実作者の話)。セリフ割、コマ割りが、映像チックで作品内容と密に関わり、互いに反響しあっている技法も素晴らしい。

 

    気になってはいたものの、去年読むことができなかった本作。2018年序盤に読むことができて非常に嬉しい。今後の展開も楽しみな一作です。